blog   代表の宮嵜が書きまくるコーナー


 

首都高C1C2C3を全部使うお勧め東京ドライブルート
~ 難所と絶景混在の高速100kmコース

(2024.4.11)  
 
富士五湖へのドライブが大好きなことは何度も書いてきた。しかし2023年晩秋以降、今までタイミングが合わず一度も出向いていない。
 
楽しみで仕方がないルートだけに、2024年のシーズン第一回目のドライブに、雨の日は避けたい。また標高が1000メートル近くあるので、早朝でも路面が凍結していないかどうか常に気にしていた。そしてぐずぐずしているうちに、4月も上旬が過ぎてしまっていた。
 
自然のど真ん中へ出かけられないのなら、逆に都心のど真ん中に向かうのはどうか。そう。今回お勧めするのは、首都高を使う高速・絶景ルート。東京郊外から都心を抜けてレインボーブリッジを渡り、東京スカイツリーを眺望しながら駆け抜ける、全長100キロメートルの高速ドライブルートである。過去何度か試し、人様にも推奨できると思ったので活字にしてみた。
 
このルートは、東京の4つの環状線のうち、著名な都心環状線(C1)と中央環状線(C2)、東京外環道(C3)の三つを使う。「ちょろいもんだ首都高。オレ、C1とC2とC3を軽く流してきたよ。しかも湾岸経由。レインボーブリッジを通った後は、気が付くと東京スカイツリーがずっと俺の車の左に見えてやがんの。たまんね~」と言ってみたい方にピッタリである。
 
ただ、「お勧め」とか「ピッタリ」とか言ったものの、そこはやはり首都高。慣れないと怖いところが何か所かある。途中に休憩場所が少ないので、事前に休憩用PAを決めておいた方が安心なのだが、正直言ってどのPAも運転に不慣れな方にはお勧めできない。理由は後で登場する加平PAや代々木PAを例に説明したい。このため例えばトイレなら、高速道路に乗る前か降りた後に、コンビニエンスストアなどで済ますことを強くお勧めする。
 
私が走るのはどんなコースか。自宅からのルートなのでスタートとゴールのインターチェンジ(IC)は自分用になっているが、そこはアレンジして頂きたい。ゴールデンウイークにでも、ちょっと気合入れて走ってみっかと思われた方の参考になれば幸いである。以降の文章は、車にもドライブにも首都高にも興味がない方には意味不明なことばかりだろうから、ここでお別れになると思う。時間があるときにでも、ぜひまたこのサイトを訪ねてみてください。
 
さあ行こう。スタートは中央高速(中央道、中央自動車道)の調布インターチェンジ(IC)。ここから高速に乗ると、高井戸に入ったところから名称が高速4号新宿線(首都高4号線)になる。新宿、代々木、千駄ヶ谷を過ぎてからトンネルに入り、トンネル内でC1と合流する(三宅坂JCT)。地上の場所でいえば、最高裁判所や国会図書館当たり。ここがルート上の一番目の難所だ。
 
首都高の困った点は、高速への進入や合流、出口が道路の左右にあること。「高速道路への進入は左から」という常識は通用しない。進行方向の「左側」にあるC1本線に、トンネル内の暗いライトのもと、しかもC1の道路状況があまりよく見ないなか、加速しながらスムーズに車体を滑り込ませる必要がある(注意ポイント①)。
 
合流後はほっとしたいところだろうが、そうはいかない。最も右の車線を走っていれば大丈夫なはず、という思い込みで走っていると、そのまま霞が関の出口車線に入ってしまう(進行方向右側に出口がある)。私も、間違って霞が関で降りてしまったことがある。この二つは連続攻撃で来るので気が抜けない。
 
無事C1に入り、かつ地上に出てほっとしたのもつかの間。車線を見ると、右側を走る車が少ないことに気が付くと思う。理由は、渋谷方面から高速3号渋谷線(3号線)をぶっとばしてくる大量の車が、C1の右車線に大挙して合流してくるから(進行方向右側からの超大量合流!)。これを知らずに右側車線を飛ばしていると、結構あたふたする(注意ポイント②
 

 
これを乗り越えてレインボーブリッジの標識案内に沿って走っていると、左側に東京湾が見えて来る。そのまま進むと首都高11号台場線だ。そしてこの台場線が通る東京湾上の橋がレインボーブリッジである。ここはぜひ左車線を走り、わき見運転にならない程度に東京の高層ビル群の絶景を堪能したい。初めて通った方なら、違いなく「おおお~」と声が出るはず。「シティ感」は、JFKやラガーディアなどの海外の首都近辺の空港にも全く引けを取らない。個人的に、首都高からの最高の絶景と断言します。
 
レインボーブリッジを通過すると、首都高湾岸線に合流。コミックの「湾岸ミッドナイト」の舞台である。車線が一気に増えるのでしばらくはお好きにどうぞだが、葛西ジャンクション(JCT)でC2に入るため、左車線まで戻っておくこと。戻り切れなかったら無理をせず、方針を切り替えて東京ディスニーランドで遊ぶのも一興だ(一般道に降りてからの大渋滞を避けるには、葛西ではなく浦安まで行ってから高速を降りた方がいい)
 
いよいよC2だが、荒川に沿って北上していく途中から、左手に東京スカイツリーが見え始める。これがかなりの時間、延々と続く。高さ634メートルは伊達ではない。ここでもよそ見に注意。高架のため見晴らしがいい分、車のスピードが上がりがちになってしまう。そして小菅JCTでC2と別れ、首都高6号三郷線でC3の三郷JCTまでまっしぐらだ。
 
え? 休憩がしたいって? 少し前に、このルート上にお勧めのPAは存在しないと言いましたよね。トイレが我慢できない? 
 
分かりました。では加平PA(下り)に入りましょう。ここは自動販売機がたくさん揃った無人PA。数年前までは有人でレストランもあったが、今は綺麗で使い勝手がいい無人PAである。トイレも清潔で文句なし。
 
では、何でお勧めしないのか。このPAから本線に合流するにはまたまた右側からのアプローチとなるのだが、この加速車線の短いこと短いこと。もはや危険レベルである。だから本線上の車が見えにくいことに躊躇して加速が足りなければ、合流は非常に難しい。相手の車とのスピードが近いほど合流は楽になるが、この加速車線の短さはいかんともしがたい。アクセルをしっかり踏めない人は、立ち寄らない方が無難だ。
 
これまで言及しなかったが、このルート上には2階レストランからの眺望がすばらしいPAがある。4号線からC1に合流する前、新宿を抜けてカーブを曲がったところにある代々木PAである。2階からは車が流れる本線が目の前に見え、ここはF1グランプリが開かれる仏モンテカルロのアパートメントのベランダか!って思うくらい眺望がいい。さらに、首都高PA初のテイクアウト可能なカフェ(ドトールコーヒー)も入っている。施設だけ見れば、文句なしの二重丸だ。
 
しかし残念なことに、加平PAと同様、本線合流のための加速車線が極めて短い。日中、本線上を車がガンガン飛ばしている場合は、「合流できない」と考えた方がいい。こういう場合は、車の流れが途切れるまで一時停止しながら待つしかない。実際に本線を走っていると、代々木PAからの出口で止まっている車をしょっちゅう見かける(加平PAの場合は一度止まったら合流するのは至難だが、代々木PAなら何とかなる)。
 
さて、三郷JCTでC3に入る。C3は周囲に浦和や戸田、蕨といった市街地があるので、騒音防止用のフェンスがあって外が見えないのが残念。黙々とゴールの大泉ICを目指すことになる。1か所、非常に分かりやすい位置にオービス(速度違反自動取締装置)がある。
 
最後に紹介したいのは、ゴールの大泉ICの手前にある新倉PA。ここは内外集約型(内回りと外回りで駐車場を共有)のPAであり、駐車場をスルーしてUターンすれば反対方向に戻ることができる。このようなPAは、全国に3か所しかない。この新倉PAと、東京湾アクアラインの海ほたるPA、瀬戸中央自動車道の与島PAだ。かつては(今もか?)いろいろ悪用されたらしいが、詳細は省略する。
 
このコラムでお伝えしたいのは、加平PAでのトイレ休憩をあきらめて新倉PAまで来た人にとって、普通乗用車用の駐車場所の入口が分かりづらいこと。このルートで東から入ってきた場合、PA内をUターンしてまさに逆方向に向かおうとする途中の右側に、駐車場の案内がある。一見さんはまず分からず、迷ったあげく大型車用駐車スペースに停めてしまい、トラック運転手の方々に迷惑をかけてしまう。私もそうだった(注意ポイント③)。
 
今まで説明してきたこのルートは、スタートの調布ICからゴールの大泉ICまで、総距離は約100キロメートル(googleマップで97キロメートル)。全て高速道路なので、走行時間1時間半くらいの行程である(私はこの原稿を書くのに地図作成を含めて8時間以上かかったが)。都心に車で来られたなら、ぜひお試しあれ。くれぐれも安全運転でお願いします。
 
 

ここまで読んでこられた方はかなりのハードコア。お付き合い頂き、こころより感謝します。
私は、ゴールデンウイーク(GW)の期間中に、株式会社ハイカレントのサイト全体を作り変えようと計画しています。
コラムもそのまま残すつもりですが、トップページから一つ下の階層になるので、余計な手間をおかけすることになるかもしれません。
ごめんなさい。
次のコラム更新はGW明けの5月中旬の予定。それまでしばしのお別れです。皆さん、お元気で!

 
 
 


 

AIは知性を持つようになるのか
~ 「AIがつく嘘」がカギを握ると私は見ている

(2024.3.16)  
 
今回はいつものような趣味話ではなく、少しだけ真面目にAI(人工知能:Artificial Intelligence )について書いてみたい。面倒で小難しく長いので、このテーマに興味がありかつ暇を持て余している方以外にはお勧めできない。
 
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AIの中でも特に有名なのは、人間との間で普通の言葉で対話する「生成AI」と呼ばれるもの。米オープンAI社のChatGPTや、米マイクロソフトのCopilot、米グーグルのGemini(ジェミニ)などが有名だ。最近では、例えば日本経済新聞に「生成AI」の記事が出ない日を見付ける方が大変である。いまや、学生や社会人問わず、かなりの人が使っているのではないだろうか。
 
今回のコラムでは、これらのAIに「知性は宿るのか(宿るようになるのか)」という観点から、若干の考察を加えてみたい。「いや、もう既にAIは知性を持っているよ!」とお考えの方は、以降を読んでも時間を無駄にしかねないので、専門家ではない者(私)のたわごとと思ってご容赦ください。
 
私は多くの方が同意されると思うが、今のAIは「ある程度の知能は持っているものの、“知性”は持っていない」と考えている。そして生成AIの原理(仕組み)を考えれば、今後いつまでたっても知性など宿りそうもないと確信していた。しかし最近、あるきっかけをもとに、もしかしたら・・・と思うようになった。
 
そのきっかけとは、生成AIの問題点とされる、ハルシネーション(Hallucination:幻覚。生成AIが、もっともらしいウソをつくこと)である。ある文献によると、最先端のAIでも数パーセント程度は起こりうるらしい。
 
この事実と、生成AIの仕組みを考えているうちに、「AIがもし“知性”を持つようになるとしたら、きっかけはハルシネーションによる“偶然”からではないか」と思ってしまった。あきれられた専門家の方は、どうぞ笑ってご退席ください。
 
さて、自分で生成AIを使っていて、確かに過去何回も、ハルシネーションを経験した。ここではオフィシャルな文献から、実際のハルシネーションを紹介しよう。国産の生成AIを研究開発している機関の一つ、国立研究開発法人 情報通信研究機構(NICT)が開発中に出くわした例である。2023年7月12日に開かれた、内閣府の「第9回 AI戦略会議(関係省庁連携)」で報告されたものだ。
 
内容をかいつまんでいうと、
 
①NICTの研究者が開発中の生成AIに、「(これまで映画になったことはない)本居宣長の映画のあらすじは?」と聞いてみた
②生成AIは、存在しない映画の簡単なあらすじを述べる中で、「この映画を全国に発信するため、松阪市映画上映実行委員会を設立し・・・」といった団体名を具体的に挙げた
③NICTの報告書は「松阪市映画上映実行委員会なるものは現実には存在せず、架空の団体を創出。いわゆるハルシネーションだが、(これは)創造性の裏返し」と記載した
 
私が引っ掛かったのは最後の、「ハルシネーションは、創造性の裏返し」という部分。創造性は、知性を持つための条件の一つであると思われるからだ。もちろん、「創造性があるから、知性もある」とは言えないだろう。この部分は後述する。
 
さて、ここで一度、生成AIはどうやって文章を作っているのか、簡単に説明したい。一言でいえば、「これまでの膨大な言語データベースの事例を参照しながら、質問の答えに合うような単語を、前の単語の並びから出現確率が高いものを選択・抽出し、つなぎあわせている」。
 
例えば、「人間は動物である」という文章は、「人間」「は」「動物」「で」「ある」の5つに分解できる。この文章を生成する仕組みは、ざっくり言えば以下のようになる。
 
「人間」ときたら次は「は」がつながる確率が高く、「人間は」ときたら次は「動物」がつながる確率が高く、「人間は動物」ときたら次は「で」がつながる確率が高く、そして「人間は動物で」ときたら、次は「ある」がつながる可能性が高いーー。つまり「確率」をベースとして、次に来る単語を推定し、抽出するわけだ。
 
もちろん質問(プロンプトという)の内容によって単語自体はガラガラ変わるものの、普通に考えても「人間は」という言葉の後につながる単語の確率は、「植物」よりは「動物」という単語の方が高そうに思える。これを複雑な抽出法(Transformerと呼ばれる)の下にやってのけるのが生成AIである。
 
言ってみれば、「確率」がすべてのベースにある。だから例え確率が低い単語でも、何かのきっかけでつながってしまうことは容易に想像できる。実際に前述のAI戦略会議の第1回(2023年5月11日開催)の中で、構成委員の一人は「ハルシネーション(AIの幻覚)という現象は、現在の大規模言語モデルの背後にTransformerという確率的な予測をするという原理が基本にあるため、内在している部分ではある」と発言している。
 
要は、政府の会議に出席するような学識者の方も、「確率をもとに次の単語を選んでるんだから、AIの間違いは避けられないよ」と言っていることになる。先の架空の団体、「松坂市映画上映実行委員会」も、「松坂」「市」「映画」「上映」「委員会」という5つの単語が、確率を計算しているうちにひょんなことでつながってしまったのだろう。生成AIは「事実を知っているわけではない」とよく言われるが、根拠はここにある。
 
では戻ろう。真意は分からないものの、NICTはハルシネーションを、「創造性の裏返し」と呼んだ。知性にも知能にも明確な定義はないが、一般的には「知性は知能の上の概念」である。その上で生成AIの代表的な製品、ChatGPTに知性について質問すると、「AIが知性を得たと言える場合、その具備すべき特徴は、①自己学習能力、②推論能力、③創造性(創造性は知性を構成する要素であることがこれで分かる)、そして④意識や自己認識――」としている(下図は私とのやり取りの様子。私の質問内で自己を孤児と変換ミスしてしまったが)
 
 

 
 
私は、AIが「意識や自己認識」を獲得した瞬間こそ、知性を得た瞬間と考えている。そしてそれは直線状の開発の延長上にはなく、「何らかの偶然」が作用した場合にのみ起こり得ると思う。そう考えると、AIの研究者や開発者がゼロにしようと懸命に努力を続けているハルシネーションの中から、知性の萌芽となるような偶然が生まれても不思議ではないと思うようになった。
 
下図は、マイクロソフトの生成AIであるCopilotと対話したときのものである。後半、同じ内容の繰り返しでバグっているが、Copilotにはよくあること。しかし私には、なんだか彼(Copilot)が、ひょんなことを突かれて慌てているように感じられる。
 
 

 
 
 

 

絵、写真、回路、車、オーディオ、機械式時計
~ 趣味をめぐる錯乱

(2024.2.13)  
 
2023年末から楽しみにしていた美術展があった。「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命」(会場は東京・上野の国立西洋美術館)である。
 
いつ行こうか、誰と行こうかなどと思っているうちに2024年になり、まだ会期はあるさと高を括っているうちに2月に入ってしまった。そして一息ついた2月中旬の3連休、念のため会期を確認したところ、終了は1月28日。なんてこった!
 
調べると、次の巡回地は京都市の京セラ美術館 。会期は2024年3月20日から。久しぶりに美術鑑賞熱が盛り上がっていたのに、残念としか言いようがない。特に、ポスターの表紙にもなっていたロベール・ドローネー(パリのポンピドゥーセンター所蔵)を逃したのは痛かった。こうなったら、3月に京都にいくしかない。
 
新型コロナウイルスの登場前、つまり2019年以前は、1年半に1回ぐらいのペースで、何がしかの展覧会に行っていた。今でもすぐに思い出すのは、千代田区の三菱一号館美術館で開催された「オルセーのナビ派展」と、渋谷のbunkamuraで開催された、写真家のソール・ライター展。調べると、ともに開催は2017年だった(両会場とも、現在は長期休業中)
 
パリの画家集団であるナビ派と、ニューヨークの写真家ソール・ライターに、共通点があるわけではないと思う。しかし、どちらもぜひ行きたいという強い衝動にかられ、鑑賞後に深く満足したことを思い出す。
 
今しがた「共通点がない」などと書いたばかりなのに、ネットで調べると両者の共通点を感じ取っている人がいて驚いた。Webのアートマガジン「ARTalk」に、Yoshikoさんというライターが寄せたソール・ライター展の紹介記事である。Yoshikoさんのストレートで爽やかな文章も素敵だし、このコラムに載っているライター氏の写真がまた素晴らしい。ぜひ以下のURLからコラムを訪れていただきたい
 
https://girlsartalk.com/feature/26019.html
 
私が中学、高校と美術部に在籍し、主に油絵を描いていたことは、恥ずかしくもこの一連のコラムのどこかに書いてきたと思う。このコラム内の2点も、精神的暗闇から抜け出そうともがいていたころの、雑誌からの模写である(齢を重ねると、恥ずかしいことは極端に減るという説は本当だ)。そして問題なのは(あるは幸運だったことは)、私には決定的に才能がなかったことだ。
 

 
それでも旅行にはスケッチブックを持って行くことが多かった。というより、スケッチ(あるいは水彩)をするためだけに、軽井沢に1週間いたこともあった。軽井沢駅近くの喫茶店で本を読んでいて、ふと目を窓に向けると散歩中らしき馬の首上部分が移動していて驚いたこともある。
 
今では、もう絵は描いていない。当時から並行して熱中していたのは、オーディオ(ステレオ)のアンプの電気回路設計と製作である。これは今でも続いており、絵筆は投げたものの、半田ごてを握らせたら都内で150位くらいのエルダーチャンピオンになる自信はある。
 
文系(絵画描き)と理系(オーディオ回路の設計と製作)の両極端にあるような趣味だが、若い自分の中では、矛盾なく仲良く共存していたと思う。そして次第にジャーナリズムにあこがれるようになり、偶然にも「理系ジャーナリスト求む」と求人していた会社に「入れてほしい」と電話をかけ、そのまま就職することになった。
 
現在の趣味は、車(&ドライブ)とオーディオ、そして最近加わったのが機械式時計。この三つのうちどれかが常に頭の隅にあり、周期的に前面に出てくる。時間は限られているので、頭の中で趣味同士の静かなせめぎあいが行われているのだろう。
 
この三つは親和性が高そうなので、「だったら自分が好きな機械式時計をはめて、好きな音楽を高級カーオーディオで流しながらドライブすればいいのではないか」という真っ当な意見に、正面から異を唱えるのは難しい。あえて反論するならこうなる。「好きな趣味をシームレスにつないでしまうと、趣味性は急速に消え去ってしまうのだよ」
 
若かりし時代の趣味も同じ。絵画とアンプ設計という二つの趣味をつなげるとーー例えばある時はスケッチブック一面にアンプの回路図を陰影を付けながらアーティスティックに描き、片やアンプの構成部品の配色をアンリ・マティス調のピンクとネイビーで整えてーー。
 
趣味性云々以前に、無理がある。そうか、車にアートペインティングすれば良かったのか。いや当時は免許ないし。いやいやそういう問題でもないし。
 
・・・書き出しのキュビスム(これは発祥の地である仏語読み。英語ではキュビズム)から、ずいぶん遠くまで来てしまった。しかし、この文章を読み直すと、「ある要素を時代をまたがって抽出・構成し直し、シームレス化を試みる運動」のようだ。おや、キュビスムを「絵画を写実的表現から抽象的表現へと変化させた運動」とするなら、なんとなく似ていないか。
 
無理がある。

 

これまで読んだ短編小説のベスト3を考えた
~ 読み直していたら止まらなくなった

(2024.1.17)  
 
タイトル通り、「これまでに読んできた短編小説の中から、3篇を選ぶ」作業に取り組んでみた。若い時代からこれまでに、いったいどれだけの短編を読んできたのか分からない。本当にできるのか?と思ったが、実際には10分もかからなかった。初めて読んでから数十年たつものばかりだが、数年に一度は読み返しているので、すぐにタイトルが浮かび、サクサクと本棚から取り出してみた。
 
長編は?と聞かれそうだが、こちらは選ぶのに膨大な時間がかかるか、選べない気がしていたので、初めから対象にしなかった。タイトルを思い出せなくても、体に浸み込んでいそうなものがいくつもある。これに対し、短編は読むのにそう時間がかからないこともあるので、時々、繰り返して読むことが出来る。同じ「小説」と言えど、長編と短編は、かなりの隔たりがあるジャンルではないかと思う。
 
前書きはこのくらいにして、さっそく3篇を紹介しよう。粗筋(あらすじ)は書かないのでご安心を。
 

 

1)コネティカットのひょこひょこおじさん(J・D・サリンジャー著 野崎孝訳 「ナイン・ストーリーズ」に収録 新潮文庫)

 
サリンジャーの不朽の名作。ご存じの方も多いと思う。しかし、タイトルの語感がやや変わっているので、誰かに「サリンジャーの小説の中で一番好きな作品は?」と聞かれ、このタイトルを口にするのは少し恥ずかしいかもしれない。特に「ひょこひょこ」の部分がひっかかるかもしれない。私もそうだった。
 
この小説の原題は、「Uncle Wiggly in Connecticut」。Uncle Wigglyとは、米国の童話作家ハワード・ギャリスが書いた童話の主人公Uncle Wiggily(ウィギリ―叔父さん)。Uncle Wiggilyはリューマチで足が不自由になった老ウサギで、ギャリス氏は1910年以降、ウィギリ―叔父さんを登場させた童話を数多く残している。「ひょこひょこおじさん」のタイトルは、このUncle Wiggilyから来ている。
 
原題のWigglyとWiggilyはスペルが違うが、意味は同じ。物が小刻みに揺れたり、動いたりする様子を表す形容詞である。ここを「ひょこひょこおじさん」と訳したのが、訳者の野崎孝氏。別の翻訳本では、「ひねひね叔父さん」となっており、小説自体のタイトルも「コネチカットのアンクル・ウィギリ―」とあえて訳していない。これは人によって好き好きだろう。
 
話が細かな部分にそれたが、私にとってこの小説のぐっとくる部分は、最後の最後、主人公であるエロイーズが、友人のメアリ・ジェーンに言うセリフにある。翻訳の重要さを感じるとともに、サリンジャーの本質である都会的なセンスが凝縮されている部分だ。短い小説だが、私はこの圧倒的な読後感を一生忘れないだろう。
 

2)イエロウキャブを呼んでちょうだい(矢作俊彦著 「ブロードウェイの自転車」に収録 光文社)

 
著者の矢作俊彦氏(1950-)の作品は、ほぼすべて読んでいる。初期の「マンハッタン・オプ」などの作風からハードボイルド作家の枠に入れられることもあるが、決してそうではない。確か本人もこう呼ばれるのを嫌っており、「敢えて言えば自分はインタビュー作家だ」と語ったことがあったような気がする。意味は分からない。
 
イエロウキャブという言葉がタイトルにあるように、この小説の舞台はニューヨーク。10編詰まった短編はどれもいいが、タイトルのものは少し次元が違うように思う。非常に鮮やかな短編で、これも最後の数行で心を持っていかれる。映像的でもあり、私の中では小説の段落ごとに情景が浮かび上がるかのようだ。
 
この作品に限らず同氏の作品に共通するのは、形容や例えが実にうまいこと。アルピーヌ・ルノウ(注 フランスの名車)を例えるのに、「何に似ているかと言って、女物の華奢な運動靴によく似ていた。ヴァカンスの前日、オードリィ・ヘップバーンがキャンボン通りの行きつけの店であつらえる運動靴だ」(「ドアを開いて彼女の中へ」 東京書籍)と書く人を、私は矢作氏以外に知らない。
 
また、自身の中で変貌していく横浜(矢作氏の出身地)の姿を、「見知らぬ知人であふれていたこの街に、顔見知りの他人が跋扈(ばっこ)し始め」(「複雑な彼女と単純な場所」 東京書籍)などとさらりと書かれた文章からは、逆に一瞬おいてから迫ってくる深い情感に胸がふさがれる。なぜか自分自身の様々な思いが溢れ、少しの間、本を伏せたくなる。
 

3)わが良き狼(ウルフ)(筒井康隆著 「わが良き狼(ウルフ)」に収録 角川文庫)

 
これは、読後に思わず涙してしまうほどの名作。作品全体が繊細さに満ちており、読後は言葉が出なくなるほどだ(私はこのコラムを書くために再読した後、泣いた)
 
SF作家の大家として知られる筒井氏であり、この作品も設定はSF仕立てである。だが、文末の解説で田辺聖子氏が言うように、これは「一種の帰郷物語」。いわゆるホームカミング・ストーリーである。
 
具体的に言えば、様々な体験を重ねた主人公が故郷に戻り、昔の仲間や知り合いと再会するという話。本作でいえば、ある星のある街で伝説の英雄として活躍していた主人公キッドが20年ぶりに故郷に戻り・・・というストーリー(これ以上はネタバレの恐れがあるので書けない)。ぜひ読んで頂きたい。
 
今回の3作はすぐに頭に浮かんだが、最後にもう一つ、スポーツ小説「ペケレットの夏」(虫明亜呂無著 「シャガールの馬」に収録 旺文社文庫)も紹介したい。私はノンフィクション作品と思って今回の「短編小説」からは除いて考えていたが、調べたらモデルにした実在の人物こそいるものの、氏名はもちろん性格や行動まで全く変えているらしい。大学のボートレースというスポーツを舞台にした短編小説と言えるだろう。
 
私は大学入学の直後に入った部活が漕艇部(ボート部)であり、主力種目であるエイトのコックス(舵手)をやっていた。在籍期間は短かったので偉そうなことは言えないが、今でもスタート直後に、「ピッチ42、サーイコー」と叫んでいる自分の声が聞こてくる気がする。


 

2023年のドライブ旅行を振り返る
~ 今年は15000kmは走ったぞ!

(2023.12.28)  
 
この1年を振り返ってみると、ドライブに費やした時間が、例年よりもはるかに多かったように思う。距離にすれば、1年で1万5000キロメートル以上は走った。冬タイヤを持っていない私は1月~3月はあまり長距離ドライブをしないので、感覚的な走行距離は、数値よりずっと高かったように感じる。
 
実際に、今年はかなりの日数をかけて長距離ドライブに出かけたので、主なものを表にしてみた(利尻島・礼文島は飛行機で行ったが、現地でレンタカーを借りて回ったので入れてみた)。
 

 
どれも楽しかったが、これまでのドライブと異なる今年の変曲点は、「東京から四国、北九州までカーフェリーで移動」することだったと思う。数十年前の学生時代は「仙台発・苫小牧行き」という吉田拓郎の落陽の歌詞に出てくる航路を使ったことはあるが、上京してからは使うことはなかった。時間も知識も、加えて自分を駆り立てる何かが足りなかった。
 
独立して会社を興したので、会社員時代と違い土日に関係なく長期間の休みが取れるようになった。理屈ではそうだ。しかし調査・コンサルティング企業として、可能ならクライアント企業の休みとあまりずれないようにしたい。従って、10日前後の長い休みを取るのは、やはりゴールデンウィーク(GW)か、お盆辺りの夏季休暇(夏休み)になる。
 
そこで問題となるのが渋滞だ。私はトイレが近く、しかも車はマニュアル車。2時間を超えるような大渋滞にはまってしまう恐ろしさを考えた結果、行き着いたのは長距離カーフェリー。これが大正解だった。私のドライブ先が、行きたくても躊躇していた場所まで一気に広がった。
 
東京近郊から出港する長距離カーフェリーは、東京・有明から徳島港を経由して北九州(新門司)に向かう航路と、横須賀から直接北九州に向かう航路の二つある。東京の西部に住んでいる私としては、渋滞期に東京-横須賀間を車で移動することは避けたい。必然的に、前者を選択した。
 
このコラムでも書いたが、東京港の入り口に早朝に着くのなら、帰路の渋滞はないに等しい。それだけ予約を取るのは難しいが、これでもう繁忙期の長距離ドライブの最大の課題から解き放たれた。
 
四国や九州に実際に行ってみると、長距離フェリーではない地元の短距離フェリーに乗ることも多い。四国の愛媛と九州の大分を最短で結ぶ「国道九四フェリー」、鹿児島の南端である南大隅町と対岸の指宿をつなぐ「フェリーなんきゅう(山川・根占フェリー)」、そして鹿児島県の長島町と熊本県の天草市を結ぶ「三和フェリー」・・・。いずれも乗船時間30分から1時間強の短距離フェリーだ。
 
実際のところ、これらの短距離フェリーがなければ、九州を海岸沿いに回ることなど不可能だった。あらためて、日本は複数の大小の島で構成された、本当の島国国家ということを実感した。
 
今はもう12月の終わり。こころはもう、来年春の長距離ドライブにある。今のところ、徳島港までフェリーで行ってから、再度フェリー(南海フェリー)で和歌山にわたり、紀伊半島を1周してみようと思っている。
 
和歌山港から反時計回りに一周するか、それとも陸路で東方面の三重県に向かい、伊勢神宮で天照大御神に某所より預かった伝言をお伝えした後、そのまま時計回りで1周するのか、まだ決めていない。
 
自分を、ここまでドライブに駆り立てるものは何か。もちろん帰ってくることを前提に日程を組むのだから、ある種の「旅」への憧憬ではないだろう。人生の残りの時間を考えて、帰ってくる場所はもうここしかないと分かったことが、逆に出発の敷居を下げているのかもしれない。
 
今年はこのコラムが最後になります。ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございます。
 
よいお年をお迎えください。

 

紅葉(こうよう)考
~ 植物の美しい「戦略」に私は喜んで従う

(2023.12.11)  
 
自宅から歩ける距離に、都立小金井公園という大きな公園がある。東京都の西側の4市である小金井市、武蔵野市、小平市、西東京市にまたがっており、面積は80ヘクタール。都内で3番目に大きい、自然豊かな公園である。
 
家から近いこともあり、昼の時間はこの公園を散歩することが多い。回数にすれば、週7日のうち3~4日は出向いていると思う。今も、1時間強の散歩から帰ってきたところだ。
 
公園の散歩コースはだいたいいつも同じ。大きな公園なので、1時間ではとても一周は無理である。毎年散歩しているうちに、自然と歩くルートは決まってしまったようだ。樹木に名札がついているので、読みながら歩いていると結構な時間が過ぎてしまうこともある。その割には、何年たっても樹木の名前を覚えられない。
 
そんなボンクラの私でも、今年のイチョウ(黄色)とカエデ(赤)の紅葉の素晴らしさは格別に感じた。イチョウは落葉後もしばらくは黄色のままなので、地面が黄色のカーペットのようになる。それはもう、ため息が出るほど美しい。
 

 
今年、最もイチョウのカーペットが美しかったのは、11月末から12月5日くらいまで。8日に散歩したときには、はっきりと違いが分かった。カエデの目が覚めるような赤も、視野から確実に減っていた。
 
小金井公園の木々も冬の出迎えを始めたようだ。つい先日まで輝くような情景を見せてくれていた木々も落葉し、モノクロームの季節を前に沈黙しつつあるかのようだ。
 
このまま今年の紅葉の素晴らしかったことをシンプルに愛でながら、今回のコラムは出来損ないのポエムのような駄文を綴っていこうと考えていた。だが、京都大学人文科学研究所准教授の藤原辰史氏が書かれた、「植物考」を読んで少し考えが変わった。
 
この本は植物を一般的な自然科学的観点を超えて、筆者である藤原氏の専門分野である人文・社会科学者という観点から、植物に関する様々な考察を行った一冊である。以前から骨太で明快、かつユーモアあふれる文章にひかれていた私は、その本の存在を知ってすぐに買い求めていた。
 
頭から最後まで全部面白いのでぜひ読んでいただきたい本だが、初めの方にイタリアの著名な植物学者(フィレンツェ大学農学部教授)であるステファノ・マンクーゾ氏の考えを引用した部分に、まずグイと引き込まれた。例えばこのような部分だ(意味だけを抜き出したので原文そのままではない)。
 
――知性を「問題を解決する能力」と定義するなら、植物は明らかに知性を持っている。例えば生命活動に危害を与えられるような問題が迫っていれば、動物は「移動」することで回避しようとするのに対し、植物は「適応」することで問題を解決しようとする――
 
他にもいろいろある。決して超能力的でもオカルト的でもない、まじめな考察である。藤原氏も、植物が自分に有利な環境を作り出そうとする明らかな「戦略」に対し、いくつもの鋭い考察を加えている。
 
・・・とすると、紅葉(こうよう)も植物の戦略なのだろうか。
 
光合成を行う葉緑素(クロロフィル)が減って葉の色が変わり、落葉することで水分の損失を防ぐ。その自然科学に則った状態遷移を、人間が勝手に美しいと感じて鑑賞(感傷)に浸る。私はこう思っていた。植物の知性(動物のように脳を持っているということではなく、問題解決能力があるという意味で使っている)などはもちろん考えずに。
 
しかし、人間がそう思うように植物が仕組んでいるとしたらどうか。「ああ、来年もこの素晴らしい景色を見たいなあ。植物たちには健康でいてもらえるよう、万全の体制をはかろう」と人間に思わせ、自分たち(植物)に良好な環境を提供させるための「戦略」だったとしたら。
 
また私は、「紅葉して落葉するのは落葉樹。紅葉せず、冬でも葉を落とさないのは針葉樹」と、短絡的に思ってきた。多くの方々もそうではないだろうか。
 
しかし少し調べてみただけでも、針葉樹の中にも紅葉したり落葉したりする植物は結構ある。例えばカラマツやメタセコイヤだ。一方、マツやスギのように、針葉樹のイメージ通りの植物もある。それぞれ、独自の生存戦略を持っているかららしい。
 
冬の公園がジャコメッティの彫刻のような落葉後の木々だらけにならず、マツやスギなどが冬のモノクロームの世界に緑のアクセントをつけてくれるのも、戦略なのだろうか。厳しい環境に独自の戦略で対応するというだけでなく、「人間からどう見えるのか、落葉せずに緑のままでいることにより、人間はどのような(自分たちの生存に有利な)行動をとるのか」まで考えているのだろうか。
 
都市公園の植物は、すべて人間が植えた(あるいは移植させた)人工林である。自然林ではない。ならば、自分たち植物をそのような環境に置いた人間も、自分たちの戦略に組み込もうとしていると考える方が自然ではないだろうか。
 
・・・だんだん文章に無理が生じてきたようだ。考えているうちに、体温も少し上がったような気がする。
 
冬の到来とは言うものの、東京の日中の気温はまだまだ高い。天気予報を見ると、ぐっと冷え込むのは12月18日(月)以降のようだ。歩けなくなるほどの寒波が来る前に、できるだけ公園の散歩を続けよう。次の散歩からは、不審者と思われない程度に木々に触ったり、話しかけたりしながら。
 
そうすれば、これまであまり覚えられなかった植物の名前が、頭に残るかもしれない。これも植物たちの、「私をもっともっと知って戦略」の筋書き通りなのかもしれない。

 

奥多摩湖から大菩薩ラインを通って勝沼へ
~別ルートから遠望する富士山も格別だ

(2023.11.24)  
 
私がドライブで出かけるルートの大半は、富士五湖周辺である。具体的にはこのコラムに何度も登場した本栖湖と山中湖だ。
 
2023年も、夏に自分の車をフェリーに乗せて九州の海岸線をほぼ2周したことを除けば、この通りだったと思う。富士五湖には、ルートを変えながらざっと10回は出向いたのではないか。
 
ほかに行くところはないんかい!と言われそうだが、常に頭にあった場所がある。東京の西の端にある奥多摩湖だ。実はこれまで何度か行こうとしたが、途中で前が全く見えぬほどの霧に進路を阻まれ、行きつくことが出来なかった。
 
しかし今年は9月下旬になってから、3回も出向くことになった。コースは武蔵五日市の駅前を左に折れ、檜原街道を西にまっすぐ。標高が高まるに連れてコーナーがきつくなり、奥多摩周遊道路に入る。この山岳コースを少し下ると奥多摩湖である。
 
奥多摩湖は、多摩川の上流を堰き止めてダム(小河内ダム)を造成した人造湖。ダムが完成した1957時点では、上水道専用の貯水池としては世界最大だった。現在でも東京都の水道の20%はここから供給されている。人造湖かつ、ダムに地名が付いていることから想像できるように、湖底には小河内村が眠っている。
 
奥多摩湖の魅力は、とても人造湖とは思えない美しいたたずまいに尽きる。紅葉も美しい。「ダムカレー」が食べられる「奥多摩 水と緑のふれあい館」もナイスジョブ。土木ファンにはたまらぬだろう。私の場合、毎回天気が良かったので、ふれあい館の前の広場でおにぎりを食べることが多かった。
 

 
ドライブのハイライトは、奥多摩湖の西から山梨県甲府市に至る国道411号。通称、大菩薩ラインである。奥多摩湖の西のはずれから、ワインで有名な山梨県甲州市の勝沼町まで、約40キロメートルのワインディングロード。標高1472メートルの柳沢峠を通っていく快適なドライブルートである。
 
大菩薩ラインを少し下り始めた辺りから、富士山が目の前に出現する。それはもう驚くほど美しい。展望用の駐車スペースがあるので、ここで富士山を眺めながら一休み。富士山を見るなら富士五湖が最高という思いは揺るがないものの、少し離れた場所から眺める富士山も素晴らしい。私は富士山が大好きである。
 
ひと休み後も気は抜けない。勝沼までの道はまだまだ曲がりくねっており、カーブの曲率が急にきつくなる場所があるからだ。そして目の前に甲府盆地が一望できるようになると、「ああっ」と変な声が出てしまう。それまで「頭文字(イニシャル)D」状態だった頭の中に、違う風が吹き込んだ気になる。
 
このルートが気に入った私は、この2か月で3回も奥多摩-大菩薩ラインに向かった(1回は逆回り)。距離で言えば、ほぼ250キロメートルのちょうどいい長さ。朝9時ころ出発し、午後3~4時には帰宅する。何度も出向いた理由はルートの楽しさだけではない。冬が近いからだ。
 
昨年の場合、富士五湖に向かうルートは12月4日が最後になった。道が凍ってしまうので、冬タイヤを持っていない私の車では、行き着くことが難しい。大菩薩ラインも、12月中旬から4月中旬まで冬季閉鎖のため、通行できなくなる。つまり、「山梨県側から富士山を望む峠ルート」は、もう終わりに近い。
 
富士山の雄姿は、山々の紅葉とともにしっかりと目に焼き付けた。峠ドライブの楽しさは、右足(アクセルとブレーキ)と左足(クラッチ)が覚えているはずだ。
 
季節が変わると、私はまた一つ齢を重ねる。


 

探索・3回目の北本自然観察公園
~初めて描いた油絵の場所を探してみた

(2023.10.24)  
 
北本自然観察公園は、埼玉県の北本駅から南西方面向かって数キロに位置する、雑木林と湿地が中心の緑豊かな自然公園。野鳥や植物の鑑賞・観察や、散歩にピッタリである。
 
私がここを訪れたのは、この2年で3回目。目的は、ある風景の場所を探すためである。前回は冬に訪れ、今回は10月下旬。10月下旬といっても気温は高く、草木はまだ緑である。
 
前回、ここだろうなと目星をつけたところに再度出向き、下草が緑に覆われているのを見て確信した。「ここは私が初めて油絵を描いた場所だ」。時期は夏。私は高校1年生。8月生まれなので、おそらく15歳から16歳あたりだろう。
 
どんな絵だったのか。恥ずかしげもなく説明すると、「葉桜となった桜の緑と下草の緑が回廊のように続いており、その中に白いヤギがいる幻想的な風景」。絵の現物はない。布地で作るキャンバスは高校生にとって決して安くはないので、その上に何度も上書きしただろうから。それでも、8号(455×380ミリ)のキャンバスすべてを覆いつくす緑の回廊と、その真ん中にポツンとたたずむ白ヤギを描いた絵は、今でもかなり強いイメージとして頭の中にある。
 
数年前から、その絵のことが気になっていた。「緑の回廊の中の白いヤギ」という内容自体に何らかの示唆的な意味があるとは思えず、それよりも描いた「場所」を思い出せないことの方がより気になっていた。そんな夢のような場所が、本当に実在したのだろうか、と。
 
その場所を確かめたいと思い、過去何度か訪れたものの、特定はできなかった。そのもやもやがこの数年続いており、そして3度目の公園訪問となった今回、ようやくその場所を発見したわけだ。
 
「緑の回廊とヤギ」の絵は、当時の自分としては目の前の情景を真剣に模写したものだった。なぜそこに白いヤギがいたのかは分からない。しかし私は幻想的で夢のように美しい情景と思い、目で見た通りに写実的に描いた。思い出した絵のイメージが、例え「一面の緑色の壁の中に白いスライム、あるいは後ろ姿のムーミンのようなものが張り付いている不思議な絵」だったとしても。
 
私は、中学・高校時代、この北本自然観察公園から徒歩1分のところに住んでいた。この公園から数百メートル先に農林省(現農水省)農業試験場畑作部の研究所があり、父親がそこに勤めていたからだ。そこの家族は、北本自然観察公園の道路を挟んだ高台にあった宿舎に、まとまって住んでいた。私もその一人だった。
 
その農業試験場は1979年に筑波研究学園都市に移転(両親は筑波に引っ越し、私は東北にある大学に進学した)。跡地には北里研究所メディカルセンターが建設された。住んでいた家があった場所は大きく姿が変わったものの、今は北里研究所関連の方々の住宅になっているようだ。そして自然観察公園があった場所は、当時はあまり整備されていない雑木林に囲まれた自然の湿地と乾いた土地が、まだらになったような場所だった。
 
私はこの広い土地で模型エンジンのエージングをしたり(長時間、かなりの音量を発するのでこういう場所は最適である)、湿地に足を取られて動けなくなったり、高校生の男子がしそうなあれやこれや(文字にはできない)をしたりして過ごした。
 
中学や高校といえば、最も多感な年ごろだ。様々な焦燥はあるが、まだ何も成し遂げていない助走期間。そのころに戻りたいとは全く思わないが、一人懐かしく思い出すにはちょうどいい時期なのだろう。まだ複雑でドロドロした人間関係は構築されていなかったので、芋づる式に悲しい出来事まで思い出さずに済む。逆に、学校の自転車置き場でほほ笑んでくれた福島さん(同級生だった女子)の横顔は、今では神々しさを纏いながら浮かび上がる。
 
さてその場所は、公園の西端となる桜土手口(城ケ谷堤)から、公園側に十メートルほど入ったところにあった。堤という文字が使われていることから、かつてはそう遠くない荒川からの氾濫水を防ぐための土手だったと分かる。しかし今はその役割も終わり、春なら桜を見る人で賑わう名所になっているに違いない。きれいに並んだ桜は野生ではなく植林されたものなので、当時からお花見の場所だったのかもしれない。
 
しかし、夏になり桜も青々とする頃には、あまり人が散策するような場所ではなくなる。そこに、高校の美術部に入り、油絵の道具を揃えたばかりの男子がフラフラと入り込んだのだろう。当時は整備された場所ではなかったうえ公園入口から距離があるので、雑木林の中で迷ったのかもしれない。そこで高校男子が目にした光景が、「回廊のように見える木々と、(おそらく研究所から迷い込んだ)白いヤギがたたずんでいたシーン」だったのだろう。
 
今回の訪問で、もやもやとしていた部分が鮮明になった。探していた場所が分かった以上、もうここに出向くことはーーいや、春になればまた訪れるだろう。今度はセンチメンタルジャーニーではなく、純粋に桜を楽しむために。数十年ぶりに見るであろう桜の木々、おそらく高校生の私のあれやこれやをご覧になっていたいたであろう桜の神々に、「その節はお世話になりました」と挨拶をするために。


 

平日、晴れたら本栖湖に出かけよう
~猛暑を切り抜けたこれからが最高です

(2023.10.1)  
 
この原稿を書いているのは、10月1日(日)の午前。昨年なら今頃は、富士五湖の一つである本栖湖からの帰りの高速道路上にいるはずだ。
 
日曜の朝早くの時間帯は、ドライブに最適である。高速のICまで朝の渋滞はないし、そもそも商用車がほとんどいない。これが土曜日なら、朝早くから高速(下り方面)は渋滞が始まってしまう。いわゆる行楽渋滞だ。しかし日曜日は、皆さん観光の目的地でまったりしているためか、朝の高速はすいている。
 
しかし今年は、日曜朝でも少し時間帯を間違えると混むようになった。仮に軽い渋滞を乗り切ったとしても、目的地である本栖湖の湖畔はキャンピングカーだらけで駐車は難しい。
 
恐らく要因は、コロナの影響が心理的に激減し、どこにでも気楽に出向けるようになったことに加え、9月も真夏のような暑さがずっと続いたためではないか。いつまでたっても、夏真っただ中(=気分は9月も夏休み)だったのだろう。
 
今年の私は昨年と同じく日曜日朝に本栖湖を目指そうとしたが、スマホで道路の渋滞情報を見て諦めることが多かった。どこへ行っても人だらけ。これではドライブの意味がない。必然的に、本栖湖には平日の朝に向かうようになった。
 
本栖湖の湖畔で何をするのか。私は湖畔の駐車場にアウトドア用の小さな椅子を出し、途中のコンビニエンスストアで買ったおにぎりを食べることがほとんどだ。食べ終わったらしばらくパドラーたちが遊んでいる姿を眺め、30分くらいで引き上げる。天気がいいと、木陰にいてもかなり暑くなるからだ。湖面標高900メートルの高地にある本栖湖でさえ、今年は実に暑かった。
 
平日にかなりの回数行っていると、ほんの少しだが顔見知りもできる。なぜかシーカヤック(海で使うカヌー)を持ち込んでくる爺さん。話を聞けば静岡の方から遊びに来ているらしく、駿河湾でもパドリングをしているという。
 
大きなキャンピングカーでやってくる、若いドイツ人夫妻もいる。ドイツ語訛りの英語だったので、すぐに分かった(嘘である)。奥様はいつも、肌の露出面積がとてつもなく広い水着に着替えられ、enjoy ! とか言いながら湖に向かう。髭だらけの旦那様は少し遅れて登場し、ニコニコしながら奥方を追っていく。
 
本栖湖は水深120メートルと非常に深く、12~13メートルしかない山中湖とは対照的(山中湖には別の魅力があるが、これはいずれまた)。透明度も20メートルあり、本州では最も澄んだ湖である。富士五湖の中でも西に大きく離れているためか、さほど開拓されておらず自然がたっぷり。もちろん、富士山の噴火によってできた堰止湖(せきとめこ)である。
 
私が本栖湖に行くようになって、30年近くは経つだろう。カヌー遊びを覚えて、仲間とともに長良川や四万十川に行くようになってから、湖畔でのキャンプの遊びの一つとして本栖湖でもカヌーをするようになった。妻と初めて出会ったのも本栖湖である(嘘である)。
 
透明度が抜群に高い湖面上でカヌーをしていると、例えば岸部近くの杭の底の方に、魚の群れが見えたりする。湖と言えども風があれば波が立ち、波とカヌーが平行になると沈(チン)する危険もある。とは言え、まったりとパドリングするには最高の環境である。
 
また、当時も今も本栖湖の奥ではウィンドサーフィンが盛んで、しばらく前まではモーターボート(競艇)の合宿地もあった。本栖湖畔のキャンプ場は、今でも最も予約が取りにくい人気スポットだ。1周10キロメートル強なので自転車で軽く一周できるが、道が非常に細いところがあるので、自動車での1周はお薦めしない。
 
そして、本栖湖に魅かれ続けているのは、そびえ立つ富士山の威容が大きい。場所によって見えなかったりするが、突然その雄姿が目に入ってきたりすると、ビックリする。富士はやはり日本一の山であり、本栖湖はその富士の山が生んだ「まほろば」であろう。
 
さて、「山梨県本栖観光協会嘱託社員」としての本日の業務も終わった(嘘である)。日曜の午後が、手付かずのまま目の前にある。さあ、どこに遊びに行こうか。


 

野生のアザラシに会いに行った(動画あり)
~波間にぷかぷか浮かぶ姿に驚く。しかも鳴くし

(2023.9.12)  
 
「あ、いたいた!」
 
波間に漂っているのは野生のアザラシたち。岸壁から50メートルくらい沖だろうか。6~7頭がまとまって、ぷかぷかと浮いている。
 
時々、ウギョギョギョゲーオなどと鳴いている。こっちまで届くくらいなので、けっこう大きな鳴き声だ。野生のアザラシを見るのは初めてだし、鳴き声まで聞くことが出来るとは思わなかった。あちら様のお考えは分からないが、私はかなり感動した。
 
海沿いの道路で、アザラシを見ている人は、我々だけ。樺太も見えそうなくらいの快晴。周囲には、大学時代の同級生のほかには誰もいない。贅沢な時間と空間を4人占めだ。
 
場所は北海道・礼文島の北端である「金田ノ(かねだの)岬」の少し手前の一般道路わきである。時間は2023年9月2日(土)の午前10時ころ。前日泊まった民宿のオヤジさんに「北に行きゃあアザラシいっから、見てったらいいさあ」と言われ、我々は借りていたレンタカーの進路を真北に向けた。
 
しかし岬の先端にまで車を走らせても、アザラシは見付からない。その岬のすぐ横には、今は使われていない礼文空港があり、そこで休憩してからもう一度ゆっくり戻りつつ、再度探してみることにした。
 
幹線の国道ではなく東の海岸沿いに沿って走る道のためか、広くていい道路なのに車はほとんど通っていない。これまで地元の人も見かけていない。どうしようかと思っていたところ、岬の先端近くにある商店(何を売っているのか分からなかった)の横で作業をしていた方から、丁寧な情報と見つけ方を教わった。
 
私たちはてっきり、少し離れた岩場の辺りに寝っ転がっているのだろうと思っていたが、そうではなかった(そういう時もあるらしいが)。実際には、カモメのように沖合にぷかぷか浮かんでいるらしい。要は探し方が下手だったわけだ。
 
そこで引き返しながら少し目を沖合に向けると、「ん」というような集団がいる。単独で頭だけ出しているような物体も、かなりいる。「ああ、アザラシって、こうやって遊んでんだあ」と分かると、かなり近い場所に何頭もいることがはっきり分かった。肉眼で顔が分かり、なんと鳴き声もはっきり聞こえる。
 
我々は車を道路わきに停め、写真を撮ったりスマホで動画を回したりして、かなりの時間を過ごした。
 
後で調べたら、種類はゴマフアザラシ。少年アシベの家にいた「ごまちゃん」の大人の姿である(ごまちゃんはキューキューとしか鳴かなかったが、大人の鳴き声はウギョギョギョゲーオである。下の動画で聞くことが出来る)。
 
以前のコラムで書いたが、私は夏のお盆を本州南端の南九州の海沿いで過ごした。その2週間後には日本最北端の島で数日を過ごすという贅沢な日々を送ることになった。しかもアザラシ様とご一緒だ。
 
今年の夏の遊びもこれで(ほぼ)終了。稲垣潤一の「夏のクラクション」と杏里の「Last Summer Whisper」を交互に聞いていたら、少し寂しくなった
 


 

長距離フェリー旅の波乱要因は、台風による「欠航」だ
 ~でも九州南部の海沿いは本当に最高!

(2023.8.27)  
 
今年のお盆休みを直撃した台風6号と7号。豪雨被害などに遭われた方々に、謹んでお見舞い申し上げます。
 
前回のコラムでお伝えした通り、私は8月9日(水)の19:30東京港発、徳島港を経由して新門司港に向かう長距離フェリーに乗り、8月15日(火)の19:00新門司港発のフェリーで東京に戻ってくるツーリングを計画していた。15日に新門司港(北九州)を出港しても、東京着は17日の朝5時半。フェリー内で4泊という長旅である。
 
台風の影響は、帰京する復路に出た。結果、2日後の17日に新門司港を出港し、19日(土)の朝に東京港に着いた。
 
わずか2日遅れというなかれ。当初、出港予定日である15日の前日、14日の午前にフェリー会社からかかってきた電話はこうだった。
 
「15日の便は台風7号の影響で欠航になりました。現在、お取りできる最も早い便は3日後の18日(金)出港となり、(予約されていた)個室ではなく相部屋です。確保しておきましたが、どうしましょう」
 
どうしましょうと言われても、どうしようもない。九州ツーリング、3日間の延長だ。高速道路を使って1000kmを陸路で帰ろうと考えたが、高速道路もいつ通行止めになるか分からない。一泊はしなければならない距離だが、台風で道路状況が不明なままではホテルの予約もままならない。大渋滞も待ち構えているはずだ。
 
単純なので、3分後には頭を切り替えた。
 
「これは、もっと九州を楽しもうという神様からのメッセージに違いない。延長された3日を使って、もう一度行きたいところに行こう!」
 
ただ、2日間を相部屋で過ごすのはキツイので、15日はこまめにフェリー会社のサイトの空き情報を確認し、最終的に17日(木)出港便の個室の確保に成功。延長は3日ではなく2日になり、しかも相部屋ではなく個室だ。これも神様からのプレゼントだろう。
 
延長1日目に(再び)行ったのは、大分市。ここは仕事で何度も通ったが、同じホテルと作業場の往復が中心で、街自体をゆっくり散策したことがない。お盆で休日の所も多かったが、今まで知らなかったこの街の別の面を見れたように思う。
 
そして2日目(延長最終日)の16日(水)は、宮崎県の海岸線に沿って日南へと南下し、さらに進んで鹿児島の志布志湾が一望できる場所へ。このルートは12日にも走ったので2回目だが、ドライブコースとして本当に素晴らしい。オーシャンビューのホテルも忘れ難い。
 
2日延長して走り回っただけあって、九州だけで走行距離は2000kmを超えた。1回のツーリングで2000kmを超えたのは初めてだ。九州を2周した計算になる。
 
フェリーを除けば、九州内のツーリングでは台風の影響をほとんどといっていいほど感じなかった。阿蘇山近郊で大雨に遭遇したくらいである。被害に遭われた方々には本当に申し訳ない。
 
出発時である9日出港の往路はどうだったかというと、途中の徳島まではフェリーは大揺れだった。私は酔わないので平気だったが、そうでない方もいらしたと思う。翌朝「一睡もできなかった」と言われるご婦人もいた。
 
おそらく、これ以上の大波を避けるためであろう。徳島港から新門司港までの航路は、四国のかなり南を通る通常の太平洋航路ではなく、瀬戸内海をゆっくり抜けていく航路に変更された。
 
瀬戸内海は狭いうえに船舶がいっぱいの「輻輳(ふくそう)海域」。船速は素人目にも遅くなり、しかもフェリーの左右にはいつも別の船が見える。両側の陸地も見えたりする。このような形で瀬戸内海を通れるとは思わなかった。
 
さて、前回申し上げた、「長距離フェリー最高説」は、私の中では台風の影響があっても、全く揺らいでいない。次回はどこに行こうか。吉田拓郎の名曲「洛陽」の中に出てくる「仙台発・苫小牧行きフェリー」は、学生時代に何回も乗ったからなあ。


 

東京-新門司港35時間をフェリーで過ごす愉悦 ~今年のお盆は九州一周ツーリング!

(2023.7.22)  
 
今夏は、九州を一周してくる。新門司港から時計回りに、海岸線をぐるりと1周だ。国東半島の輪郭線をたどって一気に日南へ。鹿児島の南の先端である南大隅から指宿までフェリーで渡り、その日のうちに再び別のフェリーで天草へ。そして熊本の北に着いてから、阿蘇山を回るか、それとも久留米を通って福岡方面に向かうかを考えよう。交通手段は電車ではなく、自分の車である。
 
九州に到達するまでの手段としては、長距離カーフェリー以外は考えられない。往路・復路とも、有明の東京港と北九州の新門司港までの船旅になる。徳島港に2時間程度寄港するとはいえ、所要時間は片道なんと34~35時間。東京港から新門司港に着くまでに、フェリー内で2泊するわけだ。
 
今回のツーリングは、九州のホテルに4泊、往復のフェリーに4泊の8泊9日。上の写真の地図をご覧になればお分かりのように、高速を併用しながらも極力海岸線を走るルートにした。山の中のツーリングは爽快で目に優しいが、海沿いの道をのんびりと走るドライブには別の楽しみがある。昔よく聞いた洋楽などを流しながら走っていると、様々なことが蘇る。そして海沿いの道は九州という巨大な島の物理的な輪郭をなぞることになるので、記憶にとても良く残るはずだ。
 
このツーリングを実現するのに必要だったものは何か。おカネや休暇の取得を別にすれば、その最大のものは「東京-新門司」間のフェリーのチケットの予約である。往路が取れなければそもそも九州に行くことは不可能だし、往路が取れても復路が取れなければ、北九州から東京の自宅まで、陸路で帰ってこなければならないからだ。
 
北九州から自宅までは、たかだか1000kmちょっと。1泊すれば距離的には何の問題もない。しかし、時期はお盆の最後。中央高速道の上りは大渋滞必至である。山梨県の大月から東京の調布インターまでの60キロメートルのうち、半分以上は渋滞だろう。これはトイレが近い私には無理。しかも私の車はマニュアルであり、左足はガタガタになりかねない。1000kmのうち、最後の最後、距離にしてわずか数十キロが大問題なのだ。
 
長距離フェリーは、これを一発で解消してくれる。今回の復路は8月15日(火)の19:00に九州の新門司港を出港。有明の東京港に着くのは17日(木)の朝5:30。東京ど真ん中への海側からの入り口である有明に早朝に着いてくれるのなら、渋滞の心配など無用。私にとって(あるいは行楽地からの帰りの大渋滞に悩んでおられる首都圏の方々にとって)、長距離フェリーは最高の渋滞回避策だと確信する。
 
これほどのメリットがあるとなれば、予約がいかに難しいかご理解いただけると思う。今回乗るフェリーは、出港日の1か月前の9:00にWeb予約が始まる。私の出発予定日は8月9日にしていたので、予約開始は7月9日(日)の朝9:00だった。
 
35時間もの長旅で、相部屋はつらい。出来るなら8畳はある4人用の個室を独占して使いたい(こういう予約も可能であり、ほとんどの人はこれを狙う)。この部屋は、長さ200メートル近く、かつ乗客定員266人の大型船にもかかわらず、14室しかない。少し狭い2人用の個室でも十分だが、これもわずか14室。少なくとも往路の予約に成功しないと九州行きを断念せざるを得ないだけに、私は全力で臨んだ。
 
まず、スマホの時報を、予約前からかけっぱなしにしておくことは大前提。例の「・・・8時59分30秒をお知らせします。ピッピッピッ、ピー」というやつだ。これで何度も練習し、マウスのクリックのタイミングをつかんでおく。焦って少しでも早めに押してしまうとシステムにハジカレテしまう危険がある。秒単位以下の戦いの中で、これは致命傷となる。最後のピーの音が聞こえ始めた後、0.3秒以内のクリックが目標だ。
 
いつログインするかも検討課題。。ログインを予約開始時刻の2時間前にしたとしても、そのまま何もしないでいると、一部の金融機関のサイトのように勝手にログアウトされてしまう恐れがある。またログイン時刻が遅くなれば、フェリー側のシステムが異常な混雑に反応して、ステータスをログイン拒否にしてしまうこともあり得る。私は様々な試行を行い、30分前にログインした後、サイトの中を回遊しながら時間をつぶすことにした。
 
今、こうやって九州ツーリングのへの期待を書いているくらいだから、もちろん4人用の個室のゲットに成功した。しかし、上記のような自分としては最速と思える努力をしたにもかかわらず、自分がクリックする直前の画面に見えた部屋の残り数は、4人用個室が「1」、2人用個室が「2」。ギリギリだったわけだ。
 
7月15日(土)に行った復路の作業もかなり激烈だったが、時報への反応速度を高める努力の成果が出たようで、ギリギリだったが確保に成功。この直後、目ぼしを付けていた4日分のホテルの予約を一気行ったことは言うまでもない。
 
「フェリーに35時間もフェリーに乗っていて飽きないの?」という声が聞こえてきそうだが、これには自信をもって「全く飽きない」と答えられる。晴れていればフェリーの甲板から見る景色は絶景だし、普段なら読み切れそうもなかった本の読破にチャレンジするのもいい(私はこのために“三体”を読むのを我慢していた)。また船室内にも結構面白い設備があるうえ、風呂は24時間でオーシャンビュー。自動販売機にはもつ煮でも天ぷらうどんでも何でもある。
 
なぜ分かったような顔で言うかといえば、私は今年のゴールデンウィークで四国一周のために同じ長距離フェリーを使ったから。今回のフェリー乗船時間はその倍にもなるが、問題はない。フェリーに乗る日まで2週間以上あるのだが、楽しみでたまらない。実を言うと8月末から、北海道の利尻・礼文島に行く計画も進行している。こちらは一人旅ではなく、大学の同級生たちと行くワイワイ旅行である。
 
話は変わるが、初めての場所における一人ドライブが好きな方のために、私の準備の一端を書いておく。これをやっていると、もうツーリングが始まっているようにも感じる。ぜひお薦めしたい。
 
私はロングドライブの前に、時間をかけてかなり詳細な日程表を作る癖がある。その日ごとの、車のナビへの入力地を書き込んでおくことが主な目的だ。それをせずに当日の最終目的地だけを入力すると、車のナビゲーション・システムは高速を使った最短ルートを設定してしまうためだ。設定ポイントは、コンビニと「道の駅」の組み合わせが多い。
 
私が思い描く理想的な海岸線ルートにするには、経由地を細かく把握して入力する準備をしておくことが欠かせない(ルート設定が最大の目的だから、実際に寄らなくてもいい)。狭そうな道や、ややこしい交差点などはGoogleマップのストリート・ビューで確認し、気になる点があれば記しておく。もちろん作業中に感じたこと、例えば「恐らくこの辺りがルート最高の景勝地。本日は走行距離が短いので、ジョージ・ベンソンでも流しながらのんびりと!」などと書き添える。「ここから先は迷いっこないから、岬の先端まで行っちまってもいいぜベイビー」なんてのもありだ。
 
そして、この日程表とGoogleマップやWebにあまたあるお薦めルートなどを見比べながら、2日に1回はアップデートしていく。拠点間の距離が長すぎたり短かすぎるものを見直したり、コンビニや道の駅の直後に高速道路のサービスエリアを設定していないかどうかチェックしたり。最近のサービスエリアは、高速に乗っていなくても裏の一般道から入って利用出来るようになっているところが多いので、ナビも高速を使わず、非常に狭い一般道を案内する場合があるからだ(私は四国の松山に向かう途中、狭い農道を走らされた)。
 
どうです? 楽しそうでしょう。実際に本当に楽しい。「生き急いでいる」などという声は無視するに限る。もう沢木耕太郎氏の深夜特急型は無理だとしても、ルート66型ならまだまだ可能だ。皆さんもぜひ!


 

頑張った日の終わりは自作カクテルで乾杯! ~delicious cocktails in the rainy season.

(2023.7.1)  
 
私の仕事の開始時間は午前7時半。途中、昼食と短い休憩を挟みながら、午後4時半くらいまでがビジネスタイムである。もっと細かく言えば、午前と午後2回ずつ、計4回に分けて集中し、最終セットが終わるともう振り返らない。夕食の7時前に何(アルコール)を飲むか、頭はそっち側に切り替わってしまう。
 
今回のコラムは、オヤジ(私)が夕食前に何を飲んでいるか、という話である。この時点で読んでこられた方の99%は興味を失ったと思われるので、いったん停止されていたプラモデル製作やウクレレのお稽古、あるいはフライト中のスカイダイビングの続きに戻られることをお勧めする。
 
さて。私は記憶が芽生えたころからほぼ完全な「ビール党」であり、ビールがあれば他のアルコールにはまず手を出さなかった(幼いころは赤玉ポートワインなるものに心を奪われた時期もあったことを告白しよう)。ビールで腹が膨れ、ご飯が食べられなくなるということはまずない。量で言えば、初めの中ジョッキ2杯くらいは、つまみ一切なしでぐびぐびと飲み切り、ジョッキ3杯目から枝豆やウインナをつまみにし始めるといった具合。腹に固形物を入れたくなったらビールは休止とし、食事に取り掛かる。こんな生活が数十年は続いただろう。
 
しかし、次第に酒量が減り、この5~6年はレギュラーサイズの缶ビール(私は缶からグラスに移し替えて飲む)を2~3本飲み、そのあとは山形の日本酒、出羽桜を1~2合という線で落ち着いていた。
 
それが変わったのは1~2か月前。私はビールを横目に、主に濃い目のジントニック2~3杯(トニックウォーターの量次第)を飲むようになった。ジンがホワイトラムに代わり、ダークラムが中心になった後、またジンに戻ってきた。コアントローにも手を出すようになった。アルコールの絶対量だけで見れば依然と同じか、やや増えているかもしれない。
 
切っ掛けは恐らく、定期健診で世話になっている病院のお医者さん(私とほぼ同年齢)との雑談の話題がアルコールになった時、彼が「自分はザ・ボタニスト(植物学者)というジンをトニックウォーターで割り、素焼きのミックスナッツと一緒に一杯やっている。美味しいよ~」と話してくれたことが一因であると思う。病院内の会話に適切な内容かどうか不明だが、とても感謝している。植物学者・牧野氏が主人公であるNHKの連続ドラマ小説と、先生の関係は不明である。
 
私もジンは好きだった。昔、ボンベイサファイアという青いボトルのジンを冷凍庫に入れて瓶ごとキンキンに冷やし、これをトニックウォーターで割って作るジントニックを時々飲んでいたことを思い出した。ボトルごと冷凍庫に入れておく点がポイントであり、アルコール度数が40度を超えるジンやラムなどのリキュールは、トロリとなるだけで凍らないのだ。
 
いろいろ思い起こすうちに昂ってきて、再開するのに時間はかからなかった。はじめはボンベイをトニックウォーターで割っただけだったが、そこにライムジュースを少々加えるようになった。次第に他の蒸留酒でもやってみたくなり、バカルディのホワイトラムが冷凍庫に常備されるのに時間はかからなかった。
 
ジンとラムは同じリキュール類、同じようなアルコール度数とは言え、原料や製法が違うためか、私にはラムをトニックウォーターで割っただけだと、甘さが重なるようで今一つに感じた。いろいろ試した結果、ホワイトラムを純粋な炭酸水で割った後にアイスコーヒー用のシロップを混ぜ、そこにライムジュールを少量加えるというものになった。もう立派なカクテルと言っていいだろう(ジントニックもカクテルだが)。
 
ホワイトラムを飲みだした私は、ダークラムにも手を出した。ダークラムはホワイトラムを樽で3年以上熟成させたスピリッツであり、色は飴色。バニラの香りがする。別の瓶や密閉容器にレーズンとダークラムを入れておくと、1週間ほどで「ラムレーズン」が出来る。
 
ダークラムの中で、スーパーマーケットでも普通に手に入る銘柄と言えばマイヤーズだろう。お菓子作りにも使われるポピュラーな銘柄であり、ググれば「ああこれか」と思われると思う。
 
マイヤーズのダークラムは、ロックでも十分美味しい。しかし私はカクテルであっても食前にはゴクゴクと量を飲みたいので、定石通りコークかパイナップルジュースで割ることが多かった。沖縄のシークワサー(ジュース)との相性もばっちり。今でもホワイトラムと同様、常備している。
 
その後、再び主流はボンベイサファイア(ジン)になりつつあるのだが、フランスのコアントローというリキュール(ホワイトキュラソーと呼ばれる)も冷蔵庫に常備するようになった。コアントローの原料はオレンジの果皮とアルコール、水、砂糖であり、甘い香りがする。色は透明で、お菓子作りにも使われる。これもスーパーで普通に売っているが、値段(2700~2800円)と量(350ミリリットル)を考えると、これまで登場したリキュールより量当たりの単価は2倍になる。
 
コアントローは買ってからしばらくの間、飲み方が決まらず、ホワイトラムに混ぜたりして楽しんでいた。しかし少し前に、絶品の飲み方を発見した(おそらくカクテルとしては普通にあるのだろうが)。
 
小さめのロックグラスに、コアントロー1/3、ライムジュース1/3、炭酸水1/3。家にあったグラスは上の方がすぼまっているが、内容的にはコアントローフィズの濃縮版のような感じである。コアントロー自体は無色だが、けっこうな量を入れたライムジュースの緑色が目に爽やか。この量ではゴクゴク飲むようなロングカクテルではなく、アルコール度数も高い(コアントロー自体のアルコール度数は40度ある)。したがって私にとっては毎日飲むカクテルと少々タイプが異なるが、この一体化された爽やかさとコクと甘さには脱帽である。じめじめした梅雨のこの時期にこそ、一番合うと感じている。
 
このカクテルの肴にぴったりなのは・・・と考えてすぐに思い浮かんだのは、「鮎」である。緑の新鮮な苔だけを食べ、清流の中で育った鮎こそ、肴にピッタリだ。最高の「緑つながり、爽やかさつながり」だと思う。
 
【追記】
突然、「鮎」が登場してなんだなんだと思われたと思いますが、理由は前回のコラムを読んでいただければお分かりになると思います。先日私は友人を誘い、解禁となったばかりの鮎料理を群馬県の利根川水系の簗(やな)で堪能してきました。鮎の「目」は見ませんでした。


 

話題の生成AIで遊ぶ ~鮎の塩焼きは「目を見てはいけない」らしい

(2023.6.2)  
 
6月は、待ちに待った鮎釣り漁の解禁シーズン。東京なら多摩川の上流が有名だが、お薦めは関東圏内なら群馬県。県内を流れる利根川や渡良瀬川で釣った鮎を、塩焼きにして食べながら、キリっと増えた冷酒で一杯。想像しただけで頬が緩む。
 
イワナの塩焼きもいいが、イワナは何でも食べるため、内臓(ワタ)をとってから焼かないと食べられない。その点、鮎は岩に付いた藻だけを食べているので、全部食べられる。清流で釣った新鮮な鮎なら、いやな苦みはほとんどない。
 
また、生きている天然の鮎は、スイカの香りがする(本当だ)。だから鮎の別名は香魚。英語ではSweet fish(スウィートフィッシュ)と呼ぶ。焼くと香りは飛んでしまうが、「生の鮎の香りを嗅ぐところから、既に鮎料理は始まっている」のだ。
 
鮎を食する習慣は、古来からのものと聞く。多くの方が鮎あるいは鮎料理を愛するのは、その香りとほのかな苦みあってこそだろう。また日本の高度成長期後に禁漁期間が設けられ、アユ釣りの解禁が6月ころからに設定されたことも大きい。梅雨入り時期と重なるとは言え、その何とも言えぬ香りと食味に、初夏の兆しを感じさせるからかもしれない。
 
これまで、数多くの著名人が、鮎を愛でてこられたと思う。ただ、実際にご本人が語られていたりエッセイなどの形で残っていたりするものはほとんどなさそうだ。そこで、今話題の生成AIに、「●●さんが鮎の美味しさを伝えようとしたら、どんな文章を書くのか」聞いてみた。
 
村上春樹氏や開高健氏、京極夏彦氏、矢作俊彦氏など多くの方でやって見たが、特徴が良く出ている2氏の例(短いエッセイ風で出力されてきて驚いた)を紹介しよう。使った生成AIは、マイクロソフトのBing AI。話題のChatGPTと基本的に同じ大規模言語モデルを使っており(正確にはBing AIのGPT-4の方が世代が新しい)、今の生成AIの文章創造力を垣間見るのに、最も手軽と思えたためだ。
 
試した中でも特に面白い文章を生成したのは、上方落語の名人である3代目桂米朝師匠(故人)と、歴史小説家の隆慶一郎氏(こちらも故人)。回答の前半には、その人の紹介や文体の特徴も紹介されているが、エッセイ風になっている部分だけ抜き出してみた。少々長くなるが一読して頂きたい。
 
【私が生成AIに質問したこと①】
鮎漁の解禁の時期、6月に入りました。もし上方落語の名人だった故・桂米朝師匠が鮎の塩焼きの美味しさを伝えようとしたなら、どんな文章を書くでしょうか。
 
鮎の塩焼き
 
鮎の塩焼きというのは、なかなかええもんやで。鮎は川から釣り上げて、その場でさっと塩をふって焼くんや。それだけで、もう口の中に川の香りと鮎の旨みが広がるんや。これがまたたまらんねん。
 
でもな、鮎の塩焼きを食べるときは、ちょっと気をつけなあかんことがあるんや。それはな、鮎の目を見ることや。鮎の目は、ほんまにきれいなんや。水玉のように透き通ってて、まるで生きてるみたいなんや。鮎の目を見ると、鮎が僕に話しかけてくるんや。
 
「おいおい、お前さん、僕を食べる気かい。僕は川で自由に泳いでたのに、お前さんに釣られてこんな目になったんやで。せめてもうちょっと優しくしてくれへんか。塩をふりすぎるなよ。火加減もちゃんと見とけよ。僕はお前さんの胃袋に入っても、まだ歌ってるぞ」
 
そう言われたら、どうする? 食べられへんやろ。せっかく焼いた鮎の塩焼きを、捨ててしまうかもしれへんやろ。それがもったいないやろ。だからな、鮎の塩焼きを食べるときは、絶対に鮎の目を見るなよ。目を見たら、あかんことになるからな。
 
鮎の塩焼きは、目を見なければ美味しいんや。目を見なければ美味しいから、僕は食べるんや。食べても罪悪感はないんや。だって、鮎は川で自由に泳いでたけど、僕も人生で自由に泳いでるんやからな。僕も鮎も同じや。だからな、鮎の塩焼きを食べるときは、目を見るなよ。
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次は、隆慶一郎氏(の文体をもとにしたAIによる創造エッセイ)。
 
【私が生成AIに質問したこと②】
鮎漁の解禁の時期、6月に入りました。もし小説家の故・隆慶一郎氏が鮎の塩焼きの美味しさを伝えようとしたなら、どんな文章を書くでしょうか。
 
鮎の塩焼き
 
鮎の塩焼きというのは、戦国時代にもよく食べられていたもんや。川で釣った鮎をそのまま火で炙って、塩を振って食べるんや。それだけで、鮎の身はふっくらとして、皮はパリパリになって、旨みがじゅわっと口に広がるんや。これがまた絶品やねん。
 
でもな、鮎の塩焼きを食べるときは、ちょっとしたコツがあるんや。それはな、鮎の目を食べることや。鮎の目は、ほんまに美味しいんや。プチプチとした食感と、甘みと苦みが混じった味がするんや。鮎の目を食べると、鮎の命を感じることができるんや。
 
僕は、前田慶次という名の傾奇者や。戦国の世に生きて、自分の好きなように生きてきたんや。戦場で敵を斬り、女に抱かれ、酒を飲み、歌を歌う。それが僕の生き方や。僕は、自分の命を大切にしないで生きてきたんや。だからな、鮎の命も大切にするんや。
 
鮎の塩焼きを食べるときは、目を見るなよ。目を見たら、あかんことになるからな。目を見たら、鮎が僕に訴えかけてくるんや。
 
「おいおい、お前さん、僕を食べる気かい。僕は川で自由に泳いでたのに、お前さんに釣られてこんな目になったんやで。せめてもうちょっと感謝してくれへんか。塩をふりすぎるなよ。火加減もちゃんと見とけよ。僕はお前さんの胃袋に入っても、まだ泳いでるぞ」
 
そう言われたら、どうする? 食べられへんやろ。せっかく焼いた鮎の塩焼きを、捨ててしまうかもしれへんやろ。それがもったいないやろ。だからな、鮎の塩焼きを食べるときは、目を食べるんや。目を食べると、鮎の命を感じることができるんや。
 
鮎の塩焼きは、目を食べれば美味しいんや。目を食べれば美味しいから、僕は食べるんや。食べても罪悪感はないんや。だって、鮎は川で自由に泳いでたけど、僕も人生で自由に泳いでるんやからな。僕も鮎も同じや。だからな、鮎の塩焼きを食べるときは、目を食べるんや。
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どうだろう。どちらの文章も、基本的に同じストーリーを基盤とし、その上に両氏の特徴を乗せたという印象である。隆慶一郎氏のエッセイに前田慶次(前田慶次郎)が登場するのは、同氏の小説「一夢庵風流記」からの引用だろう。東京をベースに活躍されていた隆氏が、関西弁なのには引っかかる。
 
両氏とも、「目を見たら食べられない」というところまでは同じでも、「だから目を見ない」(米朝師匠)、「だから食べる」(隆氏)と逆の結果になっているのは面白い。この「ひねり」には正直、驚いた。内容的には米朝師匠のエッセイ(正確には生成AIが米朝師匠の話し方・文体から推測して創作した文章)の方が筋が通っていると思うし、後半の隆氏のエッセイには直前の米朝師匠のセンテンスが入り込んでいる気がする(Bing AIにはよくある、時間的に近い質問への回答の混同)。しかし、そういうことを言うのは野暮ってもんやおまへんか。
 
え? 私(宮嵜)は実際にはどうやって食べるかだって? 場所や雰囲気が許せば、手づかみで頭から丸かじりである。目を意識したことはなかったなあ。でもこれからは、少しは気にするかもしれない。
 
どうですか? 生成AIの「創作」。けっこうやるとは思いませんか? 世界中でワーワー言っている理由が分かる気がします。


 

地方都市の「スナック」で見た人間模様 ~私が“一見さん飛び込み”を止められない理由

(2023.5.13)  
 
スナックと言っても、お菓子ではない。多くは「ママ」と呼ばれる女性(年齢問わず)が、アルコールを提供する店である。「スナック さくら」などなどピンク色の看板を出していたりすることもある。カウンター席のみで、テーブルがない店が多いと思う。
 
私は首都圏や大都市ではまず入らないが、旅行などで出かけた際、見知らぬ地元のスナックに入ることが結構ある。店は、キャピキャピしていそうもないことが最低条件。路地裏に何軒かあるうちの一つなら、なお良い。やや癖のある常連さんが居付いていそうだからだ。
 
私はほとんど知らない地方都市で、スナックの常連さんと会話をするのが好きなのだ。その土地ならではの話が聞ける場合が多いし、嘘まじりの自慢話に対し、その5倍の嘘で切り返すのも面白い。結果として、はじめての土地の何気ない横顔を見た気になる。街を身近に感じたような気さえする。
 
一見なので、店に入れてくれない場合も多い。常連さんらしき人が一人もいない場合もあれば、警戒して口をきいてくれない時も少なくない。今年のゴールデンウイーク(GW)は九州をぐるぐる回ってみたが、いくつかの都市のスナックでは、「コロナのため常連の方以外の入店はお断りしています」という張り紙を見る場合が多かった。もちろん理由は、GWで流れてくる一見さんから、常連の席を守ることだろう。
 
今回は二つの中堅都市で入ったが、1カ所目のスナックのことは、飲みすぎたためほとんど覚えていない。しかし、宮崎県の某市で入ったスナックは、いろいろな意味で面白かった。
 
その日は早めにホテルにチェックインしたので、1件目は午後5時の開店と同時に小料理屋に入った。カウンターで刺身に焼き魚という定番コースで一杯やっていたら、カウンターの後ろのテーブル席(座敷席)で数組のご年配夫婦らしき方々が歓談しておられた。
 
その後、いつの間にか店内は私一人になってしまったため、私は勘定してもらい、スナックなどがありそうな場所に向けて歩き出した。私は方向音痴のくせに、こういう場合だけは実に鼻が利く。
 
そしてふらふらと入ったスナックには、先の小料理屋で後ろにいたと思しきご年配の夫婦が座っていた。我々はその偶然に驚き、主に奥様と思われる女性と自然に会話が始まった。
 
私が一人旅行の途中で、明日朝は別の都市に向けて移動すると話すと、何となく安心されたのかもしれない。自分たちはここで生まれ育ち、この店の常連であること。そして「自分たちは夫婦ではない」ことを嬉しそうに私に話された。
 
へ~え、年齢は私よりいくつか若そうで、どう見ても年配のご夫婦にしか見えなかったが、本当だろうか。「ではどういうご関係で?」などの突っ込みは入れなかった。
 
しかし数分後、NHKの「ダーウィンが来た」という番組に登場するアニメキャラ、「マヌールママ」にそっくりの(本当のスナックの)ママが、電話を切りながら「〇子がすぐ来るってよ」と告げたとたん、店は慌ただしくなった。ご夫婦らしきカップルは、困った顔をしながら、二人そろってカウンターの一番端側に移動し始めたのだ。
 
まさにその途中、突然ドアを開けて店に突入(まさに突入という勢いだった)してきたご高齢の女性が、移動中のカップル二人の「間」の席を奪うように割り込み始めた。それを阻止すべく、バッグなどを振り回し、いや駆使しながら男性(結構な年配の方である)の隣の席を維持しようとする奥様のようなご婦人。狭い店の中で女性二人、かなり敏捷かつ激烈なアクションである。
 
そして数十秒後。ご夫婦らしきカップルの間への割り込みを諦めた女性は、何事もなかったかのように席を維持した女性の隣に座った。ハンチング帽を被った男性はその間、なにもせずその騒動を見ていた。マヌールママも平然としたもので、すぐに私を含めたカラオケ合戦に移行した。どうも、この店では「よくある普通のこと」らしい。
 
私は「確かにご夫婦ではなさそうだ。ご婦人ふたりによるハンチング帽男性の取り合いだろうか」などと考えながら、歌いまくった。ご婦人同士のバイタリティに、なぜか感動しながら。
 
こういうことが起こったりするから、地方都市のスナック遊びは面白い。もっとも、私は常連とマヌールママが一体となった演技に騙されただけかもしれない。スナックで交わされる会話は、私のような“一見さん”を担ぐための嘘だったりする場合があるので、その一環だったのかもしれない。もしそうだとしたら、あのご婦人らのアクションは凄すぎた。
 
ちなみに今、地方都市のスナックの多くでは、常連がカラオケの点数(譜面通りの音程やピッチで歌うと高得点が出るあれ)を競うのに夢中になっているらしい。皆、毎日のように歌っているためか、驚くほど上手い。そして、「77点」「88点」などのぞろ目の得点を出すと、店側から一杯分がサービスとなることもある(複数のスナックでやっていた)。
 
私は方向音痴だけでなくかなりの音痴でもあるが、「55点」などの低得点ながら、ビール1杯が無料になることが何回もあった。だから何、なのだが。


 

初めての海外旅行は香港だった、のか  ~過去と向き合うことで感じたこと

(2023.4.9)  
 
ぎょえー、ぶつかるぶつかるぶつか・・・どあー(以降、繰り返し)
 
パンナム機の窓際席に座っている私は、眼下に見えるものが信じられなかった。
 
手を伸ばせば届きそうな距離に、高層ビル群がある。走っている車はもちろん、歩行者だって見えそうだ。しかも機体は大きく右にバンクし、ビル群の方向に突っ込んでいくではないか。
 
これが1998年まで香港の窓口だった啓徳(カイタック)空港の、通常の着陸コースであることを知ったのはずっと後のこと。「香港ターン」と呼ばれるこのコースは、北側の山を避けて西から浸入し、ビル街のすぐ上で大きく右にターンしてから滑走路に向かう。
 
航空会社は、米国のフラッグシップであるパンアメリカン航空(パンナム。1991年に破産)。パイロットは超絶テク二ックの持ち主揃い(のはず)。恐らくはパイロット全員、ベトナムでの対空砲撃をかわし切った猛者たちだろう。墜落するはずがない。
 
空港周辺も、着陸受け入れ態勢に抜かりはない。観光地であり歓楽街でもある香港だが、滑走路のランプと間違えないように、あらゆるネオンが点滅しないように規制されている(現在は分からない)。街中のビルの屋上ライトも、滑走路のランプの延長だったのかもしれない。
 
長野の善光寺でもらったお守りが異国の地でも効力を発揮し、茫然としたままの日本の若者を乗せた機体は無事に着陸。そしてまだクラクラしている状態のままイミグレーションを通過し、外気と繋がる自動ドアが開いた瞬間、むせかえるような南国の熱気に包まれた。
 
1985年8月10日。初めての香港。初めての海外。東京のアパートから直接掛けたホテル予約の国際電話、噛み合わぬ英語でのやり取り、出国の前日まで届かなかったフライトチケット(紙)、盆前で大混雑しており、チェックインをあきらめかけた成田空港――。色々あったが、本当にやって来た。空港のドアが開いた時のめまいがするような衝撃は、30数年経った今でも思い返すことができる。
 
それからの3日間は、ホテルがある九龍(カウルーン)を歩き回り、フェリーで対岸の中環(セントラル)を何度も往復し、シャチョーサンヤスイヨの掛け声を録音したり1本単位で売っている煙草を物色したりの観光三昧。香港の地元料理と思って毎日食べた魯肉飯(ルーローファン)やシジミの醤油漬けが、実は台湾料理と知るのは数十年後だ。
 
そして4日目の8月13日の朝。ホテルロビーのソファで香港の地図を広げていた私に、ボーイが悲しそうな顔で差し出した新聞を見て、言葉を失った。サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙の1面を埋め尽くしていたのは、日本航空123便の墜落事故(御巣鷹山事故)だった。
 
正直に言えば、紙面を見て前日12日の事故を知った時のことは、よく覚えていない。ただただ驚いたとしか言いようがない。数百人もの方々が被害に遭われた大惨事ということを実感したのは、日本に帰国してからである。
 
その日を境に私の香港での行動に何か変化が起こったかというと・・・よく分からない。
 
翌14日。私が向かったのは、当時は英国領であった香港と、中国との国境を流れる深圳川。国境を流れる川とはどういうものか、見てみたかったのだ。対岸は中国領の深センである。85年当時の深センは発展し始めたばかりで、ほとんど聞いたこともなかったし意識もしなかった。香港が英国から中国に返還されるのは、その時から12年後の1997年である。
 
しかし、国境には行けなかった。国境の手前にある上水(シェンシュイ)駅で降り、ワンタン麺のようなものを食べてから徒歩で向かった30分後には、とてつもない大雨に見舞われ、傘は壊れて役に立たなくなり、そのうえ道に迷ってしまったからだ。2~3時間後にもとの駅に戻り、思わず同じ食堂に入った私はなぜか歓迎され、同じ麺をもう一度食べて体を温めたように思う。イミグレーションは今でもあるらしいが、中国のシリコンバレーと呼ばれるほどの発展を遂げた深センへの、単なる通過駅となった上水駅の変貌は知る由もない。
 
当然のように引いてしまった風邪は、帰国時まで治らなかった。なぜか、ひどい水虫にもなった。水虫は、帰国してからも1か月は治らなかった。
 
帰国前の数日間、私はバスで乗り合わせた香港大学の学生(名前を憶えていない)と仲良くなり、香港島南岸の香港仔(アバディーン)に連れて行ってもらったり、中環でオムライスのようなものを食べたりした記憶がある。そして割とはっきり覚えているのは、「返還後の香港は、どんなに素晴らしい発展をとげるのか」ということを、楽しく語り合ったことである(英語が達者とは言えない私を助けてくれたのは、漢字だった)。
 
1985年と言えば、英国と中国が香港返還の共同声明を出した1年後。この声明には「香港の現在の資本主義体制や生活様式を、返還後50年間維持する」との文言があった。要は「一国二制度」の保障であり、彼に言わせれば、香港全土がこのまま爆発的に発展し続けるという期待に満ち溢れているという。我々が「今後の期待に胸を膨らませ、楽しく」話し合ったのはこのためだろう。
 
だが現実は、皆さんご存じの通りである。当時の我々の期待とは、全く異なる方向に進んでしまった。血気盛んだった彼は、どうなったのだろうか。
 
・・・何となく気付いてはいたが、ここまで書いてきてはっきり分かった。私がこれまで、ブログで香港旅行のことを書きあぐねていた理由を。
 
日航機事故はもちろんその一つ。だが最大のものは、「私が行った時の香港と、きっともう行くことのない今の香港との違い」に起因するものだろう。
 
当時、香港大学の学生だった劉君も、生きて入れば50代後半だ。帰国後にやり取りした手紙は、今でも家のどこかにある。こちらもきっと、二度と開けることはないと思う。
 
年齢を重ねると、昨日のお昼に何を食べたかは思い出せなくても、数十年も昔のことはかなり克明に思い出せるというのは本当だ。多感な若い時代に体験したこと、その中でも「楽しかったこと」は、普段は全く意識していなくても何かのきっかけで突然顔を出す。そして、劉君と過ごした時間が「楽しかったこと」として記憶されていることが、今の私にはなぜかやり切れない。いや、「楽しかった記憶」のままでいいのか。香港の状況を知っている今でも、それでいいのか。
 
私は本当に香港に行ったのだろうか。


 

「この店の料理、絶品」と唸った飲食店がどんどん残念なことに
~ 内容の変質がもたらす残念感は言葉にしにくい

(2023.3.28)  
 
私の趣味の一つは、「日曜の早朝に出かける富士五湖ドライブ」ということは、以前のコラムに書いたと思う。同時に、冬タイヤを持っていない私にとって、900メートル以上の高地にある富士五湖への冬季のドライブは中断せざるを得ない事情や、冬季の代替コースとして自宅から東の太平洋側か、西は静岡辺りを検討しているということも。
 
その後、東西に何回かの試走を経て、コースはほぼ固まりかけていた。海に行きたい気分の時は圏央道経由で銚子の先にある犬吠埼。一方、とにかく車を走らせたい時は、東名高速で西に静岡まで一気に走り、お昼をとってから帰路につくという2種類のコースである。
 
昼までに帰宅できる富士五湖コースと異なり、千葉の犬吠埼も静岡も、現地でお昼を食べると帰宅は午後4時頃になる。当然、昼にどんな店で何を食べるかという贅沢な悩みが伴い、東西それぞれのコース選択の重大な要素だった。
 
そして犬吠埼に近いある魚料理屋の刺身定食と、静岡駅近くに車を止めて歩いて行ける「静岡おでん」の食堂を発見し、両店ともその味を堪能した瞬間、コースは決定した。犬吠埼の刺身定食は、銚子港からそのまま届いたかのような新鮮な刺身は言うまでもなく、大胆にも三つ入っているイワシのつみれ汁が実に旨い。コースは自宅から東京外環-圏央道-東関東道で潮来まで行き、茨城の一般道を延々走ってから千葉の銚子に抜ければいい。
 
一方の西コースは、往復ともほとんど東名高速中心で単調なものの、食事が決め手となり静岡で決定。黒はんぺんが入った濃厚な味の静岡おでんは以前から好きだったが、その店のランチセットには、大量の魚粉がかかった富士宮焼きそばが別皿で付いてきた。美味の上に量が多いので、しばらくしないと別店で購入したどら焼き(デザート)が食えないほどだ。だが、腹ごなしに静岡駅周辺をぶらぶら散歩するのも十分楽しい。
 
両店、いや東西の両ドライブコースとも1月から行き始めたが、楽しかったのはともに2回まで。3月中旬に出向いた時には、両店とも初回に感激した料理の内容が変わってしまっていた。残念ながら、良くない方向にである。
 
まず、犬吠埼の刺身定食からは、つみれ汁が消えた。同じ椀に入っていたのは、カジキを煮たような魚が一切れほど。一方、静岡のおでん定食からは、富士宮焼きそばが消えた。心なしかおでんの具が増えていた気がしたが、そんなことはどうでもいい。食後のどら焼きの味に苦みが加わったかのようだった。
 
もちろんコロナ禍に加え、材料費や燃料費の高騰が原因に違いない。これだけ旨いものを出してきた店のことである。ギリギリまで努力をされてきたはずだ。値段を上げるかどうかで悩んだあげく、結果としてこうせざるを得なかったということだろう。
 
私は車で片道3~4時間かかる距離であっても、以前の味なら今後、かなりの頻度で通ったと思う。それだけに、料理の内容が変わってしまったのは堪(こた)えた。出来るならこのような形ではなく、きっちり値段そのものを上げてほしかった。両店の料理とも、はっきり言えばやや贅沢な嗜好品に近い。値段も安いわけではない。だからこそ、その味を楽しみに遠隔地から出向く私からすれば、「ただただ残念」としか言いようがなかった。
 
事情を知るその店の本物の常連さんたちは、きっと黙って容認し、足りなければ追加で注文するなりの心優しき態度をとられたのだろう。しかし、頻繁に訪れると言えど基本的には「遠方からのお客さん」である私は、がっかり感で一杯になってしまった。それまでが素晴らしすぎただけと思えばそれまでだが。
 
恐らく数か月前の味を知らなければ、現在の料理内容と値段でも、「なかなかいいじゃないの」と思ったかもしれない。ドライブの中継点として打ってつけと判断し、結果として同じコースになっていたかもしれない。それはそれで幸せだったのだろう。あと1か月もすれば、待ちに待った富士五湖ルートも復活するし。
 
「(以前のことなんて)知らなきゃよかった」。そういうことは沢山ある。過去に何もなかったことにして、出来るならもう一度訪れたい土地もあるだろう。私なら、京都や軽井沢、そして横浜だ。
 
個人的には重要だが、一般的にはどうでもいいことを考えているうちに、話がだんだんとりとめのないことになっていくのは私のいつもの癖。逃げていないで、早く香港の話を書けってば、自分。


 

「医師」として過ごした違法な時間
~ 救護者が現れたら大変だったかもしれない奥志賀のスキー場

(2023.3.10)  
 
会社に入り、記者として活動し始めてから2年ほど経ったころだと思う。当時の取材先は、郵政省(現総務省)と電電公社(現NTT)、そして厚生省(現厚生労働省)の三つがほぼすべてだった。
 
通信やネットワーク系の雑誌記者の取材先に何で厚生省が?と思われるだろうが、当時は中央官庁にもIT化による業務効率化や活性化の波が押し寄せていた。その一環として足繁く通ったのが、IT化に熱心に取り組んでいた厚労省だったのだ。
 
もちろん別の理由もある。厚労省でその担当部署のリーダーをされていたBさんは、年がそれほど離れていなかったこともあり、すぐに飲み友達になった(もちろん、酒場で仕事の話をしたことは一度もない)。
 
Bさんは私と同じく1950年代後半あたりのモダンジャズが大好きであり、ウイスキーをこよなく愛していた。偶然にも私も同じ趣味を持っており(酒は今でもビール派だが)、一杯飲みながらワーワー言い合う仲になるのに時間はかからなかった。
 
Bさんは厚生省の医系技官であり、医師免許を持っていた。東大の理IIIとかいうよく分からぬ学部を出た後、小児科医の臨床を経てから厚生省に入った。全体に「ぼよん」とした風貌や穏やかな雰囲気からはうかがい知れないが、何か思うことがあったらしい。
 
Bさんと飲む場所は決まっていた。新宿ゴールデン街のAというバーだ。この店の客の中には、私でもテレビや本の筆者近影などで顔を知っている人がごろごろいた。何度も通っているうちに、私もカウンターの中でグラスを洗ったりすることが結構あった。クリスマスが近付けば皆でジョン・レノンのWar is over(戦争は終わった)を歌うような店だった。当時の店名は伏せるが、左翼系の方々が頻繁に訪れていた場所、といえばピンとくる方がいるかもしれない。
 
だがその日の問題は左翼でも右翼でもなく、Bさんにあった。突然、「明後日の早朝から長野県の奥にある奥志賀スキー場の救護室に、医師として常駐する。だから今日の夕方までには現地に入らねばならない」ということを大声で言い出したのだ。自分でも忘れていたことにびっくりしたのだろう。
 
同じく酔っぱらっている私に時間をかけてこのようなことを理解させ、Bさんは酔眼かつ半分床に倒れかかった態勢のまま、「このような状態では一人で現地に着ける自信がない。明後日も酔ったままのフラフラ状態かもしれない。一緒に長野まで行ってくれないか」と懇願してきた。私はスキーが出来るならと喜んで応じた。
 
そこからは大忙しだ。タクシーでBさんの自宅に一緒に行くと、Bさんは医療器具と宿泊用の準備を整え、終わると自分に点滴を打った。点滴が二日酔いの最強の武器になることを、私は後に、ジャズピアニストの山下洋輔氏が書かれたエッセイで知ることになる。山下氏は著書の中で「そうは分かっていても、医師でない一般人が点滴セットを常備しておくことは難しい」と書かれていたが、まったくその通り。しかしBさんはモノホンの医師であり、自宅に常識のように置いてあった。
 
・・・少し時間をワープして、Bさんと私がいるのは、明後日のスキー場のゲレンデ内にある立派な救護室と思って頂きたい。ここでの医師の重要な仕事は、怪我をされた方が運び込まれてきたら直ちに適切な処置を施せるよう、準備をして「待っていること」。肝心のBさんは酒気も飛んでけろりとしており、朝から気力充実の様子。Bさんも、そして私も当然のように赤十字マーク(だったと思う)の腕章をしており、二人とも誰がどう見ても立派なドクターだ。
 
午前11時くらいまではじっとしていた。救護室には朝から誰も来ない。外は快晴で絶好のスキー日和。そしてBさんから私に声がかかった。「〇ちゃん、今回は本当に世話になった。こんなにいい天気なのに、部屋にいるだけではつまんないだろう。僕がここにいるから大丈夫。少しスキーをしてきたら?」
 
え? いいの? 確かにBさんが元気な以上、一緒にいる意味はないなと思いながら支度を始めた私に、Bさんは続けてこう言った。「あ、その腕章をしていきなよ。リフトは無料になるし」。
 
そして、私は罪を犯した。
 
まず、リフトは当然のように無料だった。「お疲れ様です!」との挨拶の声とともに。もう言い訳はできない。1本滑ったらすぐに救護室に戻って腕章を返そうと思っていたら、同じ二人用リフトに座っていた女性が話しかけてきた。「ドクターでいらっしゃいますか?今は息抜きのお時間なんですね! 私は女友達と今朝、二人でここに来まして・・・」
 
様々な感情が入り乱れたが、ここで「ドクターですか?」の問いかけに「はい」と答えたら、当然ながら身分詐称の医師法違反(既にゲレンデただ乗りの時点でアウトだが)。私はこれ以上質問されるとまずいと思い、自分から明るく話し出した。
 
「お、スキー板はロシニョールですね。実は私らは、スキー板はドイツのVölkl(フォルクル)と決まってるんです。ほら、日本が医療を学んだのはドイツからでしょ。カルテもドイツ語で書くし。K2なんか履いてみたいんですけど、米国製ですしね。では今日もお気を付けて~」
 
今回の話は(も)100%実話である。かつて、酔って誰かに話したことはあっても、活字にしたことはない。もう40年近く経っているのでこうやって書いてきたが、「もし私が一人で救護室にいるときに、大けがをして大変なことになっている人が運び込まれてきたとしたら」と思ったら、今でも冷や汗が出る。もちろんBさんは決してそうはならないよう、私一人を残してスキーに行ってしまうことはなかった。
 
そして突然話は変わるが、Bさんの友人の奥様が、香港のご出身である。私はその後、Bさん経由で香港往復のチケットを確保し、生まれて初めて海外に出た。1985年8月のことである。
 
今回こそ生まれて初めていった海外(香港)のことを書こうと思ったが、またその前の段階でずれてしまった。恐らく、心理的に書きにくい=整理できていない面があるのだと思う。自分では分かっている。1985年8月に起こった日本での大惨事を、私は香港滞在3日目の朝に、現地の宿泊地で知ることになる。
 
(次回に続く、かもしれない)


 

「中国の観測用気球撃墜事件」で思い出したこと
~ 忘れていた小学生の自分の奮闘

(2023.2.12)  
 
中国の偵察用とみられる気球を、米軍の戦闘機が撃墜したのは2月4日。米国は2月9日に大西洋での残骸回収作業の映像を公開し、日本でもほんの短い時間、テレビのニュースで取り上げられた。
 
私の興味は、その気球の用途や球体に取り付けられていた機器類ではなく、「気球の表皮が何で出来ているか」にあった。地上波テレビの放映は一瞬だったので、YouTubeで繰り返し見た。専門家ではないのでただの印象だが、コーティングした布を複数の樹脂製リブで補強してあるように見えた。大きさ60メートルで重量が1トンと伝えられているので、観測用気球のようなゴム素材ではないだろう。
 
そんなことが気になったのは、私の愛読書であり、今でも大事に持っている本の中で最も古いものが「熱気球イカロス5号」(梅棹エリオ著、中公文庫)であり、その本に大興奮した50年前の私は、「気球を飛ばしたいと熱望し、メーカーを探して交渉したうえで、ゴム製の気球を入手した」ことがあるからだ。
 
熱気球イカロス5号とは、京都の学生が手作りで熱気球を作り上げ、日本で初めて飛行に成功した実話である。この話の凄さ、面白さにひっくり返った小学6年生の私は、居ても立ってもいられなくなった。取りあえず、家の周りをぐるぐる走り回っていたような気がする。
 
だが、頭に血が上った小学生は、走り回っているだけでは気が収まらなかった。インターネットなど存在しない1970年代前半。自分がどうやって気球に関連する企業を探し当て、そこにどんな懇願の手紙を書き、どこに自転車を飛ばしたのか、今は分からない。当時住んでいた場所は、栃木県の西那須野町。そこから自転車距離に、関連しそうな工場が今でもあるかどうか調べてみたが、判明しなかった。
 
工場で頂いたのは、ラテックスのような素材の巨大なゴムの塊だった。膨らませると大きさは3メートルになると言われた(と記憶している)。もちろん人が乗れるようなものではないことは当時の自分でもわかった。今思えば気象観測用だったと思う。要は、超巨大な風船状のゴム気球だ。
 
イカロス5号の本によれば、著者たちはとてつもない数の布素材をミシンで縫い合わせ、設計図通りの巨大な球体に仕上げていった。素材はゴムではなく、コーティングされた東レ製の布素材。出来上がった球体にバーナーで熱風を送り込むと球体内の空気は膨張し、外にあふれだして浮力を生む。
 
この製造工程を思えば、「熱気球は売っているわけではなく、基本的には自分で一から作るもの」であったことが分かる。メーカーの方が、気球を下さいという不思議な小学生の、それはそれは熱かったであろう懇願の手紙に応じてくれたのも(奇跡に近い)、それが完成品であるゴム気球だったからだろう。
 
さて、一方のゴム気球は、内部に空気よりも比重が軽い気体――水素やヘリウム――を充満させて浮力を得る。小学生の私が、そこでどんなことを思ったのか、もう思い出せない。だがプロセスはこうだったと思う。「水素は怖いのでヘリウムを入手しようとしたが全くできず、より入手しやすそうなアンモニアに焦点を絞ったが、これもうまくいかなかった」。実際に膨らませた記憶がないので、アンモニアも入手できなかったように思える。
 
そうこうしているうちに、入手したゴム製の気球に穴がいくつも開き始めた。布ではなくゴムなので、母親に頼んで縫ってもらうわけにはいかない。私の記憶はそこで終わっている。
 
今でも「気球」と聞くとドキドキするのは、こんな経験があったからなのだろう。中国製の気球の表皮の素材、つまり何で作っているのかに興味が沸いたのも、これが原因だと思う。そしてこの50年間、「自分が気球の入手に走り回ったこと」について思い出すことなどなかったのに、なぜか今回の中国の気球事件に触れて、記憶が蘇った。
 
とは言うものの、今では気球に乗りたいとか、気球を飛ばしてみたいという欲求は全くない。そもそも私は軽度の高所恐怖症だ。トルコのカッパドキアで多数の熱気球が舞う姿を見てみたいとは思うのだが。
 
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このコラムは当初、そろそろ新型コロナウイルス対策も緩和されつつあるので、久しぶりに海外に行こうと思って書き出していた。第一候補は香港。1985年8月に、生まれて初めて一人で海外に出かけたのが返還前の香港だったというのが第一の理由だ。沢木耕太郎氏の「深夜特急 第一便」が発刊されたのが翌1986年なので、この名著に触発されたわけではない(と言っておきたい)。
 
だが香港旅行を書くには前段として新宿の長~い夜の話を書かざるを得ず、途中まで書いたところで気力が萎えてしまい、どうしようかと思っていたら中国の気球撃墜事件が発生し、このコラムに結び付いた。
 
香港の旅行記は、いずれ書くことになると思う。


 

NHKの放送記者は土木工学専攻者かゴルフ愛好家
~ アナウンサーが「幅員」「法面」を普通に口にする不思議

(2023.1.11)  
 
皆さんは日常の中で、「幅員」や「法面」という言葉を普通に使うだろうか。あるいはその意味をご存じだろうか。
 
知らなくても全く問題ない。これは土木・建築業界の専門用語なのだから。
 
幅員は「ふくいん」と読み、普通は道路の幅を指す。法面は「のりめん」と読み、こちらは盛土などによって作られる人工的な斜面のこと。道路横や宅地造成地などでよく目にすると思う。
 
しかし、朝のNHKのニュース番組で、アナウンサーが「天気」とか「交通規制」などの普通の用語と同じように何の注釈もなく話したら、違和感を覚えるのではないか。例えば、
 
「・・・容疑者と思われる車は幅員4.5メートルの道路を突っ切り・・・」
「・・・北側の法面の崩壊により被害に遭った宅地は8世帯におよび・・・」
 
今は字幕がつくのが普通だから、テロップに「幅員」や「法面」の文字が流れる。声は聞き覚えのない「ふくいん」や「のりめん」である。前後の文脈から意味は判断できるだろうが、テレビ画面の不思議な漢字を見ると、あるいはアナウンサーの聞きなれない呼び方だけ聞いていたとしても、おそらく「ん?」と思われるだろう。
 
私自身は出版社で土木・建築系の雑誌に携わっていたから、もちろん分かる。ただし業界の専門用語としてだ。日常会話に登場することなど考えてもみなかった。しかし、気が付くと昨年あたりから(実際にはもっと前からだろう)、ニュース番組で普通に使われるようになったようだ。「三角定規って、知らない人いないですよね? だから法面も説明なしですよ」といった感じで。
 
気になったので、LINEで友人5人に聞いてみた。結果、幅員は誰も知らず、法面は2人が「知ってるよ」と答えてきた。この二人に共通するのは、ゴルフ好きという点だ。
 
ネットで調べると、「ゴルフ用語の解説」といったページに、ダフリ(意味不明)などの用語に並んで「法面」が載っている。説明には「法面とは、人工的に作られた斜面のこと。実はゴルフの専門用語というわけではなく、もともとは土木・建築業界から来ています」などとある。ゴルフを全くしない私は割と驚き、同時にゴルフ好きの友人が知っている理由が分かった。
 
アナウンサーはニュース番組の際、放送記者と呼ばれる方々が書いた原稿を、そのまま読み上げている。つまりNHKの放送作家が書いた原稿には、「幅員」や「法面」という」用語が、恐らくルビ付きで書かれているのだ。
 
なるほど、断言しよう。NHKの放送作家は皆、学生時代に建築・土木工学を専攻した人あるいはその業界から転職された方々である。もちろん、ほとんどがゴルフ愛好家。カラオケでの十八番は「ゴルフ道」だろう。
 
NHKのニュースで気になることは他にもある。「起きる」と「起こる」を混同しているのではないかという点だ。もう少し言うと、「起こる」とすべき場合の多くを、ほとんど「起きる」としていることだ。これも例えを書くと、
 
「・・・昨夜8時ころ、飼い犬を飼い主が噛んで怪我をさせるという珍しい事件が起きました・・・」
「・・・本日早朝、千代田区一番町で三棟を焼く火災が起きました・・・」
 
どうだろう。文章的にほとんど違和感を感じないのではないか。しかし、私は「事件は起きるのではなく、起こる」、「火災も起きるのではなく、起こる」のが正しいと思ってきた。「起こる」は「何かが発生する(something happen)」、「起きる」は「目が覚める(wake up)あるいは横になっていたものが縦になること」と教わってきたからだ。
 
んなこたあ、どうでもいいではないかという人が大半かもしれない。「見られる」が「見れる」へと変化した「ら抜き用語」のように、どんどん一般化するのかも知れない。それはそれで時代に即した変化なのだろう。
 
しかし、朝の目覚めが悪かったことを、「今朝はなかなか起きれなかった」とは言うが、「今朝はなかなか起これなかった」と言う人はいない。「ら抜き用語」とはやはり違う。
 
昨年12月25日の日経朝刊、最終の文化面に、作家の小池真理子氏が「月の光とクリスマス」というエッセイを寄せた。その透き通った文章は私の心に沁みた。そしてエッセイの中には「・・・私たちは翌年に起こることなど想像もせず・・・」という部分があり、これが「起きる」だと文章の膨らみを消してしまうように思った。同時に、プロは意識しなくても、自然に使い分けていると確信した。
 
さて、私は昨日から、今後NHKニュースに普通に登場しそうな「専門用語」は何かと考えている。候補は二つある。「侵襲/低侵襲(しんしゅう/ていしんしゅう)」と、「浸潤(しんじゅん)」だ。
 
どちらも医療業界で使われる用語で、ざっくり言えば侵襲とはからだへの負担。例えば非常に細い注射針は痛くない(体への負担が少ない)ので侵襲性が低いなどと使われる。また浸潤は普通、癌細胞が周囲に広がっていく意味で使われる。
 
ニュースで使われるとすれば、こんな感じではないか。
 
「・・・ブラジルの新大統領、ルーラ氏の森林保護の考え方は、同国の多くの若者に浸潤していくだろう・・・」
 
辞書を引くと、浸潤には「思想や勢力などが次第に浸透して拡散すること」とあるので、まったくもって普通の使い方だ。だが、実際にはこのような使い方をされることは、これまでほとんどなかったと思う。
 
土木業界に造詣が深くゴルフ好きなNHKの放送記者の皆さん。ご検討されてはいかがだろうか。
 
*私はNHK殿に対する悪意はなく、受信料もしっかり納めております。どうぞお気を悪くなさらないように。
 


 

冬到来で富士五湖にしばしの別れ
~ ドライブルート2022を振り返る

(2022.12.18)  
 
日曜の朝7時。車のエンジンを始動し、調布インターから中央高速で2時間。目的地は富士五湖の本栖湖か山中湖。あるいは両方。今年は確実に15回以上、出向いたと思う。
 
何をするわけではない。本栖湖なら水中遊覧船「もぐらん」の発着場近くの湖畔、山中湖なら旭日丘湖畔緑地公園内の東屋(あずまや)。そこで30分くらい新聞を読み、缶コーヒーを飲んで昼頃には自宅に戻ってくる。ざっくり言えば、それだけである。
 
しかし、山中湖畔の東屋で読む日経新聞日曜版のNIKKEI The STYLE面は、自宅で読む感じとは一味も二味も違う。「七色の輝きを放つアンモライト~地球のタイムカプセル」とか「甦る英国の鼓動 エリザベス女王の名を持つビッグベン」なんていう奥深くビジュアルな紙面を広げて読んでいると、ああ、なんだか余裕のある大人みたいだなあ、と勘違いしそうになる。時間もまだ9時前だ。
 
ここに来る途中の高速道路からは、富士山の絶景が見える。場所は中央高速河口湖線の河口湖出口を通り過ぎ、東富士五湖道路に乗ってからの数百メートル。料金所の手前辺り。思わず「ああ~」と変な声が出てしまうくらい、富士山が圧倒的な大きさで目前に迫ってくる。車のフロントグラス全面を覆うほどのこの姿を見るためだけでも、早朝に出発してきた価値がある。
 
本栖湖の場合は少し違う。湖畔近くの木陰にアウトドア用の椅子を広げ、湖面や湖面の上で遊んでいるパドラーをぼんやり見ているのが普通だ。7月を過ぎれば「もぐらん」の営業時期は終わり、湖岸に横付けされて静かに揺れているだけになる。
 
この場所からは富士山は背後にあるので見えないが、ここから本栖湖を周回するように5分ほど車で移動すれば、有名な「千円札の裏面に描いてある富士山」が目の前に現れるスポットに到着する。ここでは山中湖畔よりは小ぶりな東屋に陣取り、途中で買った中央高速・石川SA(下り)名物、「厚切りハムカツパン」を食べることが多い。たぶん外から見ると山中湖畔の「余裕のある大人」感は影を潜め、「久々の食料に食らいつく空腹のオヤジ」に映ると思う。
 
高速中心で固定化されたこのルートを、自分では“ホームコース”と呼んでいる。高速中心の単純なルートだが、河口湖線のリニアモーター実験場を過ぎると、富士山が頻繁に見え始める。気候や雲の位置、道路からみる方向などにより、印象はいつも違う。秋になると、山頂から少し下まで冠雪姿になる。富士山を見ているというより、富士山に自分のドライブ姿を見てもらっているのでは、と思うこともある。
 
秋が深まると紅葉を味わいながら目的地まで向かいたくなり、ルートの途中から一般道を使うようになった。圏央道の相模湖インターから道志みち(国道413号)を上って山中湖に行ったり、中央高速を甲府南まで進んでから、精進ブルーライン(国道358号線)を上って本栖湖に行ったりするルートだ。「上って」としたのは、どちらの湖も湖面標高が900メートル以上にもなるから。富士五湖は、日本で最も湖面標高が高い湖群である(ちなみにトップは日光の中禅寺湖で1269メートル)。
 
高い場所にあれば、冬も早く到来する。気温が下がれば早朝の路面は凍ったままになり、夏タイヤでは走れない。12月中旬ともなると、いつ雪が降ってもおかしくない。というわけで、今年2022年の富士五湖ドライブは、12月4日が最後になってしまった。ちなみに今日は12月18日だが、山中湖周辺の明け方の気温は既に氷点下である。
 
さて、これから春までのドライブは、降雪や路面凍結の心配がない太平洋側になる。千葉の館山方面か、それとも東海道を西に向かうか。いずれにせよ富士五湖のような半日コースではなく、渋滞覚悟の1日コースになるだろう。道路は単調だから、食と絡めるか。魚介満載ランチの後は激甘スイーツといくか。
 
というわけで日曜の昼過ぎ、太平洋側のスイーツの名店でオヤジがぼおっとしていたとしたら、その何割かは間違いなく「富士五湖観念組」。春までの間、暖かい目で見てあげてください。
 
静岡おでん、という手もあるな。
 


 

オレオレ詐欺電話が3日連続でかかってきた!
~ しかも「公衆電話」から

(2022.11.23)  
 
「あ、お父さん?」
 
ついに来た。この私にもオレオレ詐欺電話(現在は特殊詐欺という)が! しかも、11月14日、15日、16日と連続だ(上記スクリーンショット参照)。
 
初日の14日、13時23分にかかってきた電話には気付かなかった。しかし、スマホの表示に「公衆電話」とあったのが非常に気になった。過去、このスマホに公衆電話からかかってきたことはなかったからだ。
 
私は普通、非通知でスマホに書けてくる電話には出ない。たぶん皆さんの多くもそうだと思う。しかし、「公衆電話」とは何事だろう。現在、公衆電話を使うのはどんなシチュエーションなのか。
 
例えば、子供など身近な人がスマホを紛失し、近くにあった公衆電話でかけてきた。あるいは、やはり自分の親族が交通事故に遭い、目撃した方がスマホを持っていなかったため公衆電話で電話してきてくれた。さらには昔の友人が詐欺とか火事に遭ってしまい、着の身着のまま公衆電話にすがりついてきたーー。
 
・・・無理がある。だから私は、14日にかかってきた公衆電話の履歴を見た際、99.9999%は詐欺と思った。同時に、実際に通話できなかったことを少し残念に思ったのも事実である。
 
しかし、この「かけ子」(特殊詐欺の枠割の中で、だます相手に電話をかける人。トラップがかかるかどうかがここで決まるだけに、非常に重要な任務を担う)は、私の期待を裏切らなかった。翌15日にも、公衆電話から私のスマホにかけてきたのだ。
 
15時20分。スマホを通話モードにした私は、相手が話すまで黙っていた。すると相手は気の弱そうな声で、「・・・あ、お父さん?」と聞いてきた。若い男の声だが、私の息子の声とはもちろん違う。親ならすぐ分かる。
 
私は4~5秒ほどたった後で、慇懃に「どちら様でしょう」と問うてみた。相手は「(ややうろたえたように)すみません、間違えました」と言って電話を切った。
 
しかし、そのかけ子は諦めなかった。翌16日の15時58分、また公衆電話からかけてきたのだ。今回は私が黙ったままでいると、相手もしばらく話さなかった。そこで5秒ほど過ぎた後、これまた慇懃に「どこにおかけでしょう」と問うと、やや慌てた感じで「番号違いのようです」といってすぐに電話を切った。相手の声は、「お父さん?」と聞いてきた前日の声と同じ。同じかけ子だ。もう一度、試したのだろうか。
 
14日以来、「公衆電話からの受電」には警戒していたので、自分からは一切名乗らないと決めていた。相手はこちらの名前を知らないのかもしれないので、余計な情報を与えることはない。相手が「このスマホの相手(私)は不気味」と考え、詐欺候補電話リストから削除してもらえればありがたいし。
 
実は2回目の15日の通話が終わった時点で私は息子にLINEを送り、「昨日、今日と、公衆電話から俺に電話した? 変な電話がかかってきたんだけど」と伝え、そのような事実はないとの答えを得ていた。だから16日の公衆電話からの着信は、99.9999%ではなく、100%特殊詐欺と事前に分かっていた。私の興味は、相手がどんな切り口で何を言い出すのかに絞られた。「お父さん?」というワードは、もう使えないはずなので。
 
4回目の通話はなかった。諦めたのだろう。いつかまたリストが出回り、かかってくるかもしれないが。
 
今になって思えば、不思議な点はいくつかある。電話番号自体を知られている点は問題ない。このサイトでも出しているし、けっこう配った名刺にも堂々と書いてある。それより不思議に思ったのは、以下のようなことである。
 
1) なぜスマホの番号の相手が、息子を持つ年寄り(つまり詐欺電話候補となり得る相手)ということが分かったのだろう。
2) 私の息子は14日から16日の間、所用で家にいなかった。詐欺電話をかけるには、格好のタイミングである。なぜそのことが分かったのだろう。
 
1も2も、高い確率で偶然だ。電話を掛けた相手が息子を持つ親ではなく、キャピキャピ(死語?)でBTS命の中学女子であっても不思議ではなかったはず。やはりある程度は絞り込まれていたのかもしれない。2は可能性を探ると怖いので、考えないことにした。
 
面白がっているように書いてきたが、実際にはもちろん不気味である。そして「公衆電話」からの着信は「非通知」よりもはるかに気になり、したがって電話に出やすいということは身をもって分かった。
 
皆様にお伝えしたい。着電を知らせる画面に「公衆電話」と出ていたら、十分ご注意ください。詐欺ではない可能性ももちろん多くありますから、電話に出る出ないは自身のご判断で! 妙な気配を感じたら、留守電経由にするのが一番と思います。
 


 

君はウシに囲まれたことがあるか
~ 大人しい動物が怒ると本当に怖いんだよ

(2022.11.8)  
 
この10月11日、ニュージーランドの首相が、「ウシ(牛)やヒツジ(羊)を飼育する農家に課税する法案」を提出する方針を明らかにしたことを、新聞記事で知った。
 
そんなばかな~と思ったが、例えばウシのげっぷに含まれるメタンガスは地球温暖化の大きな要因らしい。メタンガスの温室効果の大きさは、CO2の25倍。世界では温室効果ガスの4%がウシのげっぷからと言われ、酪農国ニュージーランドの場合、なんと50%にもなるらしい(日本は0.4%)。冗談ではなかったわけだ。どうやら、ウシのような反芻(すう)動物に特有の現象で、消化時の微生物が原因らしい。
 
違う違う。私が書きたかったのはこういうことでは全然ない。この記事を切っ掛けとして蘇ってしまった、ウシに関する過去の怖い記憶である。もちろん、朝起きたらウシになっていたとか、そういう話ではない。実際に自分の身に起こったことであり、いま思い返してもヒエエーという気分になる。
 
私は中学1年生の時、有刺鉄線3本程度で作られている華奢な柵越しに、怒りまくっているウシ20頭以上と、わずか3メートルぐらいの距離で対峙せねばならなくなった。足はすくみ、しばらくは(記憶では無限に近い)、そこから動けなかった。
 
足元には、その原因を作った飼い犬(名前はコロ、オスの雑種)が、こちらも恐怖で固まっている。さっきまでピンと上を向いていた尻尾はとっくに足の間にしまわれており、うずくまったまま眼だけが私を見ている。その眼はこう言っていたと思う。
 
どーしよー。(私:どーもこーもあるか、このバカ犬!)。
 
・・・私の家は酪農家ではなく一族は放牧民でもなかったが、幼稚園から中学校までの間、家の比較的近くには必ずたくさんのウシがいた。父親の勤務先が農水省(当時は農林省)の草地試験場や農業試験場といった研究機関であり、そこの裏山や丘、草地には常にたくさんのウシが飼育されていたからだ。
 
小学生時代は栃木県・那須塩原の草地試験場(今もある)、中学生になってからは埼玉県・北本市の農業試験場(現在は北里研究所がある)の近くで育った。家と試験場とは、自転車で10分程度の距離。ずっとコロという名の犬を飼っていたので、裏山や草っ原の横道は、コロとの格好の散歩コースだった。たくさんのウシを横目で見ながらの散歩だったが、当時は当たり前すぎて、「タクサンノ、ウシガ、スグチカクニイル」という意識はほとんどなかった。
 
そしてある日、散歩の途中で、なぜかコロがウシの群れに向かって猛烈に吠え出した。理由は分からない。それはまさに喧嘩を吹っ掛けるような吠え方であり、延々と続いた。犬は近視だし、その時点ではウシの群れは遠く離れていたから、他の犬たちと勘違いしたのだろう。
 
「うるせーなー、もう行くよー」と、騒ぎまくっているコロの首輪を持とうとして、コロが急に静かになったのが分かった。そしておそるおそる後ろを振り返った時、自分たちがほぼ絶望的な状況に置かれていることに気付いた。50メートルは離れたところにいたウシたちが、すぐ後ろに集結してきている!
 
その結果が少し前の絶望的な状況である。ウシ様(呼び捨てにできる状況ではない)の眼は怒りで充血して真っ赤。その怒りまくったウシ様20頭以上と私たちの間にあるのは、わずか3本の有刺鉄線。こんなものは、ウシ様がその気になれば、ないも同然だ。
 
コロのギャンギャンした鳴き声が、ウシ様の怒りを買ったのに違いない。コロはこちらに近付いてくる者が犬や猫ではなく、ウシ様の大群であることが分かった瞬間、自分のアヤマチに気付いたのだろう。結果として声をなくし、しゃがみこんだまま固まってしまったわけだ。
 
その場に立ちながらほぼ失神していた私が、30秒後には動けるようになったのは奇跡としか言いようがない。私は固まったままのバカ犬(もうコロと冷静に言えるような気分ではない)を抱きかかえ、そろそろと後ずさった。ウシ様の真っ赤な目を見ず、ブオッブオッと聞こえる盛大な鼻息を聞かないようにしながら。
 
私の記憶はここで途絶えている。今こうやってキーボードを打っているのだから、最悪の事態にはならなかったのだと思う。これはウシ様のご慈悲に違いない。お怒りのときも、ウシ様はげっぷをされていたのかどうかまでは分からない。
 
環境保護・地球温暖化防止のためならなんでもありのようなご時世のなか、おそらく恐怖のため封印していたのであろう記憶を蘇らせてくれたニュージーランド政府には・・・なんとも言いようがない。
 
だが、昔から自然体でげっぷやおならをされてきたウシ様を、今になって突然、あたかも悪者のように扱うかのような行為には、違和感を禁じ得ない。もちろん皆さん、ウシ様が悪いなどと不遜なことは思っておらず、お食べになる餌の改良や、嫌気性細菌による抑制でなんとかしようと頑張っておられることを、頭では分かっているのだが。


 

リモート飲み会でみんな何を食べてる?
~ 暇人向けのお薦めは盛り合わせワンプレート

(2022.10.15)  
 
この2年ほど、1~2カ月に一度の頻度で開催する「リモート飲み会」が定着している。みんなで行く旅行が近い時などは、月に2回やったりしている。私の場合、会社に勤務していた時代の仲間と、大学の同級生たちの2系統ある。リアルで集まるより、頻度はずっと多い。距離に関係なく友人たちと顔を見ながら飲むことが出来るようになったのは、新型コロナウイルスを切っ掛けに普及した遠隔コミュニケーションのおかげだ。
 
毎回、LINEのビデオ会議機能を使い、夕方6時から8時半くらいまでやっている。リアル飲み会と同様に、途中から参加する人もいる。共通するのは、皆、飲みながら何か食べていること。飲み会だから当たり前だが、何食べているのだろう? 話に夢中で聞くのを忘れてしまうこともあるが、「おめー今、何を食ってんだ?」と改めて聞くのが、なんだか恥ずかしいという理由の方が大きい。
 
時々、珍しいものをつまみにしている友人が箸をカメラ部分に近付けて、「今日のつまみは“いぶりがっこ”(燻製にした沢庵、秋田名産)」と教えてくれる場合もある。日本酒のラベルをカメラの前に持ってきてくれるときもある。でも、つまみを食べているのか、夕食を兼ねて腹に溜まるものを食べているのかまでは分からない。
 
皆、時々下を向いてもぐもぐしているので、何か食べていることは分かる。だが、肝心の食べ物はカメラアングルの関係で、画面には映らない。代わりに映るのは相手の後頭部であり、「・・・こいつ、結構きてるなー」と思ったりする。
 
まさか白飯に味噌汁、魚の干物に香の物――といった組み合わせではないと思う。それは飲み会ではなく、普通の夕飯だ。バーベキューでサンマを焼くような違和感が漂う。想像するに、時々キーボードを触ったりするので手が油で汚れるようなものや、汁が飛び散りそうな蕎麦ものなどは避けていると思う。「リモート飲み会で何を食うかって? 俺はカレー南蛮か大盛おかめうどん」などという方がいたら、ぜひコツを伝授して頂きたい。
 
お前はどうなんだって? よくぞ聞いてくれました。割引パックの寿司(これは今でも時々食べる)、サンドイッチ+サラダなど試行錯誤を重ねてきた結果、この1年でほぼ定型が出来上がった。「スーパーに言って好きなものを少しずつ買い、ワンプレートに盛る」というものだ(上の写真ご参照)。これならつまみも腹に溜まるものも、一緒にできる。食後の皿洗いも楽。なにより、盛り付けているときから謎の高揚感に包まれる。少々つまみ食いしても、遠くから見れば自分でも分からないというメリットもある。
 
問題があるとすれば、どうしても好きなものに偏るということと(私のプレートには必ずイカゲソの唐揚げがある)、相手に伝わらないということぐらいか。後者の問題は、このストーリー自体を振り出しに戻しかねないので、追及しない。
 
恐らく皆さんも、回を重ねるごとに「リモート飲み会の食べ物はこれ」あるいは「これだけは必ず食べている」、というものがあるのではないか。ふと思ってネットで「リモート飲み会 and 食べ物」で検索してみたら、宅配サービスを中心にお薦めレシピや注意事項などのアドバイスが盛りだくさん。なるほど、情報提供側や商品を売る側も、似たようなことを考えているんですね。
 
でも暇な午後の時間、「今日のリモート飲み会、何をどう組み合わせっかー」と考えながら、地元のスーパーをぶらぶらするのもいいものですよ。「酒」と書いたメモを持っていかないと、肝心のアルコールを買い忘れてしまうのが難ですが。
 


 

「釣れなければ昼食なし」の真剣勝負」
~ 無言で帰港した我々を待っていた神定食

(2022.9.19)  
 
朝7時15分。我々は沖縄南端の糸満フィッシングアリーナで、釣船の出航を待っていた。12人乗りの34フィート船に乗るのは我々4人と船長だけ。事実上、完全なチャーターだ。
 
なぜか皆が皆、大物が釣れることを確信している。釣れた魚を自宅まで運ぶための手段や、マリーナにあるクーラーボックスの大きさ(小さいと大物が入らない)の確認に忙しい。
 
4人の中でただ一人、自分のマリンボートを持つF君はというと、早くも昼食の手配をしている。そのマリーナがよく釣り客を紹介するという食堂に連絡し、「自分たちが釣った獲物を調理して、通常の刺身定食に加え食卓に出してくれるよう」交渉しているのだ。
 
何となくその会話を聞きながら作業していた我々がF君を振り返ったのは、やや不穏な会話がスマホから漏れ聞こえたから。
 
「え? 通常の定食はない?」(F君)
「今日は魚が入るのが夕方なんです。だからおかずがないんですよ。皆さんに頑張って釣って来てもらうしか・・・」(食堂の店主)
「問題ありません。釣れなければ昼食抜きということで。ま、そんなことはないので、席を取っておいてください」(F君)
 
というような状況で出航した我々4人。狙うは体長60センチ超のハタ。和名スジアラ(沖縄ではアカジンミーバイと呼ぶ)である。三歳児でもハタと膝を叩くほどの高級魚であり、刺身にしても揚げても蒸しても粗汁にしても最高だ。
 
しかし、いきなりスジアラを釣るわけではなく、初めに小魚を釣り上げる。これがスジアラを釣るための餌になる。この小魚を大きな一本ハリの先に引っかけて「泳がせ釣り」をすることで、ハタや青魚のような大物を狙うという訳だ。
 
本州では多くの場合、泳がせ釣りにはアジを使うが、沖縄にアジはいない。ここでは「オジサン」と呼ぶ12、13センチの赤色の魚を餌にする。この小魚を、5~6本の枝針がついた小型の仕掛け(餌はなし)で大量に釣り上げ、まとまった数になったら大物が待つ漁場に向かう。つまり、餌となるオジサンを大量に確保してからでないと、漁場についてからあっという間に餌がなくなり、終了となりかねない。
 
先ほどから餌となる魚のことを「オジサン」と呼んでいるが、これが正式名称であり、成魚すれば30センチにはなるスズキ目ヒメジ科の美味な魚である。あごの下の長いひげがおじさんを想起させるので、そう呼んでいるうちに正式名称になったらしい。
 
さて、水深46メートルの海上でロッドを振ると、さっそくオジサンが釣れ始めた。最初の1匹は私。隣のS君と糸が絡んだと思って引き上げたら掛かっていた。次は、釣りのベテランであるF君が貫録を見せて3匹を同時に釣り上げ(トリプル)、W君も第一投からオジサンをダブルで釣り上げた。
 
これはもう、「オジサンホイホイ」である。そういえば、針の周りには赤い樹脂のような飾りが付いている。こういうピラピラに弱いのは人間も魚も同じである。
 
しかし、このあとS君が背中にトゲのある魚(船長によればこれもハタの好物らしい)を釣ったのを境にピタリと釣れなくなり、結局は合計でわずか13匹。4人分の釣りの餌の量としては全く不足だが、時間の関係で本番を迎えざるを得なかった。
 
餌の小魚は、もちろん元気で泳ぎまくってくれた方がいいに決まっている。しかし、13匹という餌の数ではとっかえひっかえ餌の小魚を変えるというぜいたくは出来ない。しかも船長が言うには「台風11号の影響が残っており、潮の流れが速く、うねっている。釣りにはあまりいい環境ではない」らしい。
 
そして、大物は1匹も釣れなかった。私のロッドには最後、「ビビビ」というような非常に強いアタリがあり、すかさず合わせたが掛からない。「早すぎましたねー」と船長。ビギナーはどうしても一拍の待ちができないのだ。
 
帰港の船の中は皆、押し黙ったまま。「釣果ゼロ。昼飯抜き」の言葉が脳内をぐるぐる回っていたのだろう。この大学時代の同級生4人で釣りに出たのは2回目だが、またしても大物は手に出来なかった(あ、前回は最後に私がアオリイカを釣りました。その時の自慢コラムは本ページの下の方にある『小浜湾沖のアオリイカと、葉山はマーロウのプリン』です!)
 
そんな中、ひとり一人平静なベテランF君は、出港前に電話をした食堂に電話をしている。「釣れませんでしたあ~。 なので残念ですが昼の予約はキャンセルと言うことで」。
 
すると食堂の親父さんはそうなることを見越していたかのように「マグロが入りましたよ。どうぞいらしてください」との神対応。その定食の美味しかったこと。我々は船上で涙し、食堂で出てきた刺身定食のあまりの美しさと量、そして美味しさに再び涙した。
 
釣果はゼロだったが、差し出されたのは暖かな厚情。借りを返しに、また行かなくては。
 


 

「我々がオカネを払うのは、ソコではないんです」
~ 自分の仕事は何なのか、改めて考えたこの夏

(2022.9.3)  
 
「データはいいものが集まっていますね。構造的であり、データの在りかに対する目の付け所もいい。自分たちでやったらとても集められなかったでしょう。でも、我々はここにカネを払うのではないのですよ。この調査過程で宮嵜さん(筆者)、貴方が考えたことにカネを払うのです。具体的には、貴方が考える今後の××のシナリオです。短くていい。A4用紙1~2枚で十分です。いつまでに出来ますか?」
 
「豊富なデータをありがとうございました。大変参考になります。・・・さてと宮嵜さん。調査の過程で何かピンときたり引っかかったりしたことがあるのでは? 私たちはそれを知りたいのですよ。例えば提出頂いた企業リスト。この中に“なんとなく”気になる企業があるのではないですか? いわゆる勘というやつです。我々には見えないのですよ。そして、カネをお支払いする大きな理由は、そこにあるのです」
 
少し前になるが、調査・コンサルティング会社で働いていた時、クライアントから投げかけられた言葉だ。どちらも3カ月程度の期間をかけた調査案件の、最終報告前のミーティング時のことである。前者/後者とも、業界が異なる超大手製造業である。
 
なぜ今頃、こんなことを思い出して考えていたのか。それは独立後に、あるクライアントからも似たようなことを言われたことを思い出したからだ。
 
「我々も関連資料など簡単に集められます。社内資料を含め、一切公開されていないデータもです。しかし、その資料を読んだだけでは分からない背景というか、複数の異なった資料を照らし合わせていくことで立ち上がってくるストーリーとでもいいましょうか。極端に言えば、それこそが本当に我々が欲していることなのです」
 
弊社ハイカレントは、調査会社である。そして普段、私自身はこう考えてきた。「お客様は、どこに価値を見いだしてくれてオカネを払うのだろうか」と。その疑問は、「そもそも調査とはなんだろう?」という部分にまで広がった。そして今は、こう考えている。
 
「調査とは、クライアントがベストなアクションを起こすために必要なコンテンツを提示させていただくこと」。
 
当たり前だが、調査を行う「本質的な主体」は、調査を依頼してくるクライアントである。我々調査会社ではない。そして調査会社の役割は、上記のようなクライアントの次につながるアクションを、徹底的に支援することに尽きる。
 
「徹底的に支援」することとは、極言すれば「思考の一部を差し出すこと」であり、お客様がカネを払うのは作業ではなく、その「視点」なのだろう。もちろんこのベースとなるのは、徹底的な文献調査により、精緻・豊富な「データの塊」を作ることであり、時間と体力が許す限り、そのデータを前に考え続けなければならない。
 
「調査データを集めること」は、その前段階に過ぎない。そして、クライアントの次なるアクションを誘引しない「調査なるもの」には、私はほとんど関心がない。
 
Knowing is not enough, we must apply.  Willing is not enough, we must do.
(知るだけでは十分ではない。それを使わなくてはならない。やる気だけでは十分ではない。実行しなくてはいけない)
 
これはドイツの詩人であり劇作家のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの言葉だ。「若きウェルテルの悩み」や「ファウスト」の作者である。私はこの言葉が大好きであり、自身のサイトのプロフィール欄に引用しているほどだ。
 
調査とは自分にとっては考え続けることそのものであり、大げさに言えば生きることとほとんど同義である。まずは、このような環境においてくださっているクライアントの方々に感謝したい。
 
自分には、さらに厳しくありたい。まずは考え続けられる体力を可能な限り維持し続けるため、毎日の日課としているワイドスクワットと腹筋運動の回数を9月から2倍、いや1.2~1.3倍に引き上げたほどだ(えと、怪我すると困るし)。


 

 
丼物をスプーンで食べる親父に驚愕を隠せない
~ 箸で食べられなくなる日も遠くないだろうに

(2022.8.14)  
 
「牛丼をスプーンで食べて何が悪い」、「何をどう食べようが、それは個人の自由だ」――などと思う方は、以下のコラムを読むと間違いなく気分が悪くなるでしょう。すぐにほかのサイトに移動した方が賢明です。
なおこのサイトは一切の苦情・クレームを受け付けておりません。
 
コロナの第七波が日本を襲う少し前、私は西日本エリアの空港にいた。時刻はちょうど夕方。定刻まで少々時間があったので空港内のレストランに入り、ビールと地元のつまみを何点か頼んだ。
 
夕食時にもかかわらずレストランはかなり空いていた。出てくる料理はビールを含め、実に旨い。やっと1日が終わった~、もう少ししたら腹に溜まりそうなものでも頼もうか、などと思っていた時、私より少し若めの、身なりの良い健康そうな親父が入ってきて、対角線上の席に座ったのが見えた。
 
しばらく飛行場の滑走路を見ながらぼおっとした後、ふと先ほどの親父に目が行った。何か丼物を食べているようだ。ああ旨そうだな、私も似たようなものを注文しようかな、と思ったとき、その親父の食べ方に違和感を覚えた。
 
え? この親父、丼物をスプーンで食っている。
 
ちょっと驚いた私は、この人は箸の使い方に慣れていない外国の方なのだろうかと思った。私の頭の中に、「丼物をスプーンで食う(普通の)親父」というイメージが全く沸かなかったからだ。しかし、聞いていたわけではないが、レストランの方との間の注文時などに交わされた会話からは、そんな印象は全く持てなかった。
 
私はやや混乱し、整理してみた。
 
牛丼やカツ丼、親子丼、天丼、鰻丼(これは鰻重に置き変わってしまったようだ)、わらじ丼のようなご地域名物丼など、どんぶり物は日本に数多くあり、どれもこれも旨い。「丼物に外れなし」という名言もある。しかし、これらは皆、箸で食するのを前提に作られたものである。
 
なぜ人は、丼物を箸で食うのか。
 
もちろんこれは、「箸でワシワシと飯をカキコム行為」が快感として脳に伝えられるからである。ご婦人の場合、マナー的に人前では難しい面があるかもしれない。だがこれは「(周囲に人がいないときに)ひとりで箸でかっ食らうときの快感は、背徳感を伴うことで数倍に上昇する」という一般原理を適用すれば、トータルでは同じであろう。
 
より個人的かつ文学的には、こういうことがあるかもしれない。
 
例えばカツ丼の場合、カツと玉葱を箸で横にずらした時の白飯への出汁の沁み込み模様に、ふと高校の部活の帰り道が突然脳裏をよぎることがある。あるいは天丼の場合、飯の部分を箸で大きく切り取って口に運ぶ際、ちらりと見えた白飯の断面に沁み込んだ濃い目の出汁が創り出したグラデーションに、天婦羅の具を産んだ日本海の荒波を垣間見たりすることもできるーー。
 
えと・・・要は、我々は決して「慣れているから」「昔からそうだったから」などの受動的な理由からだけで、箸で丼物を食らっているわけではないのだ。
 
と、ここまで書いてから、ちょっと気になってググって見た。結論を言えば、検索などしなければ良かった。まあ皆、好きにやればいい。今思えば、あのレストランで丼物を運んできた店員の方は、初めから盆の上にスプーンを載せてきたのかもしれないな。もうどうでもいいか。
 
突然だが、私の両親は父親が11年前、母親が6年前に亡くなった。痴ほう症にかかってしまった父は、施設に入った後はスプーンしか使えず(それも自分では使えなかった)、最晩年は胃瘻状態となった。最後まで意識がはっきりしていた母親も、当然のようにスプーンだった。
 
箸とスプーンに関する話と一緒にしてはいけないのだろう。だが、年を取り体に不具合が出始めれば、いくら使いたくても箸は使えなくなる。あるいは(危険なので)、箸はもう使わせてもらえなくなる。赤ん坊と年寄りは似ていると良く言われるが、「赤ん坊がスプーンで食事をとり始めるのと同じように、歳をとれば多くの人はスプーンで食事をせざるを得なくなる」のだ。まともに箸を使える期間は、思ったほどは長くない。
 
箸ともスプーンとも関係ないが、普通に何かをできるうちに、しかもしっかりと出来るうちに、「こっちの方が便利だから」と楽な手段に切り替えていった人間に、まともな人は一人もいなかったよ。


 

 
「ししゃもとカレーライスは常に一体」説を追う
~ どの家にも流儀がある、らしい

(2022.8.7)  
 
私の家の居間や台所は、2階にある。したがって夕食時には、すきっ腹を抱えながら1階の会社事務所あるいは私の趣味部屋から、2階へ続く階段を上っていくことになる。
 
この時に、ししゃも(13センチくらいの美味しい魚)の干物を焼く香ばしい匂いを感じたら、我が家の夕食のメインは間違いなくカレーライス。逆に、カレーのスパイシーな香りが漂っていたら、食卓には必ずししゃもが並んでいる。
 
30年間、ずっとこうである。どっちも美味しいし、ししゃもは、個人的にビールのつまみとしては最高クラスに入る。しかもカルシウムなど栄養豊富で、バランスもいい。私は、これが普通の組み合わせだと思ってきた。
 
この話を聞くと、消しゴム版画家として有名なナンシー関さん(2002年に亡くなられた)を思い出す方が多いのではないだろうか。ナンシー家では、「焼きそばと牛乳」だったらしい。焼きそばと牛乳はセットであり、「どの家庭でも焼きそばの日は必ず牛乳を飲んでいる」ことを、長ずるまで常識と信じて疑わなかったという。
 
ナンシーさんと私の場合で異なるのは、「それが日本の全家庭の常識」かどうかに対する感覚にある。ナンシーさんが「それは疑いようもないことであり、どの家もそうなっている」と信じていたのに対し、私はかなり前から、「この組み合わせは関東西部というか、一部エリアにおける限られた組み合わせではないか?」と思っていたからだ。
 
実際、おそらく15年くらい前に、妻に聞いたことがある。「これは、どこかの習慣なんだろうか」と。返ってきた答えは「いやまあ・・・ははは」であり、私も追及するようなことではないと思い、そのままにしてきた。なぜなら全く不満がないばかりか、カレーライスの時に万が一ししゃもがなかったりすると(過去ほとんど経験はないが)、逆にそっちの方が不安になったりするからだ。
 
ところが、先週の木曜日(8/4の夕食時)、突然その謎が解けた。以下、私と妻の会話をざっくり再現すると、
 
私:カレーとししゃもの組み合わせって、例えば君の実家時代の地域の習慣だったの?
妻:違う。これは私のオリジナル。
私:え?え? じゃあ何でこの組み合わせに。
妻:忘れた。恐らく最初は、何かもう一品と思ったとき、冷蔵庫にししゃもの干物があったからだと思う。
私:・・・この組み合わせを、例えば「日本の常識」として世間に広く知らしめたいと思う?
妻:ぜんぜん思わない。
 
長年の疑問は氷解し、会話もそこで終了した。
 
だが、私的にはかなり驚いたのも事実である。地域限定とか一族代々とかではなく、全くのオリジナルとして30年続いていたとは。そして幸いなことに、どうやらこの人には、領土的野心というか隣家に対する武力による現状変更といった考えはないらしい。もっとも、仮に拡大意欲に溢れていたとしても、私としてはどうしようもないのだが。
 
皆さんの周りにも、きっとこういうことはあると思う。この話は当初、「常識を疑おう」といったビジネス的ニュアンスを含んだものを多少意識していた。しかし、書いているうちに、またスライドしてしまった。
 
今ではこの話は、地球の生命体の発達に不可欠だったとされる、前触れなく突然起こった有機体の爆発的進化――に似ているような気がする。これじゃまるで、NHK番組の「ダーウィンが来た!」だが。


 

 
いくら「働きやすい」会社でも、辞めるときは一瞬で辞める
~ 働きがいと混同していないか

(2022.7.12)  
 
もう1年近く前になるだろうか。自分の息子と言ってもおかしくない年代のF君が突然、「今の会社を辞めることにしました。転職先はまだ決まっていないのですが」と切り出した。
 
私は事情を聞き、転職先として彼が何となく希望している業界の状況について、知っていることを教えてあげた。会社を辞めようとする気持ちを翻意させようとは思わなかった。他人がとやかくいう話ではないし、本当に本当のことは話すのが難しいか、恐らくF君自身にも分からないかもしれないと思ったからだ。
 
彼が勤めていた会社は、かなり大手のサービス業。ドラマのコマーシャルをやっていたので、知名度はかなり高そうだ。SDGsだのESG経営だのに熱心で、役員は時々メディアに登場したりする。そしてことあれば「従業員に働きがいを感じてもらいたく・・・」などとおっしゃられる。ま、よくある会社の一つだろう。
 
F君に聞くと、確かにこの会社は、①早くからテレワークに取り組んでおり、“柔軟な働き方”とやらに熱心、②福利厚生が手厚く、日本各所に保養所を有するのはもちろん、社内の診療所も充実、③かなり忙しい時期や週であっても、週に1~2度は18:00帰社を推奨される(なかなか拒めないらしい)、④働かせられ感があまりなく、何となく1日が終わってしまう日もある、⑤給与は全業種平均どころか、もともと高い業界の中でも少し上の方――。
 
「あ゛ー、もったいねー」  そう思う人がほとんどだと思う。
 
辞職したくなった理由を聞くと、彼も自問自答するように時間をかけて話し出した。要約すると、こんな感じである。
 
・会社自体は働きやすく、嫌な人も少なかった(ように思う)。
・だが、自分には、いつもフロアの空気がよどんでいるような気がした。あまり挨拶もないし、議論したりする雰囲気でもない。時々ヒソヒソ話や笑い声が響くような感じ。
・上司はこの3年は同じ人。悪い人ではないと思うが、いろいろ提案したりアイデアを出したりしても取り合ってくれなかった。少し前は、「今の部署は皆、ずっとこの仕事のやり方でやってきており何の問題もないんだよ。君の提案通りやって、もし何かあったらどうするんだ?」って迷惑がられた。
・結局、この会社にあと何年いても、自分が成長するような気がしなかった。
 
私はF君の話を聞いて、会社の「働きやすさ」と「働きがい」って、全然違うんだな~と実感した。
 
テレワークや福利厚生といった項目は、誰にでもプラスをもたらす「働きやすさ」だ。もっと言えば、数値化できる項目は、ほとんど「働きやすさ」に入る。そして働きやすさは、社員が自分で「何もしなくても」感じられる。会社案内やパンフレットに山盛になっているのがこれ。いや、決して悪いことではない。社員のほぼ全員に等しく作用するうえ、働きやすい方がそうでないよりいいに決まっている。
 
しかし、F君が感じたのは、「働きがい」に関する部分だ。これは一人ひとり違うし、数値化は難しい。そもそも「働きがい」を漢字で書けば「働き甲斐」であり、「働き甲斐がない=働いた意味がない、効果がない、無駄だった」という無念感を示すものと思う。つまり、働きやすさと異なり、「自分が何かしなければ分からない」。
 
このように、「働きやすさ=数値化できる、働きがい=数値化できない」としてみたが、別の置き換えも可能だろう。
 
例えば、「働きやすさ=機能的、働きがい=情緒的」、または「働きやすさ=待遇、働きがい=士気」とも言えるのではないか。つまり、両者は相関性こそありそうだが、基本的に全然違うものということ。そして、やる気のある人は、どんなに働きやすい会社でも、働きがいがないと思ったら、すぐに辞めてしまうのだろう。アクティブなF君にとってそうであったように。
 
なんていう「上手いまとめ」を聞いてもらいたくて、私より一回りは年下の友人に、電話で話してみた。実は彼女もF君と同じ会社に、今でも勤めているからだ。
 
すると彼女は、「あんたの理屈好きは年とっても変わんないね。でも働きがいと生きがいをごっちゃにしてるから、全然ピンとこないよ」とのたまった。少々カチンときて続きを促すと、
 
「私の生きがいは、知っての通りK-Pop。追っかけ命だから、しょっちゅう海外に行ってたでしょ。会社はその資金を得る場だから、働きやすいほどいいに決まってるじゃない。職場で責任も問われず、無理して妙な提案しなくても毎月しっかり給料を頂ける。しかも●●社に勤めてるのよ~と言えば、茶飲み友達は羨ましそうな目で見てくれる。これで“働きがいがない”なんて言える訳ないじゃないの」。
 
う~ん。会社に何を求めるかによって、「働きやすさ≒働きがい」になる場合もあるってことか。・・・というか、今回は(も)考察が明らかに足りない。もう少し整理してから、再度連絡してみよう。
 
これこそ、「考えがい」があるテーマかもしれない。


 

 
保育施設を“迷惑施設”とみなす悲しい現実に涙する
~「反対運動をする一部の住民」には幼児期も最期もない

(2022.6.18)  
 
「お寺の隣には幼稚園(または保育所)があるのが普通」。少なくとも私には、こんなイメージが刷り込まれている。自分がそうだったからかもしれないが、実際にそういうケースは少なくない。どうやら、寺子屋のあった時代からの歴史的関連があるらしい。
 
その「お寺」と「保育所」の両方が、いまや“迷惑施設”(英語ではNIMBY。not in my backyard=我が家の裏にはご勘弁、の意味)の一種とみなされることが多いことを知り、心底驚いた。
 
年齢のせいもあるが、近年は法要などで寺に出向くことが多かった。その寺には、やはり寺が運営してる幼稚園がある。親しくなった住職と少子化問題などを話しているとき、住職が悲しげに語ってくれたのは、こういうことだった。
 
「少子化で幼稚園の児童数は最盛期から半減しました。経営は苦しいですが、それは仕方がない。残念なのは、この周辺に引っ越してこられた住宅から、『寺は墓があって辛気臭いし、線香の匂いが臭くて困る』とか、『幼稚園はうるさい。給食の匂いも迷惑』という声が漏れ聞こえることです」。
 
「寺や幼稚園の近所に自分で越してきておいて、何て勝手なことを言うのか」と憤った。そして、こういう意見が堂々と出るようだと、保育施設の新設はさぞかし難しいだろうなと考え、少々サイトで検索してみた。すると「近隣住民の反対で保育施設の新設が延期に」などという悲しい記事はかなりある。最近だと2021年12月、川崎市鵠沼地区で、一部の周辺住民から反対の声が上がっていることなどが要因で、建設が延期となった。はあ。
 
一般的に言えば、保育施設が嫌がられる理由は、1)子どもの声や親の立ち話でうるさくなる、2)送り迎えで交通量が増えて危険、3)保育園建設で地価が下がるのが心配、らしい。特に3)は、保育施設が迷惑施設であることを明確に示している。
 
数年前、「待機児童の急増」が政府を巻き込んだ大問題に発展したことを覚えておられると思う。その後、保育園の新設や少子化などとともに徐々に減少してきた。様々な施策も奏功したのだろう。その一方、コロナ禍で昼間でも在宅の人が増え、日中の保育施設の音が大きな問題になっているようだ。保育施設の音は、特定の人々にとっては“耐えがたき騒音”らしい。
 
こういう方々は、きっと幼少時代、幼稚園や保育園のお世話になったことがないに違いない。仮に幼稚園や保育園のお世話になった人でも、「子ども同士で遊んだり騒いだり」といった“騒音”を出しかねない行為は徹底的に自粛されていたことだろう。ましてメガホンや太鼓の音が鳴り出すような「運動会」などもってのほか。まあ施設側も、どんなイベントがあるのか事前に周囲の住民に周知した方がいいとは思うが。
 
お寺やお墓も同じことだ。「反対運動をされる一部の住民」は、最期の段階でもお寺やお墓とは無縁なのだろう。いや、一足先にお墓に眠っておられる方は、お盆などを除けば集まって会合したり騒いだりはしないはず。とすれば、このような「一部の住民」には、もしご自慢の自宅の隣に新たに作られる施設があるなら墓地がピッタリ。反対運動などで息巻く前に、ご自身で墓地を誘致されたらいかがだろう。
 
「自分さえ良ければいい」という態度を見せられるときほど、残念で悲しいことはない。自分では気付いていないのかもしれないのなら、憐れみすら覚える。コロナは落ち着きそうな気配を見せているが、コロナウイルスは結構な数の人間の脳神経を変異させたのだろう。自らは制御不可能な、とても嫌な方向に。迷惑施設ならぬ、“迷惑人間”がはびこりそうな方向に。


 

 
洗車好きに悪い人はいない
~ ご近所さんとも笑顔で挨拶、その後爆音

(2022.6.1)  
 
文章(記事)を書いて飯を食ってきた人間とは思えぬほどストレートなタイトルに、自分でも笑ってしまった。「甘~い羊羹がたべたいよ~」と駄々をこねている老人と変わらぬではないか。
 
いや、私がもう老人なのか。
 
さて、私の車は2020年秋に購入してから、約1年半が経った。サンデードライバーにしては、年間1万5000キロとまずまずのペースで走っている。道路が凍結したり雪が降ったりする冬期は遠出が出来ずドライブも近場ばかりだから、実際にはかなりの頻度で遠距離ドライブをしていることになるだろう。
 
そして乗るのとほぼ同じくらい、洗車が大好きである。綺麗になった車をみると、「さあ次はどこ行こうか」と声をかけそうになっている自分がいる。私って、こんなに素直でいい人だったっけ?
 
私の洗車は、土日のどちらかの午前中、朝8時半から始まる。まず2時間かけて、タイヤとホイールを念入りに掃除。夏だとこれだけで汗びっしょりになるので、15分ほど休憩して下着を着替える。そして後半はボディ洗車。ここも水でいったん埃を流したあと、細部のブラシ掃除や全体のシャンプー、ワックスがけ、そして社内の清掃。フロアマットも洗う(土足禁止ではない)。
 
終わると12時半頃であり、ようやく昼食。なんと4時間近く、洗車に費やしていることになる。最低でも3週間に1回、普通は1週間に1回、これをやる。楽しくて仕方がない。最後に、綺麗に仕上がった車に向かって一言。「次の洗車まで、遠慮なく乗りまくって汚してやるぜ! でも週末には必ず完璧に洗ってやるから勘弁な」。ここでやや倒錯的な私の本性がチラリと垣間見えるかもしれない。
 
こんな話を車好き(洗車好き?)の友人にすると、ほとんどの人が「分かる分かる」と賛同してくれる。そして必ずと言っていいほど、「で、その時にはどんな音楽を聴いているの?」と聞いてくる。たいていの人は洗車の時にイヤホンをして、音楽を聴いているらしい。世の中には“洗車ミュージック”なるジャンルがあることも初めて知った。
 
私はイヤホンなどしない。なぜなら洗車をする別の目的を阻害するからだ。その目的とは「ご近所さんとの挨拶や会話」である。
 
住宅街で4時間も家の外で車を洗っていると、近所の方が前を通る。そのたびに私は、満面の笑みとともに「おはようございます!」と挨拶をする。必ずやる。ヤクルト配達の人にも、バイクで郵便配達にきた方にも、電気工事の人にも分け隔てなく。
これを1年以上繰り返してくると、ご近所さんの中にはいろいろ話が弾む人が結構出てくる。この1年間はコロナのワクチンをどこで受けただとか、かかり付け医はどこにしているかなどの話が多かった。最近は洗車の間に、
 
「お兄さん(私はお爺さんだが)、いつも若いねー」
「お姉さん(もっとずっとご年配とは思えるが)こそ、ワクチンで副作用が出たなんて、凄いことですよ!」
「あらそう? スナップエンドウ(エンドウの一種。皮ごと油で炒めると抜群)、もらったから少しいかが?」
「うひょ~、大好物っす!」
 
なんて話が盛り上がることもあった。素直に嬉しい。とっても仲良しである。
 
洗車後の午後は、私が中学時代からの趣味であるオーディオだ。シャワーを浴びてさっぱり着替えた後、1階の自分の部屋で結構な面積を占めているオーディオ機器をいそいそといじくり、好きな曲をセットする。
 
20秒後、名ドラマー、バディ・リッチのビッグバンドによる「Channel One Suite」が爆音で流れる。外にいても十分聞こえるほどの大音量だ。私はこうでないとJAZZを聞いている気にならない。
 
都内ではあるがプチ田舎の方なので、家同士は密着してはいない。それでも気になる人は気になるだろう。でも私はボリュームを下げない。こう思ってくれていることを願って。
 
「ミヤザキ(私)さんって、洗車だけでなくて音楽も大好きなんだよね~。いいね~!」
 
すべてはコミュニティから始まるのだ。


 

 
私のバブル期とは、英ロンドンからゾウを連れて帰ることだった(前編)
~ 高揚した気分が描いたリアル版メタバース

(2022.4.22)  
 
「宮嵜さん(私)って、バブルの香りがする」
 
何度かこう言われたことがある。相手がどういう気分で言ったのか分からないが、たぶんあまり良い意味ではなさそうだ。焼いた肌にジュエリーなんてことは一度もなかったし、服装もいつも派手なわけではなかった。夜の銀座で数枚の1万円札を頭上でひらひらさせて、タクシーを停めようとしたこともない。恐らく装い的な面ではなく、話す内容や考え方が、「その人がイメージする」バブル期っぽい人と感じさせたのだと思う。
 
バブル期(またはバブル景気)とは何だったのか。かなり昔のことなので、知らない人のほうがはるかに多いだろう。
 
ウィキペディアによればバブル景気とは、「好景気の通称。景気動向指数上は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象とされる」
 
要は「景気が良かった時代」であり、「好景気を楽しんだ時代」のことである。この時代をバリバリの20代で過ごした私が今抱くイメージは、「本気でバカなことをやる自分が過ごした時代」。あるいは「自分で作った物語の主人公になった気がした時代」。カッコよく書いてますが。
 
なぜ今、バブル時代の話を書こうと思ったか。要因の一つはもちろんコロナである。withコロナ生活も3年目に入り、リアル体験が制限された環境が続いている。バブル菌が脊髄に潜んでいるらしい私にとって、リアルに様々な場所で勝手なことをしていた時代が懐かしくなったのだろう。
 
もう一つは間違いとの指摘を恐れずに言えば、次世代インターネットなど様々な呼ばれ方をする割には正体がつかめない「メタバース」と関係が近いのでは、と思ったこと。メタバースなるものを調べていたら、「バブル期って、多くの人が自分自身の物語に参加した、“リアル版メタバース”だったのかもしれない」というデタラメな思いが浮かび、それなりに納得してしまった。
 
バブル期のサブタイトルとして時々使われる「恋愛至上主義時代」なる言葉も、自分が作った理想的な仮想現実にのめり込んでいく様(さま)を表しているかのようだ。
 
もちろん仮想空間であるメタバースと違ってバブル期はリアルワールドだったから、ニュートンの定理を筆頭に様々な現実世界の法則が適用された。100kgの重りを片手で持ち上げることは出来なかったし、話せない言語は話せない。やり直しも出来ない。終わった恋は戻ってこない(そうだよ戻って来なかったよ)。それとも、人生をリプレイするために仮想空間は存在するのだろうか。
 
具体的に書いてみよう。今思えば私にとってバブル期とは、ピンポイントに「英国のロンドン動物園からゾウを連れて帰ろうとした自分がいた1987年の夏」のことである。
 
何言ってんだこいつ、と思われるだろう。物理的には出来るはずがない。1987年にメタバースは存在しなかった。しかし当時の私は割としっかり計画を立て、「ロンドンからゾウを連れて帰るストーリー」を作った。その計画を実際にロンドンで実行に移すことで、本来の目的は達成されるはずだった。私はそう確信し、動き出した。
 
(後編に続く。この下のコラムがそれです)


 

 
私のバブル期とは、英ロンドンからゾウを連れて帰ることだった(後編)
~ 在英日本国大使館と便箋と焼き鳥

(2022.4.22)  
 
なぜ英国のロンドン動物園からゾウを連れて帰ろうとしたのか。切っ掛けは単純である。「誕生日にプレゼントされるとしたら、何が欲しい?」と聞いた私に向かい、当時の彼女(未満)のKがこう言ったからだ。
 
「ゾウが欲しい」
 
それは挑発だった。私はそう受け取った。「ゾウを飼うという“私のストーリー”に、あなたはついて来れる?」  射貫くように私を見たKの目は、そう言っていた。
 
K自身のストーリーは分からなかったが(聞く勇気がなかった)、自分はその問いに正面から向き合う必要があると直感した。仮想空間ならアバターを動かせば済むのだろうが、バブル期はリアルワールド。フィジカル(肉体的)で強靭な私自身のストーリーを創り上げ、Kの世界と交差させなければ――。
 
私が立てたプランは以下のようなものだ。
 
①上野動物園に、ゾウの1日の食事量と、飼うために(とは言えなかったが)最低限必要なスペースを聞く。
②当然、日本で個人が飼育できるようなものではないはず。しかしこの段階で「無理」と思ったら、即ゲームオーバー。Kのストーリーの中に、引っかかりもしない。
③本当に偶然だが、私は1カ月後に欧州取材を控えていた。訪問するのは英国(ロンドン)、フランス(パリとリヨン)、ドイツ(ザールブリュッケン)、オランダ(アムステルダム)。英国には有名なロンドン動物園があり、ゾウもいる(現在は大型動物は別の動物園に引っ越しててしまったらしい)
④英国での週末、ロンドン動物園を訪問する。そして飼育員の方に「ゾウを日本に? は? 無理無理。 だって・・・」といった趣旨のコメントを貰い、可能なら実名と職種などを教えて頂く。
 
そしてここから最大の山場に差し掛かる。
 
⑤在英国日本国大使館に、郵政省(当時)から一等書記官として赴任されたばかりの、気さくなキャリア官僚かつ友達でもあるMさんを訪問。大使館内を案内してもらい、「日本国大使館の公式な便箋」を、お土産として数枚譲ってもらう。
⑥持ち帰った日本国オフィシャルの便箋に、自分で勝手に「大使館としては某氏(私)および貴女(K。未満な彼女)の願いを叶えたらんと検討したが、やはり日本にゾウを連れて帰ることは難しいとの結論を出さざるを得ない」という内容の文章を書く。⑤で入手したロンドン動物園の飼育員の方のメッセージも挿入し、リアル感をさらに演出。
⑦帰国後、Kにその便箋を入れた封書(これも可能なら日本国のオフィシャル封筒を入手する)を渡し、「英国で手を尽くしたが、ちょっとばかり難しかった」と残念そうに、だが軽い感じ(重要)で伝える。
 
どうです? 完璧だと思いませんか。今思うと、⑥の部分がかなりアブナイ。公文書偽造ではないだろうが、何かの罪に問われそうだ。
 
①は簡単だった。上野公園に電話をかけて「ゾウの1日の食事を教えて欲しいのですが」と電話すると、窓口に出た若い男性は実に丁寧かつ詳細に教えてくれ、私はメモを取り続けた。昔の話なので手元に資料は残っていないが、当時の印象は事前の予想通り、「かなりいろんな種類の野菜や果物を、相当大量に食べている。とてもじゃないが、個人で準備できるようなものではない」。OK。シナリオ通りだ。
 
余談だが、今はどうなのだろうと気になってWebで調べてみると、「ゾウの1日の食事量は200キロから300キロ。水を1日100リットル飲み、1日のフンの総量は100キロにもなります」とあった。巨体に見合う、すばらしい健啖家である。1日100キロのフンをどうしたらいいのか、想像すらできない。
 
④から雲行きが怪しくなった。ロンドンブリッジ近くのホテルから地下鉄でリージェントパークに向かい、ようやく行き着いたロンドン動物園のゾウ舎。しかし休憩中なのか遠足に出かけたのか、ゾウも飼育員の方も全く見当たらない。30分くらい待っていたと思うが、誰も何も出てこない。次第に薄曇りの空の下、自分が一体何をしようとしているのか分からなくなってきた。今、突然だれか出てきたとしても何も聞けないだろうと思い始め、そのままホテルに戻った。でも大丈夫、プランにはまだ、在英国日本国大使館がある。
 
だが、大使館はなかった。夕方の指定時刻に事前に教わった住所に行っても、工事中の足枠で囲まれたような建物があるだけ。建物は立派だが、何度呼び鈴を押しても反応はない。書記官に連絡しようにも、周囲に公衆電話ボックスが見当たらない(スマホどころか、携帯電話すらなかった時代である)。周囲はだんだん暗くなり、怖くなってきた私はまたしても無念のままホテルに戻った。
 
その夜、私の部屋の電話が鳴り、当のM書記官は怒ったような声で、「大使館でずっと待っていたのに、何で来なかったの?」と言う。事情を説明すると、住所が違っていたことが判明した。大使館は新居に引っ越して間もない時期で、M氏も赴任して3カ月も経っていない。以前教えてくれたのは古い住所であり、私が出かけた建て替えの建物には、既に誰もいなかったというわけだった。
 
電話で平謝りするM書記官とは翌日の夕刻、ロンドンでは有名らしい日本食レストランで再開した。値段の高さに驚いた私は、焼き鳥を中心にオーダーしたことを覚えている。それでもかなり高かったが、この場はもちろんM氏のおごり。食事はまずまずだったが、残念だったのはそのレストランと現在の大使館の場所がかなり離れていたこと。日本酒(これもべらぼうに高かった記憶がある)に切り替えて飲み始めたころは、既に夜8時を大きく過ぎていた。私は、ストーリーの目玉にしていた「在英国日本国大使館の便箋の入手」を諦めた。
 
回復策を思いつかず、傷心のまま帰国した私を待っていたのは予想もしなかった別のストーリーだったが、ちょっと書くのがつらい。皆さんもお腹いっぱいでしょう?
 
あのころの若者の体温は、今より全員1℃は高かった。コロナを切っ掛けに、より穏やかで豊かな人間的生活(なんだそれ?)を築き上げようとしている今の世代からすれば、当時の現象は理解不能で「バカな時代」に映るだろう。
 
人によって思いはそれぞれだろうが、少なくとも私にとってバブル期あるいはバブル景気とは、「自分の物語を軸に、高揚した気分とはち切れんばかりのフィジカルが融合しかけた、稀有な社会現象」だった。そのフィジカル性が様々な意味で薄らいできているのが現在だと思う。
 
肉体(フィジカル)をいかに消し去るか――。アバターだらけの仮想空間が目指している世界は、結果的にこうなるだろう。私にはやはりバブル期とメタバースは、30年という年月を挟んだ共鳴のように思える。


 

 
ウクライナ侵攻と新型コロナ感染症を考える
~ “生物兵器”で脅すロシア、コロナ発生源と疑われたことがある中国

(2022.3.26)  
 
「ロシアはウクライナ侵攻で、生物兵器を使うかもしれない」
 
米ホワイトハウスのサキ大統領報道官が、報道陣にこう語ったのが2022年3月9日。バイデン大統領が米国の経済団体のイベントで「ロシア(プーチン大統領)が生物・化学兵器(biological and chemical weapons)の使用を検討している明確な兆候がある」と言及したのが3月21日。ロシアによる侵攻が続いているウクライナにおける、現在進行形の話である。
 
生物兵器とは、かつて国立感染症研究所の幹部が講演した内容によると、「ヒトに害を及ぼす病原体(ウイルス、細菌、真菌等)及びその産生する毒素等を用い、無差別に大量のヒトを殺傷しようとする行為を国あるいは軍のレベルで開発され用いられる場合に、それを“生物兵器”という」と説明している。
 
過去に、「生物兵器」という同じ用語が登場する話があったことを覚えておられないだろうか。
 
現在も世界で猛威を振るう新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界に知られるようになったきっかけは、2年と少し前の2019年12月31日。中国湖北省・武漢市の中国科学院武漢ウイルス研究所から世界保健機関(WHO)に対し、「原因不明の肺炎の集団感染が報告された」という連絡からだった。
 
その後、発生源を巡る様々な憶測の一つに、「コロナの発生源は武漢ウイルス研究所説」があったのは事実である。しかも当時は、「武漢ウイルス研究所は生物兵器を研究していたのでは」との不穏な噂もたった。当然ながら中国は、新型コロナが中国発症であることを一貫して否定している。
 
私が事実といったのは、「そのような推測や噂があった」という状況のことであり、「武漢の研究所が発生源」ということでは全くない。
 
実際に、2021年8月、米情報機関は「新型コロナウイルスは、生物兵器として開発されたという証拠はない(inconclusive:決定的なものではない)」と発表している。歯切れが悪い言い回しからして、要は本当のことはよく分からないのが実態なのだろう。
 
話をロシアに戻そう。同国が有するとされる生物兵器と、現在も世界中に感染が広がっている新型コロナウイルスとの関係は、全く分からない。ましてや中国(例えば中国科学院武漢ウイルス研究所)との関係など、推測されるだけでも中国は嫌がるだろう。ロシアと中国が、とても仲が良いとしても、だ。
 
そして2カ月前の2022年1月以降、欧州のオーストリア、オランダ、スイスなどの国々で、オミクロン株の変異型(BA.2株)の感染急増が始まったと伝えられた。その話を記事で読んだ直後、私が思ったことはこうだ。「これらの国々に、ロシア(あるいはロシアと仲が良い国家など)が資金を提供していそうな“ウイルス研究所”はなかったっけ?」。意味はお分かりかと思う。
 
以上はもちろん、疑り深い私の妄想であり邪推である。気分を害された関係者の方がおられたらお詫びしたい。しかし、本当に細い糸かもしれないが、私にはどこかで様々な事象がつながっている気がしてならない。
 
名著、「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」(日経BP社から2019年に発刊)の中で、筆者のハンス・ロスリング氏(2017年に他界されたので、執筆は後を継いだファミリーかもしれない)は、今後心配すべきグローバルリスクとして以下の5つを挙げている。
 
1. 感染症の世界的な流行
2. 金融危機
3. 世界大戦
4. 地球温暖化
5. 極度の貧困
 
この本の原著の発刊が、新型コロナウイルスによる感染症が全く知られていなかった2018年ということを思えば、その慧眼に刮目せざるを得ない。
 
この中で金融危機こそ現実のものになっていないが(世界大戦はまだ分からない)、ウクライナ侵攻によるロシアの信用低下、ルーブル安、そしてデフォルト(債務不履行)が近付いているように思える今、世界経済が引きずられることは100%ないと言えるのだろうか。世界の金融システムはあまりに複雑すぎるので、恐らく誰も予測できないだろう。
 
・・・暗い話を想像していても仕方がない。ここまでこの拙文を読んで下さった方の中に、もし何かしらの不安を感じられた方がいるかもしれないと思うと、誠に申し訳ない。遠からず、あらゆる事態がきっと良い方向に向かうと信じよう。
 
さて。こういう落ち着かない気分の時は、「美味いものを食べに行く」のが一番だ。これは辛い行為から目を背ける逃避行動では断じてない。状況の悲惨さを脳裏に刻みながらも、皆が下を向かず頭を垂れず、顔を上げ前向きに考えて行動することで状況は良い方向に向かうはず、という願いであり私個人の信念だ。逆よりずっといいではないか。
 
幸い、大学時代の仲間同士で、浜松に「世界で最も美味い鰻」を食べに行く計画が進行中である。旅の幹事は、「スケジューリングの精緻さにかけては、神奈川県内で彼の右に出るものは50人を超えると言われるS君」。何の心配もない。
 
S君に告ぐ。世界平和は君に託されたのだよ。前回のオンライン飲み会から既に1週間も経った。早く旅行の日程を設定しておくれ!
 
 


 

 
その時は正しい行為と確信してしたことが、後で微妙な状況に変化した時の困惑
~ スズメバチに頭を刺された友人とのひと夏の出来事

(2022.2.21)  
 
ギャー、痛たい痛たい、ギョエー、痛て―よ―。
さっきまで一緒に遊んでいた友達の蒲郡君が、転がりながら頭を抱えて叫び続けている。周囲には私のほかには誰もいない。
 
場所は私の家から少し離れた小広場。飛んできたスズメバチに、我々2人は全く気付かなかった。そしてあっという間に彼は転がって叫び始めた。頭を刺されたらしい。このままでは蒲郡君が死んでしまう。
 
動揺する私の頭に浮かんだのは、当時誰もが信じていたと思われる民間療法だった。すなわち、「ハチに刺されたらアンモニア」。私は全く躊躇せず、叫んでいる彼の頭に小便をかけ続けた。
 
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これは、我々が小学2、3年生の頃の実話である。当時、私は栃木県の西那須野という町に住んでいた。今は那須野が原公園という立派な巨大公園がある場所には、かつて近隣の草地試験場という農林省の施設に通う人々の住宅が立ち並んでいた。
 
私の家もその一角にあり、古い木造の平屋。その風呂場付近の軒下に、いつの間にかスズメバチが巣を作っていたのだ。風呂場にスズメバチが飛び込んでくることがあったため、驚いた父親が周辺を探しているときに発見した。
 
スズメバチの巣はたまにテレビに登場することがあるので、ご存じの方もいると思う。それは巨大な球体をしており、直径50センチもある。家の軒下に出来ていた巣も、そのくらい巨大だった。そして、そこに巣食うスズメバチは、刺されたら死ぬことも十分あるという最強最悪狂暴無比の飛行生物である。
 
当然ながら、巣を取り除くまで近くには行かないように強く言われたと思う。しかし家からやや離れていたこともあってか、蒲郡君と私は学校帰りの真夏の夕方、恐らく「めんこ(実際は牛乳瓶の蓋程度の大きさの円形の厚紙を、その側面でこすって裏返す遊び。名称を思い出せない)」に夢中になっていた。冒頭で書いたのは、その直後の阿鼻叫喚シーンである。
 
さて。蒲郡君の頭に小便をかけた後のことは、全然覚えていない。今から思えば、小学2年生の子供がスズメバチに頭を刺されたら、すぐに適切な措置をしなければ、死んでしまうだろう。
 
だから蒲郡君(生きていた)の頭に向けた、私のとっさの判断が有効だったかというと、科学的には全くそうではないらしい。調べるとハチの毒は複雑で、アンモニア程度では中和できない。ということは、蒲郡君は頭を刺されたわけではなく、恐らく髪の毛に絡まって暴れているスズメバチの恐怖で転げまわっていたのだろう。
 
その夏の夕方以降、蒲郡君は家に遊びに来なくなった。私は、何となく「忘れてくれていればいいな」と思っていたが、蒲郡君は忘れていなかった。二人で遊ばなくなって何年か経った後、何かの機会に彼から「頭に小便」の話が出たからだ。それは怒っているようでも、感謝しているようでもなかったと思う。
 
私は中学1年の夏に父親の転勤で引っ越してしまったので、その話が出たのはたぶん小学校の高学年ごろ。小学校の高学年と言えば、もうほとんどのことは理解できる年齢である。だから今、私は確信している。「蒲郡君は、あれから数十年経った今でも、きっとあの時のことを覚えている」と。
 
私はそれから10年以上も経た職場の社員旅行の際に、風呂場で素っ裸のまま「頭からビール」を掛けられたことがある。遊びの流れだったのか罰ゲームだったのか、それとも掛け合いだったのか、もう思い出せない。風呂だからすぐに流せるし、けっこう楽しかった思い出として記憶している。驚いたのは、素肌にビールを掛けると、痛いほど沁みるということだ。だからどうしたということでもないが。
 
大人と子供、冷たいか(ビール)暖かいか(尿)という違いこそあれ、「(時に泡立つ)茶色い液体を、頭から思い切り掛けられる」という点で、両者は共通するかもしれない。そして“頭ビール”に私が嫌な思いを持っていないように、“頭小便”を蒲郡君が嫌な思い出として記憶していないことを切に願う。だってあの時の行動は、君を助けたい一心からだったのだから。
 
(何とか話を戻そうとしたのですが、今回は、行ったまま帰ってこれませんでした・・・)


 

 
「オラオラ顔」「ドヤ顔」系の車がなぜ増えているのか
~ あるいは「ドラレコ作動中」のステッカーが大嫌いな私の代替案

(2022.1.29)  
 
この数年、フロントグリルというか「顔」がコワイ自動車が急増している。特にミニバンに多いが、最近は軽自動車など別のカテゴリーでも増えているように思う。いわゆる「オラオラ顔」とか「ドヤ顔」とか、とにかく威圧感を与える車たちだ。すっ飛んでこられると本当に怖い。
 
なぜ増えているのか。答えは簡単で、売れるから。オラオラ顔の代表はトヨタ自動車のミニバン「アルファード」と言われるが、実際に売れまくっているらしい。「売れる」なら、そして合法であれば、他者からなんと言われようがどんなものでも作るのがメーカーであり、当然だろう。作っているのは会社の社員なのだ。売れてナンボである。
 
オラオラ顔の車は「煽り(あおり)運転」の元凶などと言う人もいるが、証明されているわけではない。仮に因果関係があるとされても、購入層には何の影響も与えないと思う。かくして日本中のほとんどのメーカーが「威圧感があるオラオラ車」を作って売りまくっているという訳だ。
 
なぜ、こんなに売れるのか。例えば以下のような要因がありそうな気がする。
 
■後ろから近付いていくと、前の車は避けたりする。自分が強くなったようで、嬉しい(こういう車には、怖い人やアブナイ人が乗っていると見られているのでは)。
■「俺、こう見えても昔はワルだったんだよな」的な雰囲気が出せる。異性にもてそう(勘違いである)。
■本当は別の車が欲しかったんだけど、子どもがまだ小さかったり親と同居していたりなどの理由で、ミニバンしか選択肢がなかった。だったら「優しい家庭持ちのパパ」ではなく、「本当はちょっと怖い面もあるチョイ悪パパ」に見られたい(・・・)。
■ちょっと強引な割込みや追い抜きをしても、ビビってしまいそのままで済む。我が物顔で運転出来るので、偉くなった気分(これは先頭の例と同じか)。
■女性ドライバーなどの場合、なめられたり煽られたりしないためには、怖そうな車に乗っていた方が安心と言われたから(車のフロント側ではなく、リア側がドヤ顔でないと威力半減では?)
 
このような車は、VIPの送迎用としても引っ張りだこのようだ。これは乗り心地がいい(座席が立派、社内が広い)からとされているが、威圧感がある車に迎えられた人は、それなりに「大事に扱われている感」があるからだろう。つまり、「オラオラ車=威圧感がある車≒威圧感がある人が乗っていそうな車≒何らかの意味で怖い人(偉い人は多くの場合、怖いという幻想がありそう)が乗っている車」ということか。
 
もっとも、車に興味がない人にはどうでもよい話らしい。試しに20代の自分の娘(免許を持っていない)に典型的なオラオラ顔の車の写真を見せたら、「あ、ばいきんまん(アンパンマンシリーズに登場するキャラクター)に似てる!」と即答した。
 
さて。私が書きたかったことは、二つある。一つはオラオラ車の増加率と、車の後部に「ドライブレコーダー作動中」というステッカーを張っている車の増加率は、ほとんど同じくらいではないか、ということ。そして私は、「ドライブレコーダー作動中」などの『監視的ステッカー』が有する、「威圧感には威圧感で」という対策が大嫌いである。だから、これに代わるようなステッカーはないだろうかということだ。
 
一つ目の話は、むしろ当然に思える。このようなステッカーは、「ドライブレコーダーで後ろを録画しているから、あなたが煽ったりしても記録が残りますよ(警察に連絡しますよ)」という、煽り運転の抑止効果がありそうだから。まあ効果的であったとしても、個人的にはずっと行動を記録されているのは気分がいいものではないが。
 
となると、私の課題は二つ目の、「ドライブレコーダー作動中」に代わるようなステッカーはないかという点に絞られた。なお、言うまでもなく、これは机上で遊んでいるだけ。笑って許して下さい。
 
いくつか考えてみた。例えば
 

  • 宇宙人が乗っています  (・・・は?)

 

  • 東京都猟銃愛好倶楽部   (逆に絡まれそう)

 

  • 赤ちゃんが騒いでいます   (それが何か)

 

  • ax+3bx+7cx=0  (意味が分かりません)

 

  • 遠い親戚に警察官がいます   (良かったね)

 

  • 衝突し合える友人を求めています  (では遠慮なく)

 
・・・どれも駄目だあ。抑止力にはなりそうもない。まあ煽り運転に逢いそうになったら、すぐに避けるのが一番。やばくなったら「すぐに警察に電話して相手の車のナンバーを伝え、ドアをロックして社外に絶対出ない。相手とは目を合わせない」という対策が一番ですね。
 


 

 
「顔認証」の危うさ
~ 使い方次第とは分かっていても、私は警戒を解くことができない

(2021.12.26)  
 
ある日、自分のところにこんなメールが来たとする。
 
「 宮嵜(私)様、最近、体調はいかがでしょうか。この2週間続けられていた小金井公園での早朝ランニングが途絶えていたので心配しておりました。普段1段飛ばしで駆け上がっていた駅の階段も、普通に登られているようですね。3週間前、新宿御苑前の中華料理店を降りる階段を踏み外して怪我をされた右ひざが、今でも気になっていらっしゃるのでしょうか。時々、ダンディなお顔の眉が上がってしまうのは、痛みのせいではありませんか?
さて、あまり関心しないのは、毎朝、コンビニエンスストアで購入されたカフェオレに、シュガーを入れすぎることです。毎朝の楽しみであることはその満面の笑みから容易に想像できますが、糖分の取り過ぎはいけません。宮嵜様が先月10日、渋谷の松濤で購入されたハチミツで代替された方がよろしいかと思います。なお、関節の痛みに関する本を先週3冊もご購入されていますが、知識は多すぎても意味がありません。そこでひとことアドバイスをさせて頂きますと(省略)・・・。 株式会社中村工業 マーケティング部主任 田中正 拝」
 
えーと、私はまず中村工業という会社も田中という方も全く存じ上げない。それでも、メールの内容に一瞬おいてから相当な恐怖を覚えるはずだ。何でこいつ(ら)は、自分の行動を克明に知ってるんだ?
 
このような内容を把握するには、まず街中に大量の監視カメラ(防犯カメラと表現を和らげる場合が大半だが)が必要だ。駅やコンビニエンスストア内にもいるだろう。店舗やECの購買履歴も知ってるようだ。「満面の笑み」などという表現を使うからには、間違いなくAIも組み込まれている。そしてこいつ(ら)は私の顔をしっかり認識したうえで、データの名寄せをしている。・・・ここまでやるとなると結構なデータ連携基盤が必要だな。送り主は政府か?
 
上記は全くの架空の話だが、荒唐無稽かというと、そうではないと断言する。最近の、これら「顔認証」に関連すると思われる記事を日経新聞の見出しから拾ってみると、けっこうある。
 
■人権侵害で輸出規制 ルール化、米欧と連携 顔認証技術など対象、政府検討(2021/12/24)
■監視技術の管理、米が主導 多国間で輸出規制、悪用阻止へ中国の人権侵害に対抗(2021/12/12)
■りそなの顔認証、27社参加 セブンやJR西など 23年度にも技術構築(2021/12/10)
■丸の内で顔パス決済 三菱地所、AIカメラ4万台(2021/11/8)
■そごう・西武、AIカメラで買い方分析 所要時間や「素通り」把握(2021/10/3)
■NTT東、売らない小売店進出 来客3000万人分析、通信局も活用 行動データを出品者に(2021/9/16)
■ファミマ、無人店1000店 通常の品数維持 規制の壁打開、小売りの生産性向上(2021/9/11)
■「レジなし店舗」実用化へ ダイエー、NTTデータと組む (2021/08/29)
 
警戒や、逆にマーケティングへの期待など様々なフェーズで語られており、それが記事になるということは、それなりのバリューがあるということだろう。そして私はこのような「顔認証」を、アブナイ技術として非常に警戒している。同時に、多くの人々がさほど警戒心を抱いていないことに、とても驚いている。
 
私がこの技術を「?」と思ったのは、約2年前。ある企業の求めにより、顔を近付けると額の辺りで体温を測定する非接触型の体温センサーを調べたことが切っ掛けだ。
 
日本に入り始めた10製品ほどを調べてみて驚いたのは、内蔵された回路の開発元。10社中9社が中国企業である。残りの1社も「日本で組み立て検品・最高品質を保証」とあるので、恐らく中国企業のモジュールを日本で組み立てているのだろう。ちなみに中国企業の代表格は中国浙江省杭州市のHIKVISION(ハイクビジョン)。言うまでもなく米国から最も警戒されている企業であり、監視、いや防犯カメラの世界最大手である。
 
そして、どの中国企業も、「顔認証機能」の優秀さを前面に押し出しており、新型コロナ対策として有用な「検温機能」は、あたかも「そういうのも付いてますけどー」という、おまけ的な扱いだったことだ。監視カメラ大国である母国の現状からすれば当然だろう。
 
誤解されると困るが、私は一概に「監視カメラは駄目!」と言っているわけでは全くない。技術自体は素晴らしい。まさしく称賛に値するもので、さらに精度を高めて頂きたいとさえ願っている。問題は、「どこでどう使われるか」だけだ。そして私が憂えているのは、この技術が潜在的に有している危険さに、社会や世の多くの方々が無関心でいるかのような状況にある。
 
この手の技術を求める国は、世界中に多く存在すると思う。特に、国民の不平・不満に対し武力を持って抑え込もうとする国家群だ。これらの国々に、こういう技術を有する企業が、その「政治体制」ごと持ち込んだらどうなるか。恐らく環境技術の供与などより確実に効果を挙げるだろう。効果というのはビジネス面だけではなく、国連の各委員会でのチェアパーソンの多数を同一国で染めたり、大量の票の獲得に一躍買ってもらったりという意味だ。
 
本欄のような小さな小さなどうでもいいブログであってさえも、頭の中では「こういう記事を書くのはあまり宜しくない(少々危険という意味)」と警鐘が鳴っている。また個人的には、人間には「本当に知られたくないこと」などほとんどないと考えている。それでも、自分の知らないところで自分の情報をガンガン集められるのは、気分がいいことではない。Cookieなどとは比べ物にならないくらいに。
 
昔、いや今でも、多くの若者が東京や大阪などの大都会を目指すのは、街の大きさの魅力や可能性だけではなく、地元特有の「息が詰まるような濃すぎる人間関係からの脱出」が要因と言われてきた。確かに「あそこのお嬢さん、夕方頃に隣町の喫茶店で、人待ち顔でお茶してたよ」など言われるのは嫌だろう。
 
でも東京だって同じなんですよ。違うのは詮索や噂レベルにとどまるのではなく、ダイレクトに「何か」を狙ってくること。そしてそういう未来が迫っているのを分かっていながら、そして日々誰か知らぬ勢力に情報を抜き取られながらも、同じ生活を続けなければならないこと。利便性の向上なり防犯率の低下なり、多大な恩恵とのトレードオフであるとしても。
 
さて、このブログも今年最後となりました。僭越ながら、あえて皆様にお伝えしたいことをことがあるとすれば、考えることを止めないこと。考えて考えて、さらに考えること。この文章に少し緊張感を感じられるとしたら、冒頭のメールがフィクションではなく、本当のことだったから、かもしれません。
 
・・・嘘ぴょん。今のところまだ大丈夫。
 
このブログも年内は今回が最後です。皆様、よい年をお迎えください。


 

 
A Day In The Life
 ~ 深山の銭湯と海老天丼とスイートポテトパフェと私の休日

(2021.11.26)  
 
人間の真価は、休日の過ごし方で計られるーー。
 
こんな風に言われたら、なんとなく焦りませんか? 特に、気が付くと夕方だった土曜日に誰かに言われたら、あちゃーという気になる。実際、私が20代、30代の時は土曜日という休日は存在しなかったに近く、自宅で気が付くと既に夕暮れ。翌日の日曜日をたっぷり使うために、数時間後には再び寝てしまうような日々だった。少し盛ってますが。
 
例えばどんな日だったかというと・・・
 
金曜の夜7時ごろに会社を出て友人と新橋で合流し、2軒回ってから渋谷に移動。さらに2軒はしごして、午前2時に帰宅タクシーをゲット(このような遊び方をトリプル2と呼びます)。帰宅途上のタクシーの中、ふと気が変わって運転手の方に新宿に戻ってもらうようにお願いし、歌舞伎町へ(トリプル2&リターン)。何だかんだあって土曜の午前中、スーツ姿のまま自宅の玄関で寝ている自分に気付き、ベッドに移動して再爆睡。起きたら夕方、というのが典型的な土曜日の過ごし方だった。
 
もちろん毎週ではない。死んでしまう。年に2回~15回くらいの頻度だったと思う。今は体力的にとても無理である。と言いつつ、かなり近いことを先月やってしまったが。
 
以降の文章は、最近の私がお気に入りの休日の過ごし方です。「爺さんの休日」なんてものに興味がある人はまずいないと思うので、お仕事中の方は元の仕事へ、お休み中の方はツルゲーネフを原本で読むとか、有意義っぽい作業に戻られることを強くお薦めします。
 
さて。私の休日はというと、なんだかいつも同じようなことをしている。ベクトルが同じというか、好きなことの組み合わせを変えているだけというか。いろいろやっているようにも見えるが、結構シンプルにパターン化出来るわけで、これは加齢によるものと思う。もっと若かったら「あれもやりたいこれもやりたいそれもやりたい」となるのだろうが、年齢と共に引き算されてきた結果、安心感や安定感のあるパターンに収れんしつつあるということだろう。
 
具体的なパターンを挙げれば、①車でドライブ+甘い食べ物、②車の洗車+甘い食べ物、③山奥の日帰り温泉+甘い食べ物、④これら①~③の組み合わせーーという感じ。このメインパターンの中に、オーディオや読書、アイロンがけなどが組み込まれる。
 
11月25日(木)の休日(私は会社の休日をフレキシブルに設定している)は、①と③の組み合わせだった。
 
家を朝8:30に車で出発し、中央高速の八王子インターで降りて一般道へ。30分くらい走って五日市線の終点である武蔵五日市駅前の交差点を左折。そこからは奥多摩湖に向かう檜原街道を通る快適な登りドライブになり、急カーブが連続する20㎞ほどの道を行くと、「数馬(かずま)の湯」というお気に入りの温泉施設に到着。この深山の湯に浸かるのが今回の第一の目的だ。自宅からちょうど2時間なので、ドライブ(高速を含む)+温泉パターンである。
 
お昼もここで。私は天気がいいと海老天丼が食べたくなる。ここの海老天丼は美味くて量も多い。この食事処から、紅葉が目の前に見える。おっと、コイン式マッサージ機を使うのを忘れるところだった。
 
帰りの午後は、休日には絶対に欠かせない「甘いもの」コースに突入する。いくつものパターンを用意しているが、個人的最高峰は、椿屋茶房のスイートポテトパフェを食するコース。これ、凄いですよ。
 
このパフェの基本形態は、大陸プレートのように敷かれた暖かなスイートポテトの上に、冷たいソフトクリームアイスが山盛りというもの。これに、シュガーコート(糖衣)されたスイートポテトがゴロゴロ入り、皿をすくったスプーンに乗っかってくるのは甘~い小豆。 優勝!
 
暖かくて甘いものに、冷たいアイス。ポイントはこの温度差が巻き起こす口中のスペクタクル、目もくらむような悦楽にある。
 
例えば、レッドロブスターの定番デザートである「暖かいチョコレートケーキやアップルパイの上でゆっくり溶けるアイスクリーム」に異を唱える人は、地球上に存在しない。そして私の場合、スイートポテトパフェは、それを2段階は引き上げた美味しさに感じる。舌は喜び目は潤み、スプーンに乗った一片の糖衣された暖かなスイートポテト(しかも冷たいアイスまみれ!)に心が震える。・・・って、興奮してどうする。
 
私の充実した休日はここで終わる。次に控えているのは冷えたビールと出羽桜(山形の銘酒)だ!
 
なおあくまで余談ですが、このスイートポテトパフェが食べられる店の店内は大正ロマン風で、ウエイトレスさんは全員、クラシックな「メイド服」を着て給仕されておられます。言うまでもないことですが、私の甘いもの好きとメイド服に、一切の関係はありません。
 
もったいなくもビートルズの名曲、A Day In The Life(日常の、ある日)をタイトルにお借りして書き始めたのに、途中でスイートポテトパフェを思い出して心拍数が上がってしまったため、訳が分からない内容となった。もっとも、この超名曲の歌詞も相当ぶっ飛んでるから、まあいいか。
 


 

 
小浜湾沖のアオリイカと、葉山はマーロウのプリン
~ 2週続けてマリーナ遊び

(2021.10.17)  
 
朝6時前。福井県小浜市のマリーナから21フィートのマリンボートで出航し、北西に向けてほぼ全速で疾走すること数十分。湾内の細やかな波とは全く異なる外洋の波が、絶好のフィッシングポイントに停めたボートをゆっくりと、かつ不気味なうねりで上下させている。
 
115馬力のエンジンを装備した本格的なマリンボートのオーナーである友人F君(関西在住)に誘われ、私を含む同じく大学時代の友人3人は、新幹線とレンタカーを乗り継いで関東からやってきた。そして今、超大型の青魚を目指して船上にいる。船は、押し寄せる波に船首を向けている。そしてバウ(船の先端側)は、ほぼ一定の周期で、大きく上下している。
 
F君を除く我々3人は、釣りはほとんど初心者。なのに狙うのは、超大物のブリやヒラマサ。漁法はジギング(ルアーフィッシングの一種)。「ワシが釣り上げたブリの重みで、船、沈めたるわい」と、事前のテレビ会議で私がワーワー言っても、船のオーナーのF君が何も反応せずにニヤニヤしていた理由が、船上で分かった。
 
船首に立っているだけで、とてつもなく怖いのだ。 
 
手ぶらでいた時はそうではなかった。ぶつかってくる波に船首が持ち上げられ、そのままだと後ろにひっくり返る。だが、船にはバウレールと呼ばれる金属のバーがついている。私だとへそ下5センチくらいの高さだ。そのバーを握りしめてさえいれば、落ちるはずがない。
 
しかし、我々はボート遊びではなく、フィッシングに来たのだ。80センチ超級のブリを釣りに、ここにやってきたのだ。でも大物用のロッドやリールは決して軽くはない。左の脇腹でロッドのエンド部分を締め、左手でロッドを握る。右手はリールのハンドルを握っている。。・・・あれ? どうやってバーを持つんだ?
 
海に落ちるんですけど――と慌ててF君に大声で問い、返ってきた答えをまとめるとこうなる。
 
①体を船外に大きく乗り出し、金属のバウレールに全体重をかけて体を預ける、②波が押し寄せてきたときは、身を海に投げ出すような思いで、さらに強く前に乗り出す、③自由になった両手でロッドとリールを操る――
 
できるかそんなこと! と思いながらも、「俺は船の一部であり俺は船と一体でありなおかつ俺と海は友達であり」などと念仏のようなものを唱えながら恐怖と闘っているうちに、徐々に慣れ始めた。時々やってくる大きめの波にヒヤリとするものの、ここが水深80メートルであることも、あまり気にならなくなった。
 
そして5時間近くが経過。一匹も釣れなかった。生物的感触すらなかった。
 
「場所を変えて、アオリイカを狙ってみよう」
 
気が利くF君は、事前にこうなることを予測しており、人数分のアオリイカ用のロッドと仕掛け(エギング)を準備してくれていた。割と近くに陸が見える水深20メートル辺りでロッドを操っていた時、偶然、私の仕掛けに掛かってくれたのが写真左のアオリイカである。
 
やや小ぶりとは言え、アオリイカはイカの王様。超高級食材であり、普通のスーパーでお目にかかることはまずない(スーパーに並んでいるのはスルメイカかヤリイカ)。出るとしたら高級寿司店か料亭だろう。その晩、船宿の主人が刺身とから揚げにして出してくれたアオリイカの味を、このコラムで言葉にする術を私は持っていない。
 
かくして10月なのに真夏のような気温の中、我々は7時間以上も船上にいた。鼻はトナカイのように真っ赤に日焼けし、数日後には皮が剥けた。こんなこと小学校以来だ。もう自分のことを「海のオトコ」と呼んでも、誰からも後ろ指をさされることはない(だろう)。イカも釣れたし。
 
*  *  *  *  *  * 
 
さてその1週間後。私は神奈川・葉山町の葉山マリーナにいた。神奈川県民なら三歳児でも知っているプリンの有名店、「マーロウ」が葉山マリーナにも出店しており、友人を誘ってプリンを食べに来たのだ。
 
米国のハードボイルド作家、レイモンド・チャンドラーが生みだした私立探偵、マーロウ(フィリップ・マーロウ)については説明の必要もないと思う。その名を冠した店舗をかつて親しい友人に教えられて以降、自宅のある東京多摩地区から、横須賀の秋谷本店や逗葉新道の店舗にも行った。
 
マリンボートだけでなく、このまま太平洋を渡れるんじゃね?と思わせるような超豪華クルーザーを含めた多種多様の船を眺めながら味わうやや固めのプリンは、相変わらず実に美味しい。加えて言えば、マーロウの顔のシルエットがプリントされたテイクアウト用のプリンがショウケースに並ぶ様は圧巻である。
 
さて、突然の話のツイストに、何だなんだと思われるかもしれない。前段の小浜沖でのハードなフィッシングの話と、このマーロウのプリンの話は、一見、まったく何の関係もないように映るだろう。
 
でも私的には、関係ありありなのだ。理由は、居並ぶクルージング・ウエポンの壮観さは、どこでも同じような感動を与えてくれると感じたから。そして、たまたま2週連続でマリーナにいたことで、改めて自分が「海のオトコ」であることを自身で確信したから(笑)。まあ、若狭湾と葉山マリーナでは、そもそも釣る対象が違うという話もありますが(深い意味はありません)。
 
この土曜から日曜(10/17)にかけ、一気に気温が下がって来ました。皆様、体調に気を付けてお過ごしください。
 


 

 
シュウマイに醤油とソースを間違えてかけても気が付かない時がある
~味覚障害ではない(と思う)のだが

(2021.9.14)  
 
夕方の食卓。目の前には大きなシュウマイが6個、キャベツの上に乗った美味しそうな一品がある。別のおかずもあるためか、テーブル上にはソースや醤油、マヨネーズなどの調味料も載っている。
 
私はいつものように辛子を個々のシュウマイの上に乗せた後、醤油をさっと振りかける。ビールを満たしたグラスを片手に、「あ゛――うめ――」 と第一声。至福のひと時。今日も働いたなあー結構進んだなあーなどと思いながら、テレビ横目にシュウマイは二つ目、三つ目・・・
 
ここで 「?」 と口の中にちょっと違和感が生じる。なんだか、ちょっと酸っぱくないか?
 
皿の上に残っているシュウマイを見て、原因が分かった。醤油のつもりでソースをかけていたのだ。それにしても、3つも食べておいて、その間気が付かなかったのか? 私はシュウマイにソースをかけて食べる習慣はない。完全な醤油派だ。
 
さては味覚障害? 新型コロナウイルスに感染? 老化の影響? いやいやそんなことはない(はず)。食欲旺盛だし、ビールであれば、かなりの確率で銘柄まで当てられる。それにタニタの最新の多機能体重計によれば、実年齢より15歳若い数字が出ている。きっとぼおっとしていて、あるいは興味がテレビ番組とビールに集中していて気が付かなかったのだろう。
 
言い訳ではないが、ソースと醤油の味は、案外似ているのではないか。だって、どっちをかけてもいいような食べ物が結構あるし。
例えば
 
・カレーライス・・・私はソース派だが、たまに醤油をかけてみることもある(基本的には何もかけない)
・コロッケ・・・こりゃもう圧倒的にソース
・目玉焼き・・・あれば醤油(海外の場合は塩コショウ)
・シュウマイ・・・絶対に醤油
・チャーハン・・・何もかけない(ソースをかける人は結構います)
 
意見が分かれるのは、本当に個人の「好み」だけなのだろうか。瓶を片手に持って何かにかけるという動作は肘の角度までそっくりだし、ひょっとして味もどこかでつながっているのではないか。
 
何でこんなことを延々書いてきたかというと、9月14日の日本経済新聞の朝刊に、 「味・においデータ変換 食卓へ 明大やキリン、実用化急ぐ 食品再現や広告配信」 という記事が出ていたからだ。
 
味やにおいの成分をデータに変換し再現する技術開発が進んでおり、味や匂いをセンサーで解析・データ化して伝送し、遠隔地で再現しようとする試みだ。研究者によると、 「動画や音楽を共有するように、自分が食べた味を人と共有できる日もそう遠くはない」 らしい。
 
素晴らしい試みと思うと同時に、私はこうも思った。 「味覚は視覚の補助がないと、けっこう“曖昧”な気がする。とすれば、ゴーグルをしてAR/VRにのめり込むような映像と同時なら、かなりアバウトな技術でも実用化は予想以上に早いかも」。
 
そりゃあ私だって、集中すれば目隠しをしてもソースと醤油の違いは一発で分かる。当たり前だ。しかし自分の感覚からすると、味覚は五感の中でもかなり鈍い方と思う。逆に想像以上に鋭いのは“嗅覚”ではないか。嗅覚の再現には研究者が想定している以上の時間が必要だと考えている。記憶の原野に結び付いているかのような独特な感覚を、本当に再現できるのだろうか。
 
まあ冒頭のようなエピソードを明かしてしまうと、今後私は、「違いが分からないやつ」と言われるだろうな。あるいは「あいつは匂いフェチ」。・・・このコラム、書かなきゃよかったかも。
 
ちなみに、自宅で食べる焼餃子には醤油・ラー油・酢の黄金トリオではなく、私はミツカンの 「味ぽん」 をかけて食べます。
ああ、本当に書かなきゃよかった。最後まで馬鹿話に付き合って頂いた方々に感謝します。もうしません。


 

 
ダイナミック・プライシングの名を借りた“値上げ”
~もっと素直に言っても大丈夫ではないか

(2021.8.13)  

 
ダイナミック・プライシング(Dynamic Pricing)とは、需要によって商品やサービスの値段が変わること。例えば、お盆や正月といった繁忙期には旅館やホテル、航空料金の値段が跳ね上がることなどもその一種である。
 
これは古くからある仕組みで、原理は簡単だ。普通は1万円で売っている商品があるとする。年間を通じて同じ値段に設定した場合Aと、その商品を人々が買いたがる時期(需要が高まる時期)は1万2000円に値上げし、特に必要とされない時期には8000円に値下げする場合をBとしてみよう。
 
商品やサービスによって差は出るだろうが、適切な時期に適切な値段設定に変動させれば、年間を通じた売り上げはAよりBの方が大きくなる。本当に欲している人は多少高くても買うし、安くすれば「今は不要だけど、安いから買っとくか!」と思ってくれる可能性があるからだ。
 
このようなダイナミック・プライシングは、既に様々なところで使われている。公共的な側面が強い鉄道でも、特急の普通席指定券なら閑散期は通常料金より200円安く、繁忙期は逆に200円高い(JR東海の場合)。ただし法律により事前の届出が必要になるなど、利用度に合わせて勝手に料金や時期を自由に決めるのは難しいらしい。
 
このようなダイナミック・プライシングを適切に行えば、商品やサービス提供者には売り上げ増大というメリットが手に入り、利用者にも実際に安い料金で同じ商品・サービスを購入できることで「お得感」を得ることが出来る。
 
個人的には、もっと普及してもいい制度だと思う。ただしそれが、「価格弾力性」に配慮した正当なものであったなら、という条件付きでだ。
 
価格弾力性とは聞きなれない言葉と思うが、例えば「いくら値下げすれば(これまで買わなかった人々が)買いだすか、あるいは逆に、どの程度の値上げならどの程度の人々が付いて来てくれるか(購入してくれるか)」ということを数値化したもの。もちろん簡単に分かるはずがなく、経験や実態をベースとした計算が必要なる。そしてこの数値は環境(より魅力的なサービスや商品が登場するなど)に敏感なので、常に修正が必要とされる。
 
「値付け」は奥が深く、売り上げの極大化はそう簡単ではないのだ。
 
小難しい話を書いてきたのは、ダイナミック・プライシングという名を借りた、「(実質的に)単なる値上げじゃね?」と首をかしげるようなケースが出てきたから。昨年、JR東日本が「混雑の緩和」を題目に掲げた“ダイナミック・プライシング”の検討を打ち出した時にも、違和感を抱かざるを得なかった。
 
通勤時の混雑は、誰だって嫌に決まっている。しかし会社が決めた時間に間に合わせるには、諦めて混んだ電車に乗り込まざるを得ない人がほとんどではないのだろうか。1時間遅い空いた電車に乗れば、その分のポイントを還元しますよと言われても、そうできない事情があるから混雑しているのではないか。つまり、価格弾力性がほとんどない。
 
お分かりだろうか。真っ当なダイナミック・プライシングのポイントは、購入者・利用者側に選択肢があるかどうかによって決まる。「遅い時間の方が安いからそっちで行くとするか」「今回は高いから安くなるまで待つか」「ここは一発、人気殺到らしいあれを買ってみるか、高いけど」などの選択がないままの価格変動は絶対におかしい。単なる値上げである。
 
さらに、値上げと値下げと組み合わされたダイナミック・プライシングのように見えても、実態を考えれば「どう見ても価格は上振れするな。これ実質的な値上げだよ」というようなケースも、なんだかなーと思ってしまう。
 
そんな中、笑ってしまうような話が実際にあった。皆さん大好きな東京ディスニーランド(東京ディスニーシーとともにオリエンタルランドが運営)である。
 
同社は昨年12月、2021年3月20日の入園分から、「チケットの変動価格制を導入する」と発表した。土日や大型連休などの料金を最大500円引き上げ、時期によって異なる入園者数の平準化を図る狙いという。私は料金表を見て驚いた。これまでの料金を「最低」に、すべての料金が最大500円高くなるように“変動する”。これはピュアかつ完璧な値上げである。「値上げ以外の用語が見当たらない」ほどに。
 
利用者にとって、変動価格制などという難しい用語はどうでもいい。人気があるし自信もあるのだろうから、堂々と「値上げします」と言えばいいじゃないですか。混雑緩和などと、耳当たりの良い用語を持ち出さなくたって。
 
コロナ禍において、飲食や交通、旅行、宿泊、イベント関係などに携わる企業の業績は、とてつもなく落ち込んだ。皆さん、コロナを広めないよう精一杯努力されていらっしゃる。私はフラフラ出歩かなくなったことで貯まったお金を、コロナが治まったらたくさん吐き出そうと思っている。これまで本当にお世話になり、これからもお世話になる方々が懸命に働いている業界だ。微力ながら少しでも恩返しをしたい(遊びたいだけ、と言われるとちょっと言い返しづらいのだが)。
 
だから、堂々と「値上げする」と言えばいいんです。変動価格制とか混雑緩和とか余計なことを言うから突っ込まざるを得なくなる。大丈夫。ほとんどの方々は応援すると思います。


 

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
 ~ 私は好きな本を映像として記憶しているようだ

(2021.6.30)  

 
その小説は、主人公が乗ったエレベーターの描写から始まる。村上春樹氏が1985年に出版した小説、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」である。その後、ストーリーは助走と疾走、突然の静謐を繰り返しながら、気が付くとてつもないスケールの物語が立ち上がっている。
 
私はこの本が大好きだ。世に出た85年以来、何度読み返したか分からない。旅先や自宅や転居の際にいくども紛失し、そのたびに買い直してきた。だから版が違い、かつ上下巻の装丁が異なる本が、恐らく10冊以上ある。
 
私はハルキストではないが、これまで読んだ中で最も好きな本を選べと言われれば、間違いなくこの本を挙げる。他にもいろいろあるが、私の中ではこの本は飛び抜けている。どこがいいのか? と聞かれれば、「自分をとても遠くに連れて行ってくれるから」と答えるだろう。そして私はこの本の内容を、映像として記憶している。映画好きな人が、自分の好きなシーンをすぐに思いだせるのと同じように。
 
私は上下2冊に分かれたかなりのボリュームのこの本の、「どの部分」でも映像として浮かび上がらせる自信がある。この本は映画化されたことはないので、もちろん自分の脳内映像である。映像は超リアルなのに、なぜか音声は聞こえない。
 
私は自分が好きな本を、「印象的なシーンが続く映像」として記憶している。いや、本自体が、自分の想像力を掻き立てるパワーを持っているのだろう。あるいは、その小説が自分の何か琴線のようなものに触れた時に映像が立ち上がり、結果として記憶に残るということかもしれない。
 
本がなくても、映像がすぐに浮かび上がってくる小説は、村上春樹氏なら「羊をめぐる冒険」(1982年)、最近なら(自分が創り上げた)シーンが印象的なのは、京極夏彦氏の「書楼弔堂」(2013)。他にも山のようにある。ああ、なんだかいろいろ浮かび上がってきたぞ。嬉しいような困ったような。
 
ここまでの間、好きな「作家」ではなく、好きな「本」と言ってきたのは、例え有名であっても、自分には映像が浮かばない本がかなりあるからだ。村上春樹氏の書籍でも、ノルウエイの森や1Q84には映像が浮かばない。ダンス・ダンス・ダンスもそうだ。もちろん小説の優劣では全くなく、私の好みでしかない。
 
私が本を勝手に映像化してしまうのは、映画というものを、映画館で見た経験がほとんどないことと関係しているのかもしれない。
 
映画自体が嫌いなわけではなく(あまり好きでもないが)、多数の見知らぬ人と空間を共にする映画館の暗闇が嫌いなのだ。あるいは私は、映像を自分で作りだしたい、という身の程知らずで思い上がった願いを、心のどこかに秘めているのかもしれない。自分で絵を描いていたためか、カメラにほとんど興味を持てなかったように。相反するものではないのに、考え方が捻くれていて単純だ。
 
さて記憶にある限り、私が映画館に行ったのは、過去一度だけ。中学1年生の時、埼玉県の自宅から東京・有楽町の映画館まで、夜中に一人で出かけて行った。簡単に言えば、家出したわけです。
 
有楽町で途方に暮れた私は、時間を持て余し目の前の映画館に入った。上映されていたのは、オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」。中学生には分からないことが多かったが、とても美しい映画だったように思う。私は家出を諦め、深夜ひそかに自宅に帰った(これがもしイージーライダーだったなら、話は変わっていたかもしれない)
 
好きな本は、自分を遠くに連れて行ってくれる、と先に書いた。でも「遠く」ってどこだろう。知っているようで全く見知らぬ土地。知り合いのようだが会話が成立しない人々だらけの異郷。手招きしているのに、追いかけると消えてしまう人。熟知しているはずの駅の地下に広がっている大空間・・・。
 
自分はきっと、本当にそういう場所に行きたいわけではないのだろう。ボーボワールが吟じたAnywhere Out Of The Worldとも少し違うように思う。現実的には、自分はあと20年もすれば、ほっといてもここではない世界に自然に移行する。その間だけの、神様がくれた飛び切り自由な遊びの一つなのかもしれない。
 


 

クララとコンビニ人間はよく似ている ~ カズオ・イシグロ氏の著作とAIについて

(2021.5.5)  

 
「クララ」 B2型の少女型AIロボット。AF(人工親友)と呼ばれる。
「古倉恵子」 36歳未婚女性。18年間、コンビニエンスストアのバイトで生活している。
 
この二人の名前を見て、知っている、覚えていると思われた方も多いと思う。クララは、2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏の受賞第一作、「クララとお日さま」の主人公。後者の古倉さんは、2016年に芥川賞を受賞した「コンビニ人間」(著者は村田沙耶香氏)の主人公だ。
 
私はこのゴールデン・ウィークの前半に「クララとお日さま」を読み終え、奇妙な読後感を覚えた。同本の帯にある“カズオ・イシグロが創ったもっとも美しい子供”という印象を私は持てなかった。それ以前に、「この主人公、誰かに似ている」、というデジャブ感で頭がいっぱいになってしまったから。しばらく思い出せなかったが、一昨日思い当たった。クララは、だいぶ前に読んだ「コンビニ人間」の古倉恵子さんにそっくりである。
 
人間の子供の友人として購入され、その子供の幸せだけを考えて忠誠を尽くす献身的なAIロボット(小説内ではArtificial Friendと呼ばれている)のクララ。片や古倉さんは、自分がバイトをしているコンビニエンスストアが健全に運営されることを最優先に人生を歩んでいる人間の女性。ロボット型AIと人間だが、「忠誠心」「一途」「前向き」「思い込みの強さ」・・・などなど共通するところがとても多い。
 
AIは進化すると、人間に近くなるのか、という話とは少し違う。AIのクララは、クララを販売したAF店の店長から後年、“あなたは観察力・洞察力に優れ、もっとも驚くべきAFでしたよ”と絶賛されるほどの存在。だがコンビニ人間の古倉さんは、周囲の「真っ当な」人たちから“何か精神的に問題がありそうな、とても奇妙な人”に見られているからだ。古倉さんに典型的な人間像を求めるのは無理がある。
 
私はなぜ似ていると思ったのか。「忠誠心」「一途」「前向き」「思い込みの強さ」といった、小説内の主人公のキャラクターの相似性はもちろんある。しかし、しばらくこの原稿と向き合っているうちに、そうではないのではと思い始めた。
 
似ていると感じた要因は、主人公の相似感よりも、「読後に抱いたムズムズする感覚の近さ」にあるように思う。2冊とも、読後に「私は他の人と同じ読み方をしているのだろうか。浅いのではないか。あるいは深読みし過ぎではないか」という同じ感情を抱かざるを得なかった。具体的には、「多くの人が絶賛しているクララ」には逆に不気味さを感じ、「多くの人が困った≒可哀そうな人と感じたらしい古倉さん」に対して、私はほとんど違和感を覚えなかった。どちらの本も、「自分は世間とはズレているのではないか」的な困った感を十分に味わわせてくれた。
 
先に、クララとお日さまを読んだ後の感想として「この主人公、誰かに似ている」と書いたが、恐らく正確には「この妙な読後感、前に読んだ何かの本に似ている」ということだったのだろう。面倒でややこしい自分に改めて呆れる。
 
いや、私と同じ印象を抱く人は、思った以上に多いような気もする。間違いなく言えるのは、多様な読後感を抱かせたり、不思議な余韻を続かせたりするという点で、この2冊は傑作ということだ。カズオ・イシグロ氏と村田沙耶香氏が小説に織り込んだ仕掛けが、どこか近かったのかもしれない。
 
どうでもいい私の読後感を、ここまで読んで頂いた方々に感謝します。実はここからが、当初から書きたかった本題です。
 
コンビニ人間も改めて再読した今、私は「AIとは何?」と考えている。クララは読む限り、明らかに感情を持っている。AIらしさを感じるのは、思考の硬直性だ。これは頭が固い、柔軟性がないという意味ではない。与えられた命題(中身は本書の中核部分になるので伏せます)を、その最期までずっと持ち続けている点だ。少なくともこの小説では、与条件であるコマンドを自ら書き換えることは出来ない設定にしているのだろう。ここがクララに不気味さを与えている要因の一つだ。
 
古倉さんはどうか。彼女こそ、良い意味で最高レベルに進化したAIと変わらなく思える。こうあってほしい、という進化の理想形だ。多くの書評に「こういう精神に障害がありそうな人は・・・」などという文言が散見され、それこそ不気味な人間として捉える人が多いのは、「人間なのに、機械みたい(あるいはAIみたい)」という思いが底流にあるからだろう。
 
私は、AIが人間に近付いてきているのと同様に、良かれあしかれ人間側も、徐々にAIに似てきていると感じる。そして、我々人間が(良くできた)AIに近付けば近付くほど、地球は良い方向に向かうように思う。


 

「君は白の使い方が下手なんだよ」 ~あれから40余年もの月日が流れた

(2021.3.11)  

 
「君は白、もっと言えば、ジンクホワイトの使い方が下手なんだよ」
 
高校時代のある時、同じ部活の友人が、私が描いた油絵を見てこう言った。感じたことを素直に口にしただけだと思う。だがその瞬間、私は自分には油絵は無理と悟った。自分でも何となくそう思っていたから、素直に受け入れられた。
 
ジンクホワイトとは油絵の絵具(えのぐ)の一つで、いくつかある「白」の一種。他の色と混ぜても濁らず、シルバーホワイトなど他の白と比べて透明度が高い。酸化亜鉛なので毒性も少ない。私は「白」と言えばジンクホワイトしか使ったことがなかった。――もう40余年近く昔、高校の美術部にいた時の話である。
 
私は昔から絵画、特に油絵に興味があり、高校に入学するとすぐに美術部に入った。顧問の先生は、後に東京都美術館に作品が展示されたほどの方だった。冒頭の友人のH君は同級生で、ほぼ同時期に一緒に美術部に入った。
 
我々は互いの家に泊まりに行くほど仲良くなった。その彼が嫌味でもなく、ふと漏らしたように言った「白の使い方が下手」という言葉はぐさりと来た。ジンクホワイト云々というより、才能の問題と私には聞こえた。油絵は、「白」をうまく使えるかどうかが命だ。様々な表情を見せる色だが、私がジンクホワイト特有の突き抜けるような透明感を出せたことは一度もなかったように思う。
 
H君は都内の著名な私大の建築学科を経て、超大手ゼネコンの設計のエースとして国内外で広く活躍。数年前に少し早めに退職し、母校に戻って建築を教えている。彼とは今でも連絡を取っており、コロナ前は何度か痛飲した。穏やかで才能あふれ、驕ることのない友人だ。
 
とりとめもなく駄文を書き続けたのは、今朝見上げた空が、抜けるように白かったから。まるであの時に、私が出したかったジンクホワイト本来の、透き通る白のように。だが10年前のこの日の午後2時46分、東日本は茶色と灰色に染まった。
 
私は高校卒業後、都内の大学に進んだH君とは別の道を選び、仙台の国立大学の電気系学科に進んだ。40年前になる。私は仙台市の南、名取市の閖上(ゆりあげ)地区に住む中学を相手にした家庭教師のアルバイト先を数軒持っていた。そして10年前、この地域全体に津波が押し寄せ、すべてが飲み込まれた。私はその様子を、職場のテレビで凝視していた。時間が止まった。
 
私は3.11から10年目の今日、何かこのコラムで意味のあることを書きたいと前々から思っていた。しかし、少しだけ早起きして透明な空、まるでジンクホワイトのような空を見上げたとたん、ふいに友人の言葉が蘇り、この原稿は延々と絵の話、顔料の話に流れ続けてしまった。
 
まだ、正面から3.11について書くことが出来ないのだ。何十年も記者をやってきたというのに。

40年前、私は週に2回は閖上を訪れ、生徒に勉強を教えていた。
10年前、その地区はすべて津波に流された。
あの日から10年後の今、私は仕事場である自宅の机の前で、音楽を繰り返し聞いている。

 
その曲は、スティービー・ワンダーの『 Ribbon In The Sky 』。そのイントロは宇宙一美しい。私はこの曲をリピートし続けている。あの時、不運に見舞われた方々、今は別の地におられる方々すべてに届くことを願って。


 

懐かしの“60マイル・ブレンド” ~不要不急こそ我が祖国

(2021.2.6)  

 
土曜日の夜9時少し前。テレビから、「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマが流れ出した。その曲(EPOのDOWN TOWN)に促されるように私たちは炬燵から抜け出し、車に向かう。季節は冬。仙台の夜は深々と冷え、雪が舞っている。道は真っ白だ。
 
向かうのは仙台のダウンタウン(繁華街)ではなく、遠く離れた山形市の駅前にあるドーナツ屋。仙台から雪の峠を越えて延々と車で走り、そこに珈琲を飲みに行くのだ。40年前は山形にコンビニエンスストアなどなく、深夜に珈琲が飲めるのはその店だけだった。私たちは、その1杯の珈琲あるいはその珈琲を飲みに行くドライブを、“60マイル・ブレンド”と呼んだ。
 
私と同じ年齢層の方なら、察し頂ける方がいるかもしれない。これは当時のコミック「ケンタウロスの伝説(原作:オサム、脚色・作画:御厨さと美)」の冒頭に登場する「600マイル・ブレンド」のもじりである。この話はざっくり言えば、「横浜から神戸まで、1杯の珈琲を飲むためだけにバイクで往復する話」。往復約1000㎞なので、ざっくり600マイルというわけだ。
 
当時大学2年生だった私たちは、この話の凄さ(普通、1日で往復1000㎞は肉体的に不可能)、カッコよさにしびれまくった。そして、季節も車もルートも異なるものの、自分たちなりに決行することにした。往路は仙台から国道48号線の峠道を通り、天童経由で山形まで南下して市内に入るルート。帰りは国道286号で笹谷峠を経由し、一気に仙台まで戻ってくる。その総距離から、私たちはその行程と目的の珈琲を、臆面もなく”60マイル・ブレンド”と命名した。
 
元気な大学生3人が同じ車の中と言えば、大騒ぎが当たり前だろう。しかし記憶の中では皆、車窓に首を寄せ、漆黒の闇のような夜空を流れ去る白い雪を、一言も発せず静かに見ている。あのシーンは何だったのか、それぞれ何を思っていたのか、などと考えたくはない。40年経った今でも色褪せずに浮かび上がるあの情景は、今では懐かしさとともに、ある種の映像美を纏うようになった。あれは青春期にふいに遭遇した、美しい「事件」だったのかもしれない。
 
そう。これは40年後となる現在のコロナ禍の時期に照らせば、強く自粛が求められている「不要不急の外出」の典型だろう。不要不急とは、「どうしても必要というわけでもなく、急いでする必要もないこと」(広辞苑)。まさにその通り。1杯の珈琲を飲むためだけに、往復100㎞以上の距離をドライブする行為(しかも夜中の雪道。通るのは危険な峠!)が不要不急でないわけがない。
 
しかし年を重ね、ウイスキーを飲むような晩に浮かび上がってくるのは、今なら「不要不急」と言われることばかりのような気がする。そしてこれは、「若かった昔を思い出して懐かしむ」こととは全く違うと思う。無駄のように思えることの中に、とても大切なものが含まれている(場合がある)ということだろう。40年の歳月を経ても、思い出すたびに心の中を温めてくれるような個人的な記憶の温もり。これを宝(たから)と呼ばずして何と言えよう。
 
勘違いしないで頂きたいが、これは「不要不急の外出」の薦めではない。全く逆だ。「不要不急のこと」が出来るような日常を一刻も早く取り戻すために、今は「不要不急の外出は控えよう」ということである。逆説のようだが、今はこれを実践するしかない。ムダを排除した「不要不急ではない」ことばかりで出来ている日々が長く続くのは、とても薄寂しい。
 
限りある人生を――それが中盤をとうに過ぎたなら特に――出来ることなら暖かな記憶の温もりで満たしたい。それを育む不要不急の行いを許容する土壌こそ、何としても取り戻すべき祖国ではないか。


 

米アップルが開発中の「自動車」について考えてみた
~発掘?した「特許」が語る真実

(2021.1.10)  

 
年末年始のコロナ禍を伝える情報を縫うように流れてきた、「米アップル(Apple Inc.)が電気自動車(EV)に参入」という記事は、久々に懐かしさを感じるホノボノとした話だった。同社は何年も前から、自律走行運転技術を備えた自動車(いわゆる自動運転)を開発中とされながら、しばらく音沙汰がなかったからだ。
 
最後にこの関連の話を聞いたのは2019年6月、Appleがシリコンバレーに本社を置く自動運転技術開発のスタートアップ、「ドライブ・エーアイ」を買収した時。その後、細かな動きはあったかもしれないが、この1年半、アップルの自動車業界参入のことは全く忘れていた。もちろん、世の中も新型コロナウイルスの蔓延で、それどころではなかったのだが。
 
さて、少しだけAppleと自動運転自動車の経緯について時系列に記載してみた。こんな感じである。

■ Appleの自動運転プロジェクトは、「Titan(タイタン)」と呼ばれている。同社の他のプロジェクト同様、内容はベールに隠されていいたが、201612月以降、外から動きがみられるようになった。
 
■ 米誌の報道によると、201612月に米運輸当局が発表した自動運転システムに関するガイドラインに対し、Appleが意見書を提出。20171月には、Apple役員が米国政府の自動運転車に関する有識者会議メンバーに加わった。
 
■ 2017年4月に自動運転車の公道試験走行許可を取得。その2週間後には公道でのテスト走行の模様が目撃されるようになる。4月には独フォルクスワーゲン(VW)と協力し、自動運転で従業員を輸送するシャトルバスの開発に取り組んでいると報じられた。ベースはVW社のトランスポーターT6(ミニバン)
 
■ 米ニューヨーク・タイムズ紙は20178月、「Apple社内における議論の結果、自動運転車自体を作るのではなく、ソフトウエアによる半自動運転技術の開発を進める」と報じる。具体的には、オフィス間を結ぶシャトルバスや、将来的には自動運転車に利用されるかもしれない「carOS」の開発に取り組むことになったという。
 
■ 2019年6月、カリフォルニア州マウンテンビュー市に本社を置いていた「ドライブ・エーアイ」を買収。
 
■ 米ロイター通信が20201221日、Appleは自動運転技術の開発を続けており、2024年に乗用車の生産を目指すと報道。次世代の電気自動車(EV)用の高性能バッテリーを搭載予定
 
■ 2020年1226日、独フォルクスワーゲングループCEOのヘルベルト・ディース氏がソーシャルメディアLinkedInに「Appleの自動車業界への参入を心待ちにしている。世界で最も価値のある企業は、再び自動車企業となる。Teslaかもしれないし、Appleかもしれないし、(我々)フォルクスワーゲンかもしれない」と投稿。
 
■ 韓国の現代自動車は2021年1月8日、「Appleは現代自動車はじめ、様々な企業から自動運転EVを巡る協力の可能性について協議している」と発表。だがその数時間後には発表文を修正し、Appleへの言及を削除

 
さて。これらを見ただけでも、Appleの自動運転プロジェクトはかなりの紆余曲折を経てきたことが分かるだろう。そもそも「自動運転技術」を開発することと、実際に「自動車(EV)を生産」することとは全く違う。2017年に「自動車生産を断念し、技術開発に特化」(ニューヨーク・タイム紙)と報じられたり、「2024年から電気自動車を生産」(ロイター通信)とひっくり返ったり。
 
私としては、「Appleはテスラ同様に、実際に自動車の生産を始める」説に1票を入れたい。独フォルクスワーゲングループCEOのヘルベルト・ディース氏が昨年の12月に寄稿したコメントの中で、AppleをTeslaやフォルクスワーゲンといった本物の自動車メーカーと同じレイヤーに置いたからだ。
 

2019年成立のAppleの米国特許「US 10,407,035」が醸し出す“やる気感”

 
ではなぜ私は、ディース氏の発言を重視するのか。その理由は、Appleが2017年8月3日に出願し、2019年9月10日に取得した米国特許「US 10,407,035」の存在にある。この特許を申請した時期は、Appleが独VWと一緒に、自動運転で従業員を輸送するシャトルバスの開発に取り組んでいた時期(上記の経緯参照)。そして当時、ディース氏はVWグループのCEOではなく、事業会社であるフォルクスワーゲン本体のCEO。つまり現場の最高責任者であり、Appleの最終的な目的について最も知る外部の人間と思っているからだ。
 
米国特許「US 10,407,035」の存在は、このコラムを書くためにAppleの特許を調べていて、偶然に見つけた。特許のタイトルは「Integrated chassis control(自動車の統合シャーシ制御)」。内容は私の手には負えないが、誤解を恐れずに簡単に言えば「車を動かす様々なアクチュエータ(一種の機械部品。エンジンやモーターといった駆動動力から、ブレーキ、サスペンションなどあらゆるものを含む)を、目的通りに動かす制御システムの概念」である。
 
興味が湧かれた方は、上記の米国特許番号から、ぜひ本物の特許文書を見て頂きたい。車の構造と、4輪をどう制御するかというモーション制御を示した図表に目を見張る。ボッシュやコンチネンタルなら分かるが、とても「iPhone」を作っているメーカーが出した特許とは思えない。
 
この特許を重要と考える理由は、これがソフトウエアの設計手法ではなく、機械としての自動車本体を動かすための基本的な部分に踏み込んでいると思えるから。しかも、出願人の筆頭であるChristopher Gadda氏(現Appleの制御エンジニア)は、2008年から2011年まで、あのTeslaでシニア・コントロール&モデリング・エンジニアを務めていた人物である。
 
私は、この特許を少し過大評価しすぎているのかもしれない。しかし、Appleが自動車の車載インフォテイメントだけではなく、自動車本体の動作に興味を抱き、それを知財化していることにかなり驚いた。現代自動車のフライングには微笑を禁じ得ないが、今度こそAppleはやってくれるのではないか。私の妄想は続いた。
 
Appleカーが登場したら、極端に言えばiPhoneやiTunesはじめAppleとともに時代を過ごしてきたと感じている我々の世代は、無視できないと思う。Apple製品の愛用者ではない私ですら、かなり気になるのだから。
 
ふと、傍らでiPhoneをいじっている息子に目が向いた。息子は昨年、運転免許を取得して以来、車にかなり興味を持ち始めている。友人とカーシェアリングなどで、かなりドライブを楽しんでいる様子。今年成人式を迎える世代の若者は、どう思うのだろう。欲しくなるだろうか。
 
私はAppleが自動車を開発するらしいというこれまでの話を延々と説明し、こう聞いてみた。「Appleが車を発売したら、つまりAppleカーが登場したら、どう思う? やはり気になるかい?」
 
息子は手元のiPhoneに目を落としたまま、こう言った。「ミランダ・カー」。
 
そ、それはファッションモデルでは? 親子の会話は突如終了した。父親の妄想に終止符を打つのは、いつの時代も息子の特権だ。彼が何を言いたかったのか、今でも不明だが。
 
我が家は年明けからこんな感じです。皆様、本年もよろしくお願いいたします。


 

ピストル型の体温測定器で検温される違和感
~これは慣れるべき“新常識”なのか?

(2020.12.16)  

 
病院などの医療機関は100%として、店舗などでも体温を測られることが多くなった。もちろん、新型コロナウイルスの侵入や蔓延を防ぐために、高熱の人を事前にチェックすることが目的である。大事なことだと思う。
 
体温を測られることに全く異議はない。ただ、その測られ方によって、ときどき落ち着かない気分になる。額(ひたい)にピストル状の測定器をすいと近付けられた時だ。まさか撃たれるわけでもあるまいし、自分でも理由が分からない。
 
私がコロナ禍でも行かざるを得なかった病院や大学病院の附属施設では、全部この測り方だった。非接触の温度センサーを備えていたところもあったが、これは人によって時間がかかる時がある。マスクをしていると、さらに時間がかかる場合もある。担当者が入場者の額に銃を突きつけた方が圧倒的に速いのだろう。
 
私とは違う理由で、ピストル型を嫌がる方もいた。一緒に入店した飲食店舗でこの方式で体温測定されたとき、その方は店の人に「客の体温は、手首の内側に測定器を向けて測るものだよ。客の額に当てるのは失礼と思わないか?」と怒った。私は今まで失礼という感覚はなかったが、そう考える方がいてもおかしくない。
 
その人に「病院で測定されるときも、腕の内側でと言うのか」と聞くと「そんなことはない。病院はこちらが診てもらいたい側で、飲食店の場合は向こう側が来てもらいたい側。立場というか力関係が違う。来てもらいたい側なのに、銃を突きつけるのはいかがかと思うんだ(注:恐らく銃ではないので、たぶん弾は出ない)」と答えてくれた。なるほど。
 
非接触型の体温センサー(顔をスマホ上の画面に向けて測る製品)も多々あり、既に多くの企業で利用されている。私としては、この種の製品はほぼ100%、顔認証機能と一体となっているところが気になる。複数の製品を調べてみたが、発売元は日本企業でも、製造元(開発元)は中国が大半でごく一部が台湾。顔認証がメイン機能で、体温測定はむしろおまけに近い。深くは触れないが、「顔認証」の危うさは、トランプ政権が顔認証技術を持つ中国の大企業をエンティティ・リストに載せたり、米IBMが顔認証技術からの撤退を表明したことから察し頂きたい。
 
中には見えない場所から複数人を一気に測定する機械というかシステムもある。先日、丸の内の高層ビル内の企業を訪ねたおり、受付で記帳した後、体温測定器がないのに気付いた。受付の人にその旨を聞いたら、「皆さんが知らないうちにとっくに測ってますから」と、なぜかドヤ顔で言われた。ああそうですか。凄いね。ふと「体温以外に分かったことは何?」と聞こうと思ったが、面倒なことになりそうなので止めた。しかし、ある程度の大規模ビルのエントランスでは、この方式が主流になるように思う。
 
検温だけでも、いろいろ思うことはある。コロナを一刻も早く終息させるためには当然のこととは思うが、「そのついでに」別のファンクションが動き出しそうで少々怖い。ピストル型の測定器よりもはるかに。


 

好きなもの イチゴ 珈琲 花美人 懐手(ふところで)して宇宙見物
~コロナ禍に一時の安寧を

(2020.11.21) 

 
 これは物理学者にして文学者でもあった、寺田寅彦氏が昭和9年に詠んだ歌である。ズームインしていたカメラが一気にズームアウトしていくような、圧倒的なスケール感がすごい。
 
 同時に、目の前にある身近な好物をさらっと取り上げる素朴さと、手を和服の懐から出さぬ楽な格好のまま、上を見上げている自分を客観視する科学者の眼の見事な両立。なお無粋な筆者には、「花美人」の意味が何となくしか分からないのが残念だが(月下美人とは違うように思う)。
 
 東京ではコロナウイルスへの感染者が、11月21日時点で3日連続500人を超えた。全国でも、過去最大の感染者数なった地域が多い。そして今日は11月の3連休の初日。今後、さらに増えそうで、なんとなく精神的にゾクゾク・ザワザワする。
 
 冒頭に寺田寅彦氏の歌を持ってきたのには訳がある。この歌は筆者にとって、一種の精神安定剤だからだ。この短歌を収めた寺田氏の随筆集が発刊されたのは、調べたら2006年。筆者が購入したのは10年以上前だ。コロナ感染者数の拡大でザワザワするのは、精神的な余裕が少なくなったからだろうと思い、本棚から引き出してきた。
 
 効果はテキメン。気分が上向いたためか、思わず自分でも真似して詠んでみたほどである。
 
 好きなもの 刺身 日本酒 割烹着 車飛ばして駿河湾
 
 ・・・やめときゃよかったようです。
 
 さて、ゾクゾク・ザワザワする理由が本当に発熱しているのでないのなら、好きな本を読んだり音楽を聴いたり、ビデオを見たりするのが一番。在宅勤務で家に閉じこもりがちな日常には運動はもちろんだが、個人的には車の洗車やスニーカーの洗濯といった、「水」を使う作業がお勧めである。水にはH2Oなどという源氏名を超えた、特別な力があると思っている。
 
 正直に書けば、寺田寅彦氏の歌を思い出したのは偶然ではない。今日見たYouTubeの動画のなかに、まんま出てきたのがきっかけである。「あ、その本、持ってる」と思い出し、本棚から取り出したというわけ。しかしそのおかげで、しばらくの間、とてもぽかぽかとした気分を味わえることになった。
 
 感謝したいその動画は、仕事の関係で知り合ったSさんがURLを教えてくれたYouTube動画で、タイトルは『「丸善」150周年連続記念講演会最終回「千夜千冊の秘密」』。タイトル通り、創業150周年(凄い!)を迎えた同社が、11回行った連続講演会の最終回で、収録は2020年8月である。
https://www.youtube.com/watch?v=yKFV7racPvg&feature=youtu.be
 
 講演者は、私の大好きな松岡正剛氏。編集工学者であり、まさに“知の巨人”である松岡氏のファンであることを知ったSさんが、「松岡さんの講演動画があるよ」と送ってくれたものである。メールはだいぶ前に受け取ったのだが、「3時間49分45秒」という恐ろしいまでの長さに腰が引け、今日まで見ずにいた。勝手なことを言えば、結果的にそれが良かったのかもしれないが。
 
 話の内容はぜひ動画を見て頂きたい。実際の動画は15分過ぎから始まる。21分16秒から松岡氏が登場するが、その登場の仕方が抜群にカッコいい。収録地のKASHIYAMA DAIKANYAMAも素晴らしい。講演の内容的には、2時間を超えてからの約20分がピークだと思う。松岡ファン、必見である。本の話だけで楽々3時間(休憩時間除く)話せる方を、松岡氏以外に私は知らない。なお内容的には「文学に詳しくなくても容易に理解出来る」を右端、「全く理解不能」を左端に置くと、かなり左寄りとだけお伝えしておく。
 
 この講演の前半部分で松岡氏が引用したのが、この寺田氏の短歌である。松岡氏が寺田ファンだとは全く知らなかった。しかも、「自分の三分の一は寺田寅彦で形成されている気がする」とまでの惚れ込みようとは。なんだかとても嬉しい。
 
 松岡さんは覚えていらっしゃらないだろうが、実は筆者が日経情報ストラテジー(現在は休刊)という情報技術専門誌の記者をしていた時、見開き2ページのコラムをお願いしたことがある。もう四半世紀は前のことだ。確か、「知の曼荼羅」のようなテーマだったと思う。当時は頂いた見事な原稿(というよりアート)を、私は全く理解できなかったのだが。
 
 寺田氏の短歌の話をきっかけに、思い付いたことを片っ端からネットで調べたりして、私の幸せな“連想遊び”は連鎖的に続いた。寺田氏が夏目漱石の門下生だったり、松岡氏が自身の書評サイト「千夜千冊」(下記にURL)の第一夜に取り上げた本が寺田の弟子の中谷宇吉郎だったり。また「好きなもの」つながりで、映画サウンド・オブ・ミュージックのMy favorite Things(私のお気に入り)の歌詞や、これまた私の大好物であるドナルド・フェイゲンのThings I miss the most(私の最愛のものたち)の歌詞を思い浮かべたりした。松岡氏が聞いたら、それをアルスコンビナトリア(アート・オブ・コンビネーション)というのだよ、と言いそうだ。
https://1000ya.isis.ne.jp/top/
 
 コロナ禍でイライラしがちな日常に精神的な安寧を呼び込んでくれた方々に、心から感謝したい。もちろんこのような貴重なコンテンツを公開してくれた丸善さんにも。


 

警察官を名乗る人から電話がかかってきたらどうするか
~オレオレ詐欺電話に対処する

(2020.10.31) 

 
 
 「宮嵜さん、四谷警察署からお電話です。」
 
 私に電話をつなぐ人の声がやや上ずっている。「なぜ警察から電話がかかってきたのだろう。彼(宮嵜:私)は何かやらかしたんだろうか。そういえばこの数日、少し落ち着きがなかった・・・」。恐らく様々な思いが脳裏をよぎったことだろう。
 
 数年前の話だが、実話である。私と四谷警察署の警察官との会話はこう続く。
 
 「はい宮嵜です。・・・いやあ、そこで拾われたとは思ってなかった。中身ですか? ええと、たぶん1万円札が3枚くらい。はい、はい。カードは別ケースで入れているので大丈夫です。四谷署までは近いので、すぐに取りに行きます。いやあ本当に助かりました」
 
 何のことはない。お昼時に半蔵門公園を散歩していて、何かの拍子に財布を落としてしまったのだ。拾い主の方が警察に届けてくれ、恐らく私の名刺が入っていたので警察署の方がオフィスに電話をしてくれたのだろう。
 
 私は酔っぱらって定期や財布を無くすことが良くあり(加齢のためか、なぜかこの数年はなくなった)、池袋警察署から電話を頂いたこともあった。だから、あくまで「落とした財布が見つかったのかな?」というような電話の内容が類推される場合だが、警察署から電話を貰っても特にドキドキはしない。突然の電話だと少々いぶかるかもしれないが。
 
 しかし、やはりいきなり警察官(署)から電話をもらうと、普通はびっくりするだろう。「オレオレ詐欺」の手口の多くはここから始まる。今回のコラムは、オレオレ詐欺を防ぐ一手法の紹介である。
 
 詐欺師の電話には、明らかな特徴がある。ほとんどは最初に警察の名前を出して驚かせ、親しみを感じさせながらも熱心な口調で、一気に話し始める。相手の目的は、自分のペースに引き込みたいことに尽きる。
 
 最近の詐欺電話は、別の肩書をかたる複数人が、連携しながら登場するようだ。例えば、1)最初は警察官(話の内容は、例えば詐欺犯を捕まえたら貴方の名前の金融カードがリストに乗っていた。確認の連絡が金融庁から行くので対応するように。以下同)、2)次に金融庁などの官庁を名乗る人(あなたのカード情報が盗難リストに載っている。カードを再確認したい。電話口まで持ってきて頂ければ、この場で確認できる)、3)最後に息子など親族を名乗る人が登場(場合によって内容様々)――という具合である。
 
 つまり、まずは警察という言葉でビビらせる。犯人はしゃべりっぱなしだが、初めの電話では相手を追い詰めず、次の権威者兼実務者(金融庁、などが相当)に引き渡す。さすがに話術は巧みだ。立て板に水といったところか。
 
「話術が巧み」などということが私に分かるのは、実際の詐欺電話の声そのものが公開されているから。これを聞くと、「3分も相手の話に付き合ったら、恐らく5~6割の人は騙されるのではないか」と思えるほどだ。
 
 公開しているのは、もちろん警察である。警察庁は、「家族の絆でSTOP ! オレオレ詐欺」という公式キャンペーンのWebサイト内で、実際の詐欺師の声(会話)を公開している(下記URL)
https://www.npa.go.jp/bureau/safetylife/bohankyoshitsu/sp/1st/08.html
先頭に掲載されている東京都の実例でも、詐欺師は真っ先に「目黒警察の防犯課のアズマですが」と名乗っている。また、千葉県警の「電話de詐欺」というオレオレ詐欺対策サイトでは、さらに多くの実例(実際の音声)が掲載されている。これも必見だと思う。ケース別に分かれているので、ぜひいくつかの音声を聞いてみて頂きたい。
https://www.police.pref.chiba.jp/seisoka/safe-life_fraud-audio.html
 
 前者の警察庁のサイトのテーマでもあるように、「個人だけではなく家族というユニット」で対応しようとするアクションは、確かに詐欺防止に有効と思う。また後者の千葉県警のサイトでは、電話の録音機能を使って録音された実際の音声を「募集」している点がユニークだ。ドライブレコーダー(ドラレコ)の普及が、道交法違反者をはじめ様々な犯罪者の検挙に寄与していることを思い出させる。
 
 なぜ延々とオレオレ詐欺のことを書いてきたかというと、被害の悲惨さ(単にカネを取られるだけでなく、家庭崩壊にも結び付く)に胸が塞ぎ、「自分ならこうする」という次のことを多くの方に行ってもらいたいと思ったからだ。
 
 それは、警察官を名乗る人が、本当に実在するかという「同定」の実践である。同定とは、同一であることを見極めること。相手(詐欺師)が一方的に話を始めた途中で遮って、相手の所属と名前をもう一度確認してから、思い切って一方的に電話を切る。そして自分から、警察に改めて電話をかけてこう話すのだ。
 
 「もしもし目黒警察署さんでしょうか。そちらの防犯課にアズマさんという方がいらっしゃるかどうか教えてほしいのですが。実はたった今、そう名乗る方から妙な電話を頂いたので」
 
 ためらう必要などありません。その警察署の番号(普通知らない)を知らなくても全く大丈夫。「110番」に電話をかければいいのだ。すぐに確認してくれる。貴方が犯人でさえなければ、怖いことなど一つもない。むしろ情報提供に感謝されるだろう。
 
 もう少し穏やかな方法があるかもしれない。しかし、財布を無くして困っているなど思い当たることがなければ、電話の先にいる相手は99.999999%、詐欺師と思って間違いない。遠慮など無用である。もし本当に何かあったのなら、向こう(本物の警察官)から「110番を通じて、●●署の私を呼び出してみて下さい」と言ってくれるだろう。小説家の宮部みゆきさんの作品「火車」に、同じようなシーンがあったと思う。
 
 2019年の警察庁の発表によると、振り込め詐欺など特殊詐欺の被害額は301億5000万円。最近は減少傾向にあるものの、被害額は8年連続で300億円超に上るという。私は警察とも詐欺師とも全く無関係の者だが、主に高齢者が、つまりこれまで日本を支えてきた方々が、馬鹿者の餌食になるのは耐えられない。
 


 

「貰ったメールには集中してすぐに返答する」
~建築家・隈研吾氏の言葉にハッとする

(2020.10.9) 

 
 コロナ禍をきっかけに在宅勤務が増え、仕事の打ち合わせはTeamsやZoomなどのテレビ会議とメールで行うことが普通になった人が多いと思う。私自身も起業をきっかけに自宅の一室を改装してオフィスにしているので、メール/テレビ会議による打ち合わせの頻度は高い。
 
 テレビ会議はファイルも共有できるし、相手の表情もまずまず把握できる。こりゃあ超便利だと思っていたシステムだが、数か月使っていると物足りなさを感じることが多くなった。「なにかが足りない」ように思うのだ。結果、充足感が不足してしまう。皆さんの中にも、同じ思いをされている方がいるのではないだろうか。
 
 テレビ会議に関して言えば、私は顔を突き合わせての議論に対する「圧倒的な情報量の少なさ」から来るものと考えていた。使い方の巧拙による面もあるとは思うが、テレビ会議では相手の表情の微妙な変化は分からない。特に視線の動きが見えない。PCカメラの位置によっては、相手の姿勢(腕を組んでいるとか背中を掻いているとか)が全く分からない。特に、資料を共有して話しているときに、かなり変化しているはずの表情が読めないのは相当痛い。音楽でいえば、コールアンドレスポンスが出来ない状態に近い。
 
 私の場合、複数人で行った重要なテレビ会議の直後に、顔見知りの参加者には直接「電話」をすることがある。「あなたが言いたかったことはこうなのか?」「なぜずっと黙っていたんだ。本当はどうしたい?」。これで相手の本音が分かってギクリとすることが何度かあった。
 
 私たちは相手が単独でも複数であっても、表情や声に加え、かなりの情報を感じ取りながら検討を深めているようだ。「場の雰囲気」など、その最たるものだろう。このすべてを「情報」と捉えれば、テレビ会議はリアルミーティングを代替するものではなく、別物だが非常に重要で不可欠なツールに思える・・・って、当たり前のことだと皆さんから叱られそうですが。
 
 しかし、今日(10月9日)の日経クロステックに上がった記事を読んで、ハッとさせられた。在宅コミュニケーションにおける「もやもや感」の要因は、テレビ会議のみにあるのではない。最大の問題は、これまでも普通に使ってきた「メール」の使い方にあるようだ。
 
 記事のタイトルは『建築家・隈研吾氏が語った“さよならオフィス”、「僕自身、働き方が変わった」』。隈氏が語ったことをごく簡単に要約(いや、意訳)するとこうなる。詳細はぜひ日経クロステックをご覧頂きたい(要約の最後にURLを張っておきます)
 
 「メールで自分に来た相談や依頼については、今まではじっくり考えて返信しようと思っていたが、今は時間をなるべくかけずに集中してすぐに返答するようにしている。なぜなら相手にとっては、自分が抱えている時間は“コミュニケーション的には死んでいる”のも同然だから。これからはメールというパスを相互に素早く交わしながらゴールを目指すように代わっていくと思う」

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01344/100700028/?P=3

 
 なるほど。「もやもや感」の原因はこれだった。相手にとっては、メールを出してから返信があるまでの時間は死んでるも同然。自分も同様だ。投げかけた質問に対するリプライが遅いと、自分の問いは闇に消えてしまったように感じる。返信されるまでの時間が長いほど、もやもや感は募る。
 
 結果としてその間は、アクティブに何かしようという気分がそがれる。相手は全く違うことを考えているかもしれないので、“返信を待ってから”何かしないと、無駄になるような気がしてしまうから。つまり、この間の私の仕事脳は不活性化状態にある。
 
 一方、短いパスをワンタッチでつなぎ合わせながら対話を深め、仕事を前に進めていく場合は違う。パスがつながっていると感じている時間は、まさに生きている時間だ。これならアイデアも湧き続けるだろう。
 
 私自身はメールへの返信はできるだけ早くするよう心掛けてきたが、それは相手に失礼にならないようにという「作法」として捉えていたと思う。これが「リモート時代の仕事の進め方(a way of business)」に直結しているとは考えたこともなかった。ちなみに隈氏はこれを「ネットワークを常にオンにしておく」と表現している。
 
 私は今後、メールに関してはこれを徹底的に意識していこうと思う。もし私からの返信が遅かったりしたら、何か人生上のとんでもないトラブルに逢っている最中とお考え下さい(嘘)


 

PCR検査を受けて実感した新型コロナウイルス感染症の怖さ
~判定結果を待つ間に味わったこと

(2020.9.22) 

 
 新型コロナウイルスのPCR検査を受けた。結果は「陰性」でほっとしたものの、いろいろ思うことが多かった。特に、検査した9/16(水)の午前中から、検査結果を知らせる電話がかかってきた翌17日(木)の夜19:30までの約1日半。この「判定結果を待っている期間」の間に、私は新型コロナウイルスという感染症の怖さの一端を、自らのこととして初めて実感した。
 
 もちろん、PCR検査を受けただけで何かが自分の中で大きく変わったわけではない。偉そうなことをいうつもりもない。ただ、「もしも自分が陽性と判定されたら」と具体的に考えていた期間があったことで、私の心の中に若干の変化があったように感じる。うまく言えなくてもどかしい。
 
 経緯を書いてみよう。PCR検査は、通常は医師が必要と判断した場合か、保健所から濃厚接触者と思われた場合しか受けられないので(自費検査は別)、実際のやり方や受ける側の感じ方、検査時間などは、これを読んでくださっている方の参考になるかもしれない。
 
 私の場合、発熱などの自覚症状があったわけではない。自発的に自主診療を受けようと思ったわけでもない。実は都心の国立大学の歯学部附属病院で、半日入院が必要な抜歯手術をすることになったためである(理由は長くなるので割愛)。この附属病院では、例え半日であれ入院が必要な人全員に、PCR検査を義務付けている。このため「歯を抜くだけの私」も、PCR検査を行うことになったというわけだ。
 
 検査は、歯学部附属病院から渡り廊下を進み、医学部附属病院に入ったところの一室(正確には検査待合室を入れた二室)で行った。
 
 検査室の入り口で自分の名前を言うと、すぐに自分の名前のラベルが張られた細長い試験管(強力そうな栓がねじ込まれている)を渡される。管の中には、1㏄くらいの透明な液体が入っている。そして検体採取の準備が整うまで待合室で待つ。私の場合、誰も待ってなかったので、すぐに隣室の検体採取室に移動した。
 
 私がテレビなどの情報からイメージしていた検体採取は、フェイスガードを付けた医師が座っている自分の正面に立ち、細長い綿棒を鼻の穴に差し込んでグリグリする、というものだった。だが実際の採取室にあったのは、丸椅子の周囲を透明な衣装ケースで全面覆ったような“小部屋”。その横にいた完全防備の医師に試験管を渡すと、医師は小部屋の中に座った私の右手から手を差し入れ、右の鼻の穴の奥に綿棒状のものを差し込んだ。医師の姿は私からは見えない。本当に正確に鼻の穴に入ったので、どこかにミラーがあったのかもしれない。
 
 綿棒は鼻の奥まで差し込まれるが、全然痛くない。そこで数秒間グリグリされて終了。医師の案内や指示は分かりやすく親切で、「あれ? もう終わったの」と思ったほど。医師は横で何か作業をし(恐らく検体を採取した綿棒を試験管に入れて厳重に栓を締め・・・というような作業。背中しか見えないので分からなかった)、はい、どうぞお戻りくださいと言われて終了。これが16日の午前10:30。結果は17日の夜に自宅に電話でお伝えしますとのことだった。
 
 これが、PCR検査の普通のやり方かどうかは分からないし、人によっては痛みが出たりするのかもしれない。ちなみにこの病院は自分たちの検査手法について「国立感染症研究所プロトコールを使用。鼻咽頭ぬぐい液からウイルス RNA 抽出キットで RNA を精製したのち、サーマルサイクラーを用いたリアルタイム one-step RT-PCR 法(TaqMan プローブ法)を実施。国内で最も標準的とされる方法(RNA 抽出を簡略化したキットは使用していない)」とホームページで説明している。意味不明だが、簡易検査や抗体検査ではない、フルスペックのPCR検査と伝えたいのだろう。
 
 さて。17日夜までの「検査結果が出るまでの時間」に私が考えたことはただ一つ。もしも自分が陽性だったら、最近会った人々にどう説明したらいいのかということだ。まず、病院から連絡が入った地元の保健所から私に連絡があり、自宅隔離を命じられるとともに、検査日までの数日(か1週間か2週間か)に接触した人を聞かれるだろう。私は自分のスケジュール手帳を調べ、誰と会って、それが濃厚接触に当たるかどうか状況を思い出しながら、この人たちへの連絡は自分がやるのか保健所か、私の名前は出るのか・・・などと考えざるを得なかった。
 
 しかし検査日の2日前程度ならまだしも、期間を検査前の1週間や2週間に伸ばすと、・・・ああこんなに沢山いらっしゃる。馴染みの鍼灸院の先生や顧客企業の幹部陣、吉祥寺の百貨店のある売り場、夕食を共にした同期の友人(接待は伴っておりません)、自動車整備に行ったディーラーの整備士さんなどなど。広く捉えれば、皆さん私との「濃厚接触者」に該当するかもしれない。私はぐったりし、陰性であることを心から祈った。自分あるいは保健所からこれらの方々に連絡がいったときの相手の心境を考えると、申し訳なさで胸がふさがるようだった。
 
 冒頭に書いたように結果としては何でもなく、23日の抜歯も無事受けられることになった。しかし、これにより検査前の自分に完全に戻ったかというと、そうではないように感じる。特に、「(楽しい時間を共にした方々に)とんでもない心理的苦痛を与える可能性」を一人ひとりの顔を思い出しながら想像していると、悪い想像は増殖を始めた。これは恐怖そのものだった。私は震え上がった。
 
 新型コロナウイルスの怖さは、肉体的な面だけではない。かつてこのblog欄で書いたようなメンタル面の荒廃もそうだ。今回のように、検査の結果待ち期間にも恐怖が潜んでいる。感染症は例えば癌のような自分ひとりの問題だけではないだけに、非常に厄介だ。皆さん、本当にご自愛ください。


 

Kさんの強靭で自然でカラフルな生活
~視覚障害の方への不明に恥じ入る

(2020.9.14) 

 
 Kさんは、私の高校時代の同級生(男子校だったのでたぶん男性)である。私とは別の会社に勤めており、会うのは年に1度あるかないか。気の合う同窓会仲間と一緒の時が多いが、私とKさんはとても仲良しである。彼はあまりアルコールに強くないせいか、酔うと酒席の最中でも10分くらい寝てしまう。起きると、また自然に会話に加わる。誰も気にしていない。そんな関係が続いている。
 
 Kさんは、目が不自由である。重度の視覚障碍者であり、折り畳み式の白い杖を携行している。視野が極端に狭くなる病気で、顔の真ん前のものしか見えない。食事の時も手探りで食器を探し、それを目の前に近づけて確認する。40代の時に発症し、だんだん症状が重くなったという。
 
 Kさんと歩くとき、彼は私の真後ろに立ち、私の右肩に左手を置いて、右手で杖をつく。有難いことに、私たちがゆっくり歩いていくと、前からくる人も道を避けてくれたりする。私の誘導が悪いせいか、時々道路の障害物にKさんをぶつけてしまうのだが。
 
 Kさんは独り身である。横浜に一人で住んでいる。50歳を過ぎてから離婚した。子供は二人いるが、別々に暮らしている。独り身のKさんは、“ 炊き込みご飯 ”が得意らしい。「まあ、炊き込みご飯の素を入れた後、貝とかいくつかの具(ぐ)をトッピングして炊くだけなんだけどね」と穏やかに笑う。
 
 少し前の週末、そのKさんと、夕方から二人で食事することになった。遅まきながら私が起業したことをFacebookで伝えたのがきっかけで、久々に会うことになった。場所は新橋に決め、SL広場前の改札で待ち合わせ、鰻屋に入った。
 
 ちなみに、Kさんはパソコンもスマートフォンも、音声読み上げソフトを使うことで、さほど不自由なく活用している(だから普通に会社に勤めて仕事をしている)。ソフトが不調の場合でも、スマホなら目の前に画面を持ってくればいいし、パソコンなら真正面にディスプレイが来るようにすればいいだけ。コロナ禍の前は普通に通勤していたが、在宅勤務が多くなり、とても朝が楽になったという。
 
 これまで何度も会って話をしてきたものの、独り身になってからのことはほとんど知らなかったので、私はいろいろ聞いた(何でも話せる間柄なのだ。逆に私も徹底的に聞かれたが)。そして驚いた。そこには、私が勝手に想像していた“ 視覚障碍者 ”というイメージからくるモノクロームの世界は全くなかった。というか、私なんかより遥かにアクティブな生活を送っているではないか!
 
 Kさんの週末は、ほとんどランニングだ。もちろん伴走者とともに走る。これまで障害者ランニングの大会に何度も参加しており、まずまずのタイムを出してきた。今は、次の大会に向けて練習の真っ最中で、週末の予定はかなり埋まっているという。体型が細いのでこれまで気が付かなかったが、走りに必要なところにはきっちり筋肉が付いている。これはアスリート体型だ。
 
 Kさんは50歳で離婚した後、年下の女性と数年間、暮らしていたという。相手も目が不自由な方である。話を聞くと、障碍者の人たちを結び付けるパーティというか、懇親会のようなものがしょっちゅう開かれているらしい。Kさんはかなり男前であり、しかも結構な高学歴。「年代関係なく、女性にはかなりモテルよ」とKさん。同じ男の私としては、相当“ 盛っている ”と思いたい。
 
 Kさんはその女性と再婚するつもりだったが、様々な事情で結局は別れてしまった。今、Kさんが熱い思いを抱いているのは、島根県にお住いの10歳年下の方だ(やはり視覚障害をお持ちである)。かなり昔からの知り合いだったが、最近ときどき電話をしているうちに、心の中にその女性が占める割合が増えてきたという。
 
 私は思わず、「知り合いっていうけど、相手の顔や姿が見えるの? 気に入ったというけど、どうやって分かるの?」と聞いてしまった。するとKさんは、何でもないようにこう答えた。「ある程度の期間をかけて電話で様々なことを話せば、声色とか反応などでかなりのことは分かる。顔の真ん前に来てくれないと見えないから、どんな顔をしているか知らないし、顔形(かおかたち)に興味はないな。かなり前だけど彼女の肩に触れたことがあって、けっこう小柄で、やせ型なんだということは知ってる。ほかに何があるんだ?」。
 
 私は自分が人として何かとても大事なことを問われている気がし、恐らく上ずった口調で「でも島根かあ。横浜からは遠いなあ。この先、大変かもね」と、話を横にずらしながら意地悪っぽく言ってみた。するとKさんは少し間を開けてから、「ヘルパーさんと一緒だけど、遠からず一人で島根に行こうと考えている。そして、” 僕と一緒に暮らそう "と伝えたい」と、何のてらいもなく答えた。
 
 私は再び驚いた。のけぞったと言っても良い。この人は凄い。活動範囲は広くアクティブで、背筋がしっかり伸びている。自然体なのに生活自体がカラフルだ。いつものように眠ってしまったKさんを見ながら、「目が不自由な人の生活」に、自分がどれだけ勝手な意識を抱いていたか思い知らされた。Kさんならではのことかもしれないが、どんな環境にも広大な世界が広がっているのだ。
 
 帰り際、「新橋駅の有人改札のところまで誘導してくれないか」というKさんを、例のように肩に手を乗せてもらいながら、ゆっくり連れていった。そこでKさんが何事か駅員さんに告げると、3分後くらいに別の若い駅員さんがやってきた。Kさんはごく自然にその駅員さんの肩に手を置き、二人はホームの方に歩いていった。
 
 Kさんは私に背を向けながら、白い杖を持っている右手を上下に軽く動かしたように見えた。


 

AppleのAirPodsが気になる
~これは私が知ってる“音楽鑑賞イヤホン”ではない

(2020.9.5) 

 
 Appleのワイヤレスイヤホン、AirPodsの次世代機の発売が待ち遠しい。2020年6月22日の同社の世界開発者会議、Worldwide Developers Conferenceで、次期AirPodsに関する新機能が発表されてから、ずっと気になっている。
 
 その機能とは、Spatial audio (スぺ―シャル:空間的なオーディオ)。簡単に言えば、自分が見ている方向に応じて音の聞こえる位置が変わるというものだ。音が顔の向きによって、左右だけでなく前後からも聞こえ、映画のサラウンドサウンドのような感覚に包まれるという。AirPodsに内蔵された加速度センサーとジャイロスコープで頭の動き(顔の向き)を追跡し、音場を最適に調整するらしい。
 
さて。実は私の興味は、次期AirPodsの Spatial audio機能がもたらす「音楽的な楽しみ」にはない。なぜなら、私はAirPodsを音楽鑑賞用イヤホンとは考えていないからである。私の疑問はただ一つ。「AppleはAirPodsで何をしようとしているのか?」
 
 そう思ったのは、別件でAppleの特許を調べていた際に、同社が出したいくつかの不思議な特許を見付けてからだ。
 
 Appleは2015年9月、生体センシング機能を備えたイヤホンに関する3つの特許を申請した(公開は2017年3月。米国特許20170078785など)。この特許では、バイタルセンサー(生体認証)が満載されたワイヤレスイヤホンシステムの内部動作を詳述している。特に、VO2(血中酸素濃度)センサーやGSR(電気皮膚反応)センサー、心電図(EKG)センサー、インピーダンス心電図(ICG)センサーなどの組み込みについて、実に詳細に記載されている。少なくとも音楽鑑賞用のイヤホンに必須と思われる「音質」などには、ほとんど触れられていない。
 
勘違いしないで頂きたいのは、(2020年9月18日に発売らしい)AppleWatchの話をしているのではないということである。AppleWatchなら、バイタルセンサー機能のことは出て当然の話。私が気にしているのは、「イヤホン」のAirPodsのことである。
 
 AirPodsの第1号が発表されたのは2016年9月(発売は12月にずれ込んだ)。この時、Appleはバイタルセンサー機能について触れもしなかったと記憶している。また2019年3月には第2世代のAirPods2が発売されたが、この時もバイタルセンサー機能について詳しい説明はなかった。ユーザーも全く気にしていなかっただろう。さすがに米国の技術WebサイトAppleInsiderは執拗に追いかけていた(いる)が。なお第三世代のAirPodsの発売時期は、現時点では明らかになっていない。
 
 冒頭の疑問に戻ろう。「AppleはAirPodsで何をしようとしているのか」
 
 こういう時は同社の特許を調べるのが手っ取り早いと思い、Spatial audioでも触れた「顔の向き」に関する同社の特許を調べてみた。すぐに、少なくとも二つ引っかかった。

  • Systems and methods for determining estimated head orientation and position with ear pieces(イヤホンを使って頭の向きと位置を決定するための手法とシステム)

米国特許番号10638250、2020年4月28日公開、出願は2017年9月25日

  • Wireless ear bud system with pose detection(姿勢検出機能を持つワイヤレスイヤホンシステム)

米国特許番号10715902、2020年7月14日公開、出願は2019年3月26日
 
 前者の特許はタイトル通り、装着されたイヤホンの状況から、利用者がどこを見ているのかを推定する手法。見ているものの例として、「店舗内の製品」「美術館内の展示物」「建物の出口」などを挙げている。「位置情報だけでは、利用者がどこを向いているのか分からないという課題があった」と特許申請文書に記載しているくらいだから、ビジネス的な用途の出口を見据えているのは明らかだろう。
 
また後者の特許の内容を読むと、ヨガやフィットネストレーニングのコーチが、恐らく遠隔地でトレーニングしている人に、顔の向きを見ながら指導するようなイメージが浮かび上がる。「もっと上を向いて!」とか。ああ、これはAppleWatchやiPhoneのアプリと完全に連携してくるな。
 
 ここまで読んで頂いた方には、私の考えも伝わると思う。はっきり言えば、「AirPodsは音楽鑑賞“も”可能な、全く新しいセンシングマシン」である。上記の特許を見ると、第三世代の発表時に、Appleはその戦略を明らかにしてくる可能性がある。
 
 ついでに言えば、AirPodsは音質が良く、音楽鑑賞にも適しているらしいw (2020/9/17追記。 ” ではBeatsはどうなるのかと ”という質問を問い合わせ窓口から頂きました。ありがとうございます。Appleブランドのオーバーヘッドイヤホンの概要がリークされ始めただけに、私も興味深々。遠からずこのコラムで書きましょう)


 

「DX」とは何か、イノベーション創出手法の例を示します 
~直観的にすぐ分かりますが、難易度が極めて高いわけです

(2020.8.24) 

 
 
 DX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉が流行っている。様々な説明がされているが、こういうことらしい。「デジタル技術を使って企業のビジネスモデルなどを見直し、新しい価値を提供すること」。
 
 何いってんだかなあ。“デジタル技術を使って”の部分がなければ、かつてのBPR(Business Process Re-engineering:ビジネスプロセスリエンジニアリング)と同じではないか。いや、BPRは社内のプロセスを見直して効率化を推し進めようと、視線が社内中心だった点が少し違うか。まあ、私はこの程度の冷めた目で見ていた。ある企業からその話を聞くまでは。
 
 その方は、初めにこう言った。「当社もテレビ会議によるミーティングをかなりやるようになりましてね。初めは慣れないし抵抗は少しあったけど、やってみりゃあ便利なもんです。遠隔地の事業所の人なんて、これまではなかなか会う機会もなかったし。数が少ない会議室の予約を気にしなくても済むから、打ち合わせもスピーディ。使い方次第だけど、仕事の効率は上がる気がしますよ」。
 
 これだけでは、特にどうということもない。ITシステムを販売する会社は、こういうのを営業トークに入れるんだろうな。「これこそDXです!」とか言って。
 
 しかし、その人は続けてこう言ったのだ。「実は私もそうなんですけど、幹部とかある新設部門の人たちは、“同時に行われているどの会議にでも自由に出入りできる”らしいんです。どこに顔を出せば面白いのか分かるように、会議のタイトルや内容も社員であれば分かるようにして。例えば北陸支社の部長会じゃ何の会議をしているのか知りたいし、面白そうならすぐに首突っ込んじゃおうかと」。
 
 これを聞いたとき、私は「ああ、こういうのをDXというのか」と会得した。これはすごい。初めの話は「テレビ会議を活用した際のよくあるメリット」であり、社内のビジネスモデルの見直しでも何でもない(少しはあるか)。しかし、次の話は全く違う。「デジタル技術を生かし、同時刻に行われている全国各地の会議に、自由に参加できる」のだ。これが社内のビジネスモデルの変革でなくて何だろう。いや最も大事なのは、これはイノベーションを生み出す新たな手法であるということだ。デジタル技術がなければこんなことはできない。
 
 例えば北陸支社で、ある製品の新用途開発会議が開かれているとしよう。その製品の素材は、熱によって加工が容易になる樹脂(熱可塑性樹脂)。その会議の議題を、かつて水回りの製品開発を担当していた中部支社の課長がたまたま見てピンとひらめき、テレビ会議に突然参加して「それ、筒状に整形できる? だったら下水道のインフラ保全に使えそう。たまたまこういう相談を受けていて・・・」「私、九州支社設計部のものですけど、水関係ならうちの支社がやってる熱硬化性樹脂と、部分的に組み合わせたほうがいい気がします。北海道支社の鈴木さんも入れて。図面をアップしておきますよ」
 
 よってたかってクリエイティブな話出まくり。なんだかGoogleの共同作業や、Facebookのウォールアートのイメージすら浮かぶ。これは上手くいけば、経済学者シュムペーターの言う新結合(イノベーション)の創出手法になるかもしれない。少なくとも社内の用途開発手法は大きく変わるだろう。もちろん、「支社内会議の内容なんか、同じ社員でも教えられるか!」とか「招待もしてないのに、勝手に会議に入ってきてなんだお前」とか、実現までには山ほどの抵抗に逢うだろう。それを乗り越えられるかどうかが、DXの成否を左右する。
 
 もちろん、これはほんの一例である。企業の数だけ、いやそれ以上に有用なDXは存在するだろう。「デジタル技術を使って企業のビジネスモデルなどを見直し、新しい価値を提供すること」。これでは何のことか分からなかった方も、こういう一例を読むとすっきりするのではないか。同時に実現の難しさも実感されると思う。
 
 DXなんて、IT業界得意のバズワードだろう、などと冷めた目で見ていないで、ぜひともトライして頂きたい。少なくとも、特定の何かを(例えばITを)導入さえすればOKなんてことは絶対にない、ということだけは覚えておいてください。


 

「名前を読めないまま営業電話をかけてきた人」のマインドを推し量る
 ~あるいは営業技術について私が考えること

(2020.8.20) 

 
 私以外に誰も家にいなかったある日の昼間、自宅の固定電話が鳴った。
 
 「もしもし、私、●●(大手エネルギー会社の名前)の▲▲と申します。・・・今、少しお時間よろしいでしょうか」
 
 「電気とガスと電話を一まとめにすると、月額のお支払いがとてもお安くなるんです。ご興味はおありですか」
 
 「あ、すでにやってらっしゃると。では、今月中にインターネット回線の新規予約をしていただくと、1カ月間は通信料が無料になるキャンペーンを行っているのはご存じでしたでしょうか。・・・ええとミヤ、ミヤ、ミヤ・・・ええとお名前は何とお読みすればいいのでしょう」
 
 ははは。ギャフンである。私は自分の名前がミヤザキ(宮嵜という難しい漢字なので読みにくい)であることを告げ、「営業をされるのでしたら、まず相手の名前を読めるようにしてから電話をした方がいいと思いますよ」と答えて電話を切った。本当の話である。
 
 それにしても、電話営業する相手の名前を読めぬまま電話するかね、普通。恐らく、1)電話をかけるリスト表を見て目が回ったため頭が回らなかった、2)電話を受けた相手は多くの場合、「はい。■■ですが」と名乗ってくれる。初めから知らなくたって大丈夫、のどちらかだろう。この人の場合、自分の名を言ってからしばらく間が空いたので、たぶん後者だと思う。
 
 あるいは、相手が話に興味を持ってくれなかった場合はそれで電話が終わってしまうわけだから、かける前から名前を(あるいは読み方を)知っている必要はないとの考え方もある。興味を持っていただいた場合、電話口で「それでは申込書をお送りしますので、“念のため”お名前をフルネームで仰っていただけないでしょうか」と話せば目的は達成できる。
 
 この電話をもらってから、私は「営業技術」という言葉を思い出した。私は今春まで日経BPという出版社に勤務していたのだが、日経ソリューションビジネス(現在は休刊)という雑誌の発行人兼編集長をしていた2007年ころ、「営業技術」について日夜考えていたからだ。なお、冒頭の電話の話とこれから記載する「営業技術」とは、内容的には全く異なるものである。
 
 ただ一人で紋々と考えていたわけではない。IT業界の3大システム・インテグレータであるNTTデータと野村総合研究所、伊藤忠テクノソリューションズ3社の営業部長の方々を幹事に、「営業部長会」という名の組織を発足。会員企業は100社以上、会員数は200人を超えたと思う。
 
 企業向けのITシステムの営業という行為の本質には、「営業技術」としか言いようがない基本原則やノウハウがあると私は考えていた(今でも確信している)。それを会の皆が率直に話し合うことで、その技術を「体系化」してみようというのが発足時の目的だった。
 
 年に数回設定した全体会議では率直な議論を重ね、その後の大宴会と二次会(いや三次会、四次会)で論を深める。会のメンバー間での自由活動、中国湾岸部に近い某市(人民政府)からの招待(!)もあった。ある時は、元ダイエーの共同社長やBMW日本法人社長、東京日産販売の社長を歴任された“営業の神様”、林文子氏(現・横浜市長)に、この会だけのために来ていただいたこともあった。
 
 さて、成果はというと、皆さんが披露された“武勇伝”満載の本が1冊でき上がり、複数人の間では、今でも続く交友関係が構築されたことだろうか。私が目指した「営業技術の体系化」は、結局できなかった。なお、この本は500部程度印刷したが、私の手元にも既にない。タイトルは「営業部長の本音」といった感じだったと思う。
 
 体系化は今後の自分の楽しみとして置いておいて、「営業技術」に直結する自分の考え方を書いてみたい。なお私が示す「営業技術」とは、「技術者(エンジニアなど)が専門知識やバックグラウンドを生かして営業活動を行うこと(技術営業と呼ばれることが多い)」とは全く異なる。
 
 私が営業技術の一つと常々考えてきたのは、「顧客ではなく、その顧客の顧客のメリットを最優先に考えること」である。
 
 「いやあ。その精神、ご立派です」との揶揄が聞こえてきそうだが、これは精神論でもなく理想論でもない。私の日経BP時代の後半や出向先での営業局面では、私はほぼこのような考え方をして、実際に成果を出してきた。これは実践ノウハウの一種である。
 
 例えば、貴方はIT企業の営業で、製薬業界を担当しているとしよう。直接の顧客である製薬業界について、全体のトレンドや業界が抱える課題、規制動向、特定企業の検証(新薬ならパイプラインの現状や悩みなどありとあらゆること)、業界/企業内の分野別キーパーソン、卸を含めたサプライチェーン、DX(デジタルトランスフォーメーション)に対するスタンス、SDGsへの対応・・・これらを徹底的に調べ上げることは「当たり前」。問題は、顧客である製薬会社の顧客である医師や病院関係者の悩みだ。
 
 直接の顧客である製薬会社は、MR(Medical Representative:医療情報担当者)という営業パーソンがその役割を担い、医師に様々な情報提供を行いながら実質的な営業を行っている。しかし、医師の悩み(ゴルフを除く)はそれだけだろうか。医師は自分の時間を本来業務である「診察・治療行為」に可能な限り割きたくても、なかなかそうできない事情があると思う。例えばカルテ入力とか医療情報の記録とか記録とか記録とか。
 
 例えば(例えばばかりで恐縮です)、皆さんはあのアマゾン(Amazon.com)に、「Amazon Comprehend Medical」という医療関係者向けのサービスがあるのをご存じだろうか。これは同社のクラウドサービスであるAWSが提供するもので、「AIを使用して、構造化されていないテキストから関連する医療情報を抽出することを容易にする自然言語処理サービス」。平たく言えば、AIをフル活用するこのサービスを使えば、医師が記述したままのメモから、診断内容や必要とされる薬、投与量などが自動抽出されるというもの。医療テキストを処理するためのコストや時間が劇的に削減できる。
 
 コロナ禍の今、海外のスタートアップも、超多忙な医師の負担を軽減すべく動いている。2017年創業のSukiが提供するのは、こちらもAIを利用した音声対応の医師用ソフト。医師は煩雑な診断カルテの作成作業に追われるのが普通だが、このソフトを使えば業務が大きく軽減化されるとしている(Sukiは2019年10月にGoogleと提携した。ああここでもGoogle!)
 
これが、典型的なDX(デジタルトランスファーメーション)である。このような情報を「直接の顧客」である担当の製薬会社の方と共有し、一緒に何ができるか提案してみよう。製薬会社におられるのは、必ずしもITに詳しい人だけでない。医師に提供できる情報が多様化し、きっと喜ばれるだろう。つまり、顧客の顧客である医師のことを考え続けることが、製薬会社に対する営業力向上につながると私は考えている。
 
 さて、今日は夕方から都心の真ん中で仕事だ。終わったころ、誰かから電話かかってこないかなあ。冒頭のような「ミヤ、ミヤ、ミヤ・・・」と連呼する猫のような人ではなく、「宮嵜さん、あそぼ―」というような電話がね!


 

やったあ、2億円獲得のビッグチャンス! ~詐欺メールに関する一考察

(2020.8.18) 

 
 ついに来た。私のところに、シンガポールの弁護士からのあの有名なメールが! Facebookをやっていて本当に良かった。やっと巡り合えた嬉しさに、私は小躍りしていたと思う。
 
 どんなメールかだって? それは素晴らしいものだ。人生を一変させるような。原文はFacebookの英文ダイレクトメッセージだったが、こんな内容だ。

  • やあ、やっと君を見付けられて嬉しいよ。私はシンガポール在住の弁護士の●●。大事な話があるんだ。聞いてくれ。
  • 2010年に、ミヤザキ・ケン氏がシンガポールのエネルギー資源に投資すると決め、それが成功した時期と合わせ、私は君の国からビジネス専門の弁護士としてシンガポールにやって来た。
  • 彼の顧問弁護士として私はケンに対し、世界最大級の銀行であるHSBCに740万米ドル(8億円強)の定期預金をするよう薦めた。しかし、ケンは、2012年5月に交通事故で亡くなってしまったんだ。
  • 実は、ケンは結婚しておらず、子どももいない。つまり、満期になった定期預金を受け取る人がいないんだ。顧問弁護士の私は昨日、HSBCからこのままでは期限になり、預金は我々(HSBC)に所有権が移るが、それでいいのかという連絡をもらった。私は驚いてケンに関する書類をすべてチェックし直していたら、彼の遺言状を見つけたのだ。
  • 彼が生前書いた遺言状によると、自分には妻も子もいないので、「自分と同姓の人(つまりミヤザキ姓のヒト。私=筆者はミヤザキである)にその預金を渡すように」と書いてあった。私としては、遺言状通りになるよう努力したいと思う。口座の受取人に貴方がなれるようにしたいと思うが、協力してもらえるだろうか。所有権が全額銀行に移ってしまうのは、納得しがたい。
  • 順調に進んだなら、最終的に私と貴方で、受取額を均等に分け合いたいと考えている。どうやって協力していけばいいのかを説明する前に、私はあなたの意向を知りたい。

 
 どうだろう。この弁護士と折半しても、4億円! 税金を引かれても手元に2億円は残るだろう。やっと、私の番(なんの?)が回ってきたか!!
 
 ・・・知ってる。もちろん詐欺メールである。だが私は少なくともこの1年以上、「シンガポール在住弁護士からの詐欺メール」を待っていた。理由は、1)私はこれまで、詐欺メールをもらった経験がほとんどなく、何となく寂しかった、2)その“負い目”からか、詐欺メールの中でも大物と思われる「シンガポール弁護士からの詐欺メール」は、いつの間にか「貰ってみたいメール」のかなり上位に位置していた。「(自称)銀行員のアラブ人メール」や、もはや伝説の「ナイジェリア・メール」も魅力的だったが。
 
 実際に貰ってみれば、内容に粗が目立つ。そもそも満期を迎えた定期預金は持ち主の普通口座に振り込まれることはあれど、所有権が銀行に移るわけがないではないか。「姓が同じ人に預金を提供したい」というメンタリティはどこから? せめて“同姓の親族”とか言ってくれないか。そもそも、何で弁護士の貴方と折半しなければならいないのだ?
 
 このメールに反応すると、やり取りは割と時間をかけて進むらしい。こちらの反応が良いと踏むや、相手はこちらが本当にミヤザキ姓であるかどうかの確認書類(住民票など)や、振込先となるこちら側の銀行の口座番号(知られても大した問題はない)を教えてほしいと要求してくる。しかも毎回、「今朝、HSBCの海外担当部長のリチャード・チャン氏と話したところ・・・」などのそれっぽい話が付くようだ。こうやって手間と時間をかけ、こちらがジリジリし始めた時期を見計らって、こう来る。
 
 「さて、最終段階だ。ケンの預金を引き出すのに、デポジット(保証金)が必要だ。金額は(我々がこれで獲得できる740万米ドルに対し)、5万ドル。これはシンガポールの銀行法に基づいた正式な手続きである。これから伝える口座に海外送金してほしい。やり方を教えよう」。で、送金すると、相手からの連絡が途絶える。相手の狙いは、この5万ドルにあったからだ。
 
 もともとこのシンガポールの弁護士の友達申請を私が承認したのは、Facebook内に共通の友人が1人いたことと、その弁護士のFacebookの内容が、いかにも中間層~富裕層の善良で真面目な弁護士ファミリーっぽかったからだ(車がフェラーリという点が引っかかったが)。この時、●●と名乗ったその名が中国人の氏名だったので、その時点では私は、この方が「あの」シンガポール弁護士とは気付かなかった。友達承認した翌日に、さっそく長いメールが届き、分かったというわけだ。
 
 Facebook内の私の友人は、穏やかでややぼおっとしているところはあるが、何でも話し合える本当の友人だ。今回の顛末を話すと、こう答えた。「いやあ、全然知らなかった。実直そうなおじさんみたいだし外国人だから、あまり考えず承認したんだけどさ。そういえば、結構そういう人を承認してきたなあ」
 
 私はすぐに、その友達の友人一覧を見た。すると、いるわいるわ、それっぽいのが。あ、あの人は、「自称銀行員のアラブ人」らしき人にそっくりだ! こりゃあまるで、詐欺師名簿ではないの。その後、私の友人が彼らを片っ端からブロックしたのは言うまでもない。
 
 このコラムは本来ならここで終わりである。彼のようにいつ「踏み台」にされて詐欺の片棒をかつぐようなことになるかもしれないので、Facebookの友達承認は慎重にしよう、という当たり前の教訓を残して。
 
 ・・・しかし、少々気になって「●●」というシンガポール弁護士の名前を調べてみると、偶然かもしれないが現職の中国共産党の中央政治局常務委員会委員と同姓同名。顔は全く違う。偶然だとしたら顔が違うのは当然か。
 
 とすると、プロフィールやタイムライン中のあの実直そうな顔は、いったい誰のものだろう。そもそもあのタイムライン内のシーン自体が捏造されたものではないのか。フェラーリの運転席でハンドルを握る姿は、なんとなく合成っぽかったし。あるいは、“作られた記憶を埋め込まれた”ネクサス6のレイチェルと同じことが起こっているのか(意味不明な方は、リドリー・スコット監督の名作映画、ブレードランナーをご覧ください)。もし実在しないとしたら・・・あのお顔のお方は、既に彼岸にいらっしゃるのではないか・・・・
 
 連日、酷暑が続いております。一瞬でも涼を感じられたなら幸甚です。


 

位置情報と社会受容性と、私のFitbit
~Googleはどこまで教えれば許してくれるのか?

(2020.8.14) 

 
 「社会受容性」という言葉をお聞きになったことがあるだろうか。簡単に言えば、あるサービスや技術あるいはビジネスなどを、社会が(つまり多くの人々が)受け入れてくれるかどうかということである。最近では、自動車の完全自動運転機能に関する記事の中で言及されていたことがある。「人が同乗していなくても完全に自動で目的地に到着する自動車が開発されたら、社会はそれを受け入れるのだろうか」という文脈だったと思う。
 
 実現すれば、非常に便利となる局面は多い。例えば運転手の高齢化が進む路線バスや、ほとんど人の行き来がない地域への郵便配達。無人で安全に人や郵便物、荷物、そして時には大事な薬を運んでくれたなら、大助かりだろう。
 
 一方、技術的にはかなり先の話だが、「通常の道路」で無人の完全自動運転車と、ドライバーが乗った車が混在するようだと、かなり面倒なことになる。自動運転車は速度制限が40km/hならピタリその速度で走るだろうが、通常の車の流れは制限速度より“少々”速いのが普通なので、いたるところで大渋滞を引き起こす。交差点でのアイコンタクトも効かない。将来的にはこのようなケースも想定されるので、多くの記事は無人の完全自動運転車に対し、「技術的に可能になっても、それを社会が認めるかどうかは別(=社会受容性が低い)」と解説してきた。
 
 なぜこのような「社会受容性」の話を持ち出したかというと、私はつい先日まで、米国の巨大IT企業の代表であるGAFA(GoogleとApple、Facebook、Amazon.com)について調べていたからだ。様々な個人情報を吸い上げ、それを広告ビジネスに生かすGAFAに対し、プライバシーの観点からそれを快く思わぬ人々がかなり存在することはかねてから指摘されてきた。つまり、GAFA各社によって差はあるものの、彼らの社会受容性は必ずしも「とても高い」とは言えなかったように思う。それが、GAFAの調査中に発生したコロナ禍の中で、大きく変容したように感じる。
 
 例えばGoogle。同社がコロナ禍の2020年4日に公開した「COVID-19 Community Mobility Reports」は、世界中から絶賛された。これは世界の人々の動きの変化をプラスマイナスのパーセンテージで表示するものである。国ごとに小売店、娯楽施設、食料品店、薬局、公園、公共交通機関、職場、住居などに分類し、人々の地理的な移動状況を時間の経過とともに表示する。特徴的な場所ごとの増減が時系列で把握できるのだ。
 
 このレポートのもとになっているのは、Googleアカウントの「ロケーション履歴」を有効にしている世界中の人々から集めたデータである。匿名化されているものの(Googleはそう説明している)、要は“位置情報”だ。私が「う~ん」と感じるのは、扱いがセンシティブなはずの位置情報を使って構築したコロナ対策レポートを、多くの人が受け入れたように思えるからだ。新型コロナウイルスという恐怖を前にして、個人のプライバシー意識は少々変化したように感じる。
 
 私の場合、やましいことは何もないが(本当です)、自分がいつどこにいたのかを、あまり第三者に知られたくない。私に限らず、そう思う人は少なくないと思う。「でも匿名化されてるから」(Googleはそう説明している)というのは、あまりに楽観的に思える。2019年11月に発覚した、Googleの「プロジェクト・ナイチンゲール(Project Nightingale)」問題を知った後では特に。この問題は今にいたるまで、「Googleは個人のプライバシーを軽く扱う企業」というイメージを擦り付けた、同社にとって非常に残念な出来事だった。仮に同社に悪気はなかったとしても。
 
 Googleの秘密プロジェクト「Project Nightingale」とは、同社が数百万人もの米国人に関する個人の健康データを収集していると米国のメディアで報道された事件。米国の医療サービス大手のAscension(現在は倒産)とともに、秘密裏に実行していたという。データには個人の名前や生年月日、健康状態、様々な健康検査結果、診断履歴、入院記録などが含まれていた。調査の結果として違法性はないとされたものの、“なぜGoogleがそこまで細かなデータを入手しようとしたのか”といった疑念はそのまま残った。 
 
 ここで話は大きく変わる(もちろん内容は関連している)が、私はフィットネス・トラッカーの開発会社、米Fitbit(フィットビット)の製品を3年以上前から愛用している。特に、安静時の心拍測定機能と、睡眠の時間と質(例えばレム睡眠の時間などそれはもう様々なこと)が分かる機能がありがたい。別に購入した体重計で毎朝、裸で体重と体脂肪率を測り、それをスマートフォンのアプリに手入力するとともに、腕にはめたFitbitとアプリをBluetoothで同期させている。この3年間、一度も欠かしたことがなく、今後も続けられる限り使うだろう。
 
 突然、Fitbitに話を振った理由は、1か月前に新しいFitbitに変えてから、スマホのGPS機能をオンにしないとアプリとの同期が出来なくなってしまったから。つまり、位置情報をFitbitに知らせないと、もうアプリとの同期はできず、現実問題として使えなくなってしまった。これは2019年11月に、GoogleがFitbitを買収すると発表したことと、私には無関係には思えない。
 
 フィットネス・トラッカーにGPS機能があれば便利と思う人は多いだろう。どこをどう走ったかという情報を仲間と共有する楽しみも分かる。しかし私のように、極論すれば安静時心拍数と詳細な睡眠関連データだけ必要なユーザーに対しても「位置情報を教えないと使わせて(同期させて)あげない」という手法には釈然としないものを感じる。
 
 私は決してアンチGoogleではない。アカウントを持ち、毎日活用している。Googleのサービスなしでは、仕事の効率が落ちるどころの話ではない。毎日の仕事のBGMはYouTubeだ(YouTubeは2006年にGoogleが買収した会社である)。
 
 私はGoogle自身が、せっかくコロナ禍で高まったように思える社会受容性を、自分で元に戻しているようにも思えるのだが・・・


 

懐かしい故郷の送り火に思うこと
~コロナウイルスは脳にも侵入していると思っています

(2020.8.12) 

 
 私の父親の故郷は長野市の郊外である。私が子供の頃は、お盆になると一族が山の麓のお寺に集まり、ご住職とともに灯を点けた麻のようなものを持って、裏山の霊園まで登って行った。細く狭く急な山道を、何人もの親族たちがゆっくりゆっくり登っていく。
 
 お盆の時期になると、なぜかこの映像だけが、映画のシーンのように浮かび上がってくる。あれはご先祖を迎え入れる迎え火だったのだろう。とすれば、8月13日の夕方から夜にかけてだ。親族はみんな明るい人だったので、結構ワイワイしゃべりながら、山道を登って行ったように思う。頭に浮かぶ映像には音声は入っていないが。
 
 私の父親は転勤が多い公務員で、私は一人息子。そして私は大学卒業以来ずっと東京住まいなので、2世帯にして両親を東京に呼び寄せたのを機に、改葬して東京郊外に新しく墓を建てた。両親はもうずっと前に亡くなっているため、最近のお盆は長野に帰らず、東京で過ごしている。叔父や叔母、従妹は長野に集結しており、年に何回も法事があるので(皆、そういう年齢なのだ)、コロナ前までは可能な限り出向いてきた。そしてそのたびに、自分の故郷はここなのだと心から感じ、静かな喜びと充足感に浸ることができた。
 
 それを思うと、コロナ禍で帰省できない方々の無念さを痛いように感じてしまう。地方の医療事情を思えば、そして故郷の人たちへの感染リスクを思えば、今は帰省など考えられないだけになおさらだ。一方、迎えるはずだった故郷の方々の心境も複雑だろう。「顔が見たい、話がしたい、酒を飲みかわしたい。・・・でも感染は怖いし、なにより近所の眼がある」。そう、近所の眼があるのだ。
 
 まだ感染者が少なかったころ、私の会社のクライアントからこう言われたことがある。「初めの数人の感染者はすぐに名前や住所、交友関係などが特定され、罵詈雑言だけでなく真っ赤な嘘まで加えられてネットで拡散されました。・・・でも、田舎では”普通”だと思いますよ。だから絶対に感染してはならないんです。生命の危険とか、そういう問題ではないのですよ」
 
 新型コロナウイルスに感染すると、肺をはじめとする臓器が損傷し、場合によっては命を落とすとされる。しかし、私はこう考えている。SARS-CoV-2(新型コロナウイルスの正式名)は、人の心(脳)にも重大な損傷を与えるのではないかと。あるいは人の心にだけ作用するこのウイルスの変異体が、既に全国に蔓延しているのではないかと。
 
 恐怖を背景とした過剰なまでの反応を引き起こし、一部の人間を自粛警察などというふざけた行為に走らせ、時には他人への嫉妬や悪意を臆面もなく表出させーーという尋常ではない行為が散見されるのはそのためではないだろうか。逆に、コロナ対策のためBBQ禁止のはずの公園で堂々と多人数でテーブルを囲んでいたり、「もう予約しちゃったしー、観光地に行ってもホテルから外にはあまり出歩かないしー」などとテレビの前で堂々と言い放つ方々も、既に脳に感染していると考えている。
 
 ワクチンの開発で新型コロナによる感染症患者は減少に向かったとしても、心(脳)に巣くったこのようなウイルスを駆除するのは容易ではない。このウイルスは、もともと人間の心の闇に潜んでいた「悪なるもの」を、細胞内に侵入することで表に解き放つ。SARS-CoV-2の仲間だけに、巧妙な細胞侵入レセプター(受容体)を使っていると思われる。
 
 最近のコロナ禍の中であの故郷の迎え火の夜を思い出すとき、これまでの甘美な思いに、苦いものが混じるようになった。背景にあるのが、「新型コロナが治まってきたら、故郷の皆は、全く昔と同じように迎えてくれるのだろうか」という親族への微妙な狐疑だけに、悲しく情けない。
 
 新型コロナウイルスの最大の罪は、多くの人々の心の中に、ある種の疑念を植え付けてしまったことにあると思う。唯一かつ最良の治療薬は「時間」だけだ。悲しいことだが、ずっと付き合っていくしかないのだろう。
 


 

いちばんたいせつなことは目に見えない、のか
~星の王子様の名言とserendipity

(2020.8.11) 

 
 1年前の8月。日本経済新聞に、小説「星の王子さま」の作者であるサン=テグジュペリの自筆の挿画が発見されたという記事を見付け、とても興奮したことをふいに思い出した。
 
 サン=テグジュペリはフランスの郵便物運搬飛行機の飛行士であり、同時に「夜間飛行」「南方郵便機」「人間の土地」などの小説家としても著名だ。その中でも、子供向けの体裁で書かれた「星の王子さま」は、様々な示唆に富む名作であり、ご存じの方も多いだろう。私はこの本が大好きである。
 
 多くの名言に溢れたこの本の中でも、おそらく最も有名なせりふはこれだ。
 
 It is only with the heart that one can see rightly, what is essential is invisible to the eye.
~ 心だけが物事を正しく見ることが出来る。いちばん大切なことは目に見えない
 
 例えばある人について語るとき、服装や身だしなみ、顔つきといった外観だけでは何も分からない。その人の生い立ちとか考え方とか交友関係とか・・・とにかく目に見えないものの中に、その人の本質が潜んでいるのだ、と。
 
 もちろんこれは、世の中、すぐに答えが見つかることばかりではないよ、という戒めを含めた、一種の啓示なのだろう。まったくもってその通りに思う。
 
 しかし天邪鬼な私は、この言葉を「真」として対偶をとったうえで、ビジネスの場に当てはめて考えてみた。対偶とは、「AならばBである」ことが真ならば、「BでないならAではない」もまた真という命題同士の関係を示す言葉である。例えば「リンゴは果物である」が真ならば、「(それが)果物でないなら、リンゴではない」もまた真なりというわけだ。
 
 夏休み期間中のお遊びと思って、ご寛恕いただきたい。
 
 さて、上記の名言を真として対偶をとると、「目に見えることは、いちばん大切なことではない」となる。ほほう、そう来たか。これをそのまま捉えたのでは、先に進まない。原意を損なわぬまま、思いっ切り意訳してみたらどうだろう。ビジネスシーンに合うよう、作り手(売り手)と買い手の会話に置き換えてみると、例えばこんな感じか。
 
 「目の前にある御社の製品をそのまま売りたいって言われても、そりゃ無理ってもんですよ、旦那」
 
 これなら分かる。非常によく分かる。自分自身、実際にこのような場に何度も居合わせたからだ。プロダクトアウトの典型ですね。私自身の体験を挙げてみよう。
 

伝統建築だけでなく戸建ての一般家庭でも頻繁に使われる、古くからある屋根部材。これをそのまま東南アジアで売りたいという経営者の懇親会の場で、私は即座に「失敗するからやめた方がいいですよ」と断言し、話に水を差してしまった。住宅や建築物の構造が異なるうえ、そのような部材を使う習慣のない国に、自分たちの最終成果物(カタチとなった製品)がそのまま受け入れられるはずがない。
 だが、その部材が放つ実に鮮やかな色彩が、「(自社開発した)1200℃までの完璧な温度制御」を経て焼きあがった結果という話を聞き、見方が変わった。「この温度制御技術こそ商品だ。この技術を武器に現地国の食品メーカーや流通企業とアライアンスを組んだらどうですか」。・・・全く無視された。
 そして数年前、その国で800℃の高温(通常は500℃)で焼く“超高温窯焼きピザ”が大流行し始めたことを知り、大きなビジネスチャンスを逸したことを思い知らされた。

 

 日本西部の県のある自治体の話。その県内企業(県の農業試験場だったかもしれない)が、通常より極めて高い糖度を持つ(つまり素晴らしく甘い)、ある野菜の開発に成功。こりゃ世界規模で売れると踏み、商社と組んでこちらも東南アジアの大手流通チェーンに持ち込んだ時のこと(私もなぜか同席していた)。その現地企業のバイヤーはこう突き放した。
「これはいいね。こんな糖度の高い野菜はこの国にはない。・・・でも、なぜ日本の製品を売るためだけに、店舗の棚を空けねばならないのか。その技術を我が国の企業とともに当地の食物に応用し、互いにハッピーになるような提案はできないのか。我々が欲しいのは、その野菜をそのように育て上げる技術そのものなんだ」

 
 「技術なんか出せるか」「製品を良いと思えば黙って買え」という考え方もあるだろう。だが市場を開拓し、事業をスケールさせるためには、「こういうのを作りましたので買ってください」では無理だろう。そこには、市場に入り込むため、あるいは新市場を切り開くための誠意や努力がほとんど見られない。誠意や努力があれば成功するものでもないのだが。
 
 ここまで書いて見て、やはり「いちばん大切なことは、目に見えない」のではないかと思えてきた。英語でいえば、セレンディピティ(serendipity)。私はこの言葉を、数年前に読んだ外山滋比古氏(2020年7月に逝去された)の「乱読のセレンディピティ~思いがけないことを発見するための読書術」で初めて知った。普通は、探しているものとは別の価値があるものを、偶然見つけること、らしい。先に二つ挙げた例でいえば、「その製品の背後にある(気がする)価値を感じ取る」ということか。
 
サン=テグジュペリ著の「星の王子さま」は、実に奥が深い本である。